普通のイメージ

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僕がなぜ
高校生の、大学生の、若者のシャシンを好むか。
それは明らかだ。
かれらのシャシンにはいわゆる名場面がない。
特権的な「シャッターチャンス」を狙わず、
そこにある普通のイメージをものにする。
・・・・・
考えても見るがいい。
私たちの日常に、超越的で特権的な出来事なんて
そもそも生起しないではないか。
私たちの内在に、何か理解できない「前-個体的」な
経験・動揺・変化が生ずる。・・そして
それらの胚種のようなものが私たちに結びつき
ある際立った新種のイメージを打ち立てる。
・・・・・
だから、特権的な報道的写真とか現場写真、
ステレオタイプなイベント、絵葉書的な撮影ポイント、
そんなものにわれわれの内在と深く結びつくものはない。
そうではなくて
日常の、とるにたらないシークエンスこそが
それこそ撮るにたらないトポスでこそ(笑)
際立ったイメージが屹立する。
それがわれわれを新たにする。
シャシンをアートとしての地平でみるならば
彼らのシャシンの構造には、より豊かな胚種が秘められている。

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このページは、が2010年5月 7日 09:42に書いたブログ記事です。

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