Results matching “折々のことば” from 新地のドゥルーズ
3月弥生。折々のことば。田中美知太郎。
田中美知太郎は、僕が20-30代の当時、2018年現在立花隆が務めてる文藝春秋の巻頭言をやっていた。義父が購読していたのでときたまに妻の実家で読んでいた。
僕自身の出会いは高校時代(たぶん1年か2年)。岩波の哲学講座。いきなりプラトンがでてくるあれだ。
1948-49年生まれの高校生はみなが(女は除く)「三太郎の日記」やら「出家とその弟子」やら藤村操の「巌頭之感」にかぶれていた。中身にリアリティを感じるのではなくバンカラ気分。懐かしい、というのも恥ずかしい。
流体力学ではギリシャ文字変数がオンパレードだ。僕は工業高校にいて、おまけに誘われてバプテスト教会にまで行ってたから、アガペーは、アルファ、ガンマ、パイ、イータの組み合わせで字面(じづら)を読めた。だから岩波講座の田中美知太郎が鉄砲玉みたいに繰り出すギリシャ単語にも、見様見真似のアプローチをしたものだ。それなりに、ですよ。
一般的に言えば17歳に、「言説」の理解を期待することじたいが無理なんではなかろうか。彼らには単語(用語)をもてあそぶのが関の山なんです。
あ、そうだ。藤村操で思いだした。文藝春秋の3月号の「自裁死・西部邁は精神の自立を貫いた」で保坂正康はこんなふうに言っている。
「日光の華厳の滝で自殺した藤村操、芥川龍之介、光クラブの山崎晃継、そして三島由紀夫と、近代日本には、新たな時代を開いた自殺の歴史がありますが、西部さんの死も、この歴史に連なる自裁だったと僕は考えます。」
田中美知太郎は、僕が20-30代の当時、2018年現在立花隆が務めてる文藝春秋の巻頭言をやっていた。義父が購読していたのでときたまに妻の実家で読んでいた。
僕自身の出会いは高校時代(たぶん1年か2年)。岩波の哲学講座。いきなりプラトンがでてくるあれだ。
1948-49年生まれの高校生はみなが(女は除く)「三太郎の日記」やら「出家とその弟子」やら藤村操の「巌頭之感」にかぶれていた。中身にリアリティを感じるのではなくバンカラ気分。懐かしい、というのも恥ずかしい。
流体力学ではギリシャ文字変数がオンパレードだ。僕は工業高校にいて、おまけに誘われてバプテスト教会にまで行ってたから、アガペーは、アルファ、ガンマ、パイ、イータの組み合わせで字面(じづら)を読めた。だから岩波講座の田中美知太郎が鉄砲玉みたいに繰り出すギリシャ単語にも、見様見真似のアプローチをしたものだ。それなりに、ですよ。
一般的に言えば17歳に、「言説」の理解を期待することじたいが無理なんではなかろうか。彼らには単語(用語)をもてあそぶのが関の山なんです。
あ、そうだ。藤村操で思いだした。文藝春秋の3月号の「自裁死・西部邁は精神の自立を貫いた」で保坂正康はこんなふうに言っている。
「日光の華厳の滝で自殺した藤村操、芥川龍之介、光クラブの山崎晃継、そして三島由紀夫と、近代日本には、新たな時代を開いた自殺の歴史がありますが、西部さんの死も、この歴史に連なる自裁だったと僕は考えます。」
セルフポートレートをやるヒトっていますよね。おいらもそのテかな。
アンジェニューの35-140mmをNEX-7につけて、三脚使用セルフをたまたまやりまして目覚めました。寝た子が起きたわけです。w
して、チャイナ製のリモコンを買い求めて・・うんぬんかんぬん。
ロバート・メイプルソープ、ダイアン・アーバスはセルフポートレートでも知られていた。土田ヒロミには毎日の日課。一方、森村泰昌は扮装の大家。が、絵本もやってるとは知らなかった。
これはいい。なにもすることがなければ、ワークとしてセルフポートレートをする。リモコンでプチッと(petit)やる。アートでなくとも持続するとワークになる。
おお、僕も芸術の神様に拾われたい。w(拡大画像なし)
ここから先はこれまでの記事に関わりなし。
α7sとVR35抽出レンズ(M42)。開放。(拡大画像あり)
↓これは↓SILKYのトイ現像。収差がよし。
魚市場から着いたばかりのイサキ2尾とアジ5尾を買う。
昼はアジを刺身で食べる。夜は寿司にしてもらった。
いま脂がのってます。去年より少し時期がはやい、のではないか。端切れもすし飯にのせワサビと海苔で海鮮風にして食らう。アーティストではなく、餓鬼の様態でした。
アンジェニューの35-140mmをNEX-7につけて、三脚使用セルフをたまたまやりまして目覚めました。寝た子が起きたわけです。w
して、チャイナ製のリモコンを買い求めて・・うんぬんかんぬん。
ロバート・メイプルソープ、ダイアン・アーバスはセルフポートレートでも知られていた。土田ヒロミには毎日の日課。一方、森村泰昌は扮装の大家。が、絵本もやってるとは知らなかった。
これはいい。なにもすることがなければ、ワークとしてセルフポートレートをする。リモコンでプチッと(petit)やる。アートでなくとも持続するとワークになる。
おお、僕も芸術の神様に拾われたい。w(拡大画像なし)
ここから先はこれまでの記事に関わりなし。
α7sとVR35抽出レンズ(M42)。開放。(拡大画像あり)
↓これは↓SILKYのトイ現像。収差がよし。
魚市場から着いたばかりのイサキ2尾とアジ5尾を買う。
昼はアジを刺身で食べる。夜は寿司にしてもらった。
いま脂がのってます。去年より少し時期がはやい、のではないか。端切れもすし飯にのせワサビと海苔で海鮮風にして食らう。アーティストではなく、餓鬼の様態でした。
鷲田 清一,見田宗介,村上春樹・・1949年生。同年。
鷲田 清一の「折々のことば」。この世代がいうには勇気がいるのではないかなあ。巷間に流布する「世代間格差」を逆なでするようで。
ムイシュキン公爵のこの言は小沼文彦訳(新潮文庫)で読む。18か19のころ。ドストエフスキー、ヘッセ、リルケ、ロマン・ロラン、ルソー・・などは大人になる前の「洗礼」でありその後は「金字塔」となる。そういうもんだと思う。まあ今の子は違うだろうさ。(拡大画像なし)
鷲田 清一の「折々のことば」。この世代がいうには勇気がいるのではないかなあ。巷間に流布する「世代間格差」を逆なでするようで。
ムイシュキン公爵のこの言は小沼文彦訳(新潮文庫)で読む。18か19のころ。ドストエフスキー、ヘッセ、リルケ、ロマン・ロラン、ルソー・・などは大人になる前の「洗礼」でありその後は「金字塔」となる。そういうもんだと思う。まあ今の子は違うだろうさ。(拡大画像なし)