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Results matching “ミュー” from 新地のドゥルーズ

OLYMPUS μ-Ⅱ(ミュー・ツー)抽出レンズ正面。知人工房M42改。



三角形状の絞りが見えると思います。下方のピンでその絞りを調整する。左右のねじ頭は突き出ていて、レンズ出し入れ時のつまみになります。アダプタは17-31mmのヘリコイドチューブを使う。あえて周辺の弊害が出る7Rとの組み合わせ。開放からシャープ。









当サイト紹介のレンズを使ってみたい、譲って欲しいと思われる方は、



までメールください。工房主と相談してお譲りします。
(メールアドレスは画像です、コピペできません)

オリンパスミュー2

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初代α7Rとオリンパスミュー2抽出=OLYMPUS LENS 35mm 1:2.8(工房M42改)。天気が悪くてすっきりしない。





NIKKOR 28mm 1:2.8とα7s。1970年代のレンズ。52mm径のPLフィルターがあるのでそれを使ってみる。PLフィルターって20年(もっと?)ぶりか。



効いてますね。中央最奥に当地の名峰=経ヶ岳を入れる。左側からぬっと人が出現。
28mmだと車窓シャシン(信号停止時フロント)をやるときはぐぐーっと身を乗り出す。それでも咄嗟だから自車のダッシュボード部が映り込むことが多い。







モニタはオン(ブルーのインジケータ)ですがスクリーン画像はフィルタで消失させてます。



この効果が僕の「行きつけ」の○○図書館でどこまで有効か今からワクワクする。w
うーん。絶望の淵まで赴いて、手を差し伸べてくれるファインダに佇立するミューズ。爺さんもうちょい生きましょうね。

α6300 E1.8/35mm

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当地に県立図書館が移転するということが分かった時点から、それが実現した暁には俺の晩年は変わるな、と予感した。w
まだひと月にも満たないけれど実際それ以上の「効果」を感じている。なにしろ歩いて15分の場所だ。村上春樹の若き日に神宮球場がすぐそばにあったのと同じ距離です。図書館はドゥルーズのいう「効果」そのものだと思っている。そのうち色も褪せてくるだろう。僕としてはできるだけその褪色を引き延ばしたいとは思うがそうはいかないのが人生ってものだろう。
老人のささやかな愉しみなので、せめて検索にヒットしないようにと図書館の固有名は使わぬことにした。ミューズの取扱説明書は自分の手で作るしかない。
α7sとcondorⅡのレンズ、ESAOG 5cm(M42改)で。



こちらはα7Rにつけてオリンパスミュー2抽出のレンズを撮影。



このオリンパスレンズをα7sにつけてライカを。
ハナシがややっこしい。すいません。

オリンパスミュー2の抽出レンズ35mm F2.8(絞り付きM42改造:知人工房作)とα7s+17-31mmヘリコイド。









CANON 50mm F1.8 III 1958年

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キヤノンのカメラミュージアムによればどうやらCanon Pではなく、CANON 50mm F1.8 IIIのようだ。絞り羽根が8枚、というのが根拠。 シリアルナンバーの位置も違う。
(そういえば工房で、L型スクリューマウントだったと聞いたような気がする)
以下α7sとCANON 50mm F1.8 IIIのM42改造レンズ。
最初の絵は建設中の新県立図書館「ミライon」。











ガリレオ(Officine Galileo)レンズ銘=エサオギ Esaog 5cm F2。M42改。
知人工房作。フード部をはずして撮影。
(α7sとオリンパスミュー2抽出レンズ)





以下はα7sとエサオギ Esaog 5cm F2。しびれますな。











スポット修復ブラシツール、について。
Photoshop CC 2019のこと。なにかと面倒だった消しゴムが進化。α7s=Zeiss Opton Biogon 35mmで撮影した絵に「スポット修復ブラシツール」を施したシーン。



Bluetooth オンの下方のパスキー(?)を消去している。周囲との違和感がまったくない。テーブルフォトに端を発した遊びで数時間をつぶすことがある。
左に少し映り込んでいるのはCZJのSonnar5cm、右はオリンパスミュー2抽出のレンズ。いずれも知人工房製作。
老眼鏡にハズキルーペを重ねた姿を、α7sとミュー2レンズで撮影。(絞り開放)



次なるは同じ場面をコンタックスTvs抽出のVario-Snnarで。(開放)



Tvsが少し広いので画角30㎜くらいか?
撮影距離35㎝。三脚、リモコン使用。
初代は手放して、これは2代目。オリンパスミュー2の抽出レンズ35mm F2.8(絞り付きM42改造:知人工房作)とα7s+17-31mmヘリコイド。












オリンパスミュー2の抽出レンズ35mm F2.8(絞り付きM42改造)とα7s+17-31mmヘリコイド。
拡大画像でレンズ面が確認できますか?今日はこの絞りで撮影してます。












食べるのは楽しみ。カレーは自家製+グリンコープ=レトルト甘口のブレンド。昼食しながらフと、山田風太郎の『あと千回の晩飯』を思い出した。

オリンパスミュー2の抽出レンズ35mm F2.8(絞り付きM42改造)とα7sで撮影。
逆光、順光、アオリ、最大遠、接写・・と、絞りも変えて実験的に。予感した通りα7sとの相性はいい。唸ります。



周辺を確認したくて、右下隅のフェンスを取り込む。水平バランスが変かな。









最奥の電柱トランス辺り。等倍。



これもフレーミングや水平バランスがなんとも残念。スナップは素早いフレーミングが身上なのになあ、トシを感じる。w



ムラサキシキブ。実の色の移ろいを記録。台風が過ぎてもうつせみはくっついている。

『ドゥルーズ/ガタリの現在』を手にして10年が過ぎる。
爺になった僕は最近ほぼ全域を読み直している。感慨を新しくされる場面がある。
今日は三脇康生を読む。





ドゥルーズが制度(institution)という課題からガタリと結んだ、などは10年前目に留めていない。明日にも医療システムのなかにぶち込まれるやも知れぬトシになって三脇論攷が浸透してくる。アカデミックな受け止めではなくほとんど文学的なこころの流れなのだ。(だから「新地のドゥルーズ」なんです。w)
ジャン・ウリについてのページが胸をうつ。

爺なる僕は読書もだけどシャシンも同じくらいやる。
20年くらい前に流行ったオリンパスミュー2というコンパクトカメラ。知人の工房でレンズを取り出し、デジタルカメラ用に「変容」させたレンズで撮っています。頂き物です。
スキャナでの「自炊」を避け、シャシンゲージュツで展開してます。w
同じカメラは以前も工房で改変してもらった。処分して手元にはないが、今回は取り付けマウントが違う。諸元は同じでも明らかに性能が違う。
α7sに取り付けた図。知人工房製作。(上)三代目フジカ35EE抽出フジノン45mm F1.9。(下)オリンパスミュー2抽出35mm F2.5。
α7Rで、それぞれを相手のレンズで撮影してます。
(使用するヘリコイドチューブは違います)



補足。
①上はミュー2レンズを絞って使う。背後で三角形の絞り形状がわかるかと。下はフジノンを開放で使用。
②フジノンは3代目(3台目)。最初がSONYのEマウント改。後はM42改。同じM42型でも製作上の差異がある。ミュー2も2代目(2台目)。こちらも最初はEマウント改。こたびはM42改。やはり製作上の差異がある。そこがおもしろいところだ。以下はα7Rとミュー2レンズ。最初は開放。後は絞ってます。









光線が強いと風景は例のマゼンタ。トリミングやモノクロという割り切り方もあります。

以下はα7s。室内遊びは十分にゴキゲンなレンズ。絞れば接写でも細部まで鮮明。



シャッター兼絞りを開放円から、ふっくらとハート型三角が出始めるあたり。(ほとんど開放値に近いと思われる)
いいムードですね。

オリンパスミュー2というカメラがありました。僕は高校の写真部に入った子供に、これをキタムラで買ってあげました。そうですね、18年まえですか。たしかシャンパンゴールドとかいう洒落たネーミングのボディカラーでした。蛇足ですが、子供はそれを使い「キャパ」に入選したり当地の高校総合文化祭で優秀賞をとったりしました。w
当のカメラではないのですが、たまたま入手したミュー2を工房に依頼して取り出しもらいました。最近これの絞り系を丸型(元は三角)にしてもらいました。で、α7sで。







NEX-7にはヘリコイドの伸長加減で干渉が出ますが、近場はできます。





さて。押入れにすっかり変色した入選作がありました。子供がミュー2とネガフィルムで撮影したスナップです。額装は主催者側がしています。しっかりできてます。逆光ですがNEX-7と抽出ミュー2で撮影。

オリンパス・ミュー2の抽出・改造レンズ。知人工房作。色のりがいい。フィルムで使ってもそうでした。このチャラチャラカラーが好きです。α7sにセット。ついで今年の初撮り。(トシも「酉」ました)。w





ついで。これも元日。EL-NIKKOR 40mm。F5.6で撮影。





ぬけ殻をミュー2のレンズで。
(α7s/OLYMPUS LENS/35mm2.8:拡大画像あり)

オリンパスミュー2

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 (撮影:α7R/Planar 1.4/50:拡大画像あり)

ジャンク品、オリンパスミュー2からの抽出レンズ。35mmF2.8である。知人製作。
Cマウントの固定絞り。絞り形状が三角形。
内面反射でゴースト、フレアが出たので裏のアルミ部分をマジックで塗る。
ずいぶんよくなる。
これも仕方がないが四隅のケラレがけっこうあるので、絵によってはトリミングをする。
置きピンで撮影しているのでピンボケあり。
2枚目の絵がフレアの例。







 瀬戸内の直島に行く。ベネッセハウスミュージアム=『国吉康雄展』(3.20-6.9)。会期末ぎりぎり。島内に泊まる予定でキャリングケースを引いたまま美術館に。安藤忠雄設計のこれも半地中型の建物。よくできてる。中にトイレもある。

 『国吉康雄展』のパンフは折りたたみ、なのだ。ふつうはペラものですよね。これは斬新。表は「ミスター・エース」の顔の部分だけ。開くと全身サイズがある。

(NEX-7/E2.8/20/PhotoshopCS5.5) 

 絞り3.2です。E2.8/20のボケ具合が確認できます。

 さて、国吉。「ミスター・エース」の全身像。

 総じて戦後の作品が好みです。ライカで撮ったスナップもある。イーゼルやらロッキンチェアなど彼が使っていたものも。よく蒐集したものだ。気付きを2,3。

 ①週末に宿を決めずに島に乗り込むのはいけない。民宿はおおむね相部屋だ。

 ②フェリーや渡海船の時刻表を持つべし。「なおしまエリアマップ」を宇野港でもらえる。

 ③ロードマップ的行動に興味がないお方は大きい荷物は持たずに島に入る。ただし美術館にはキャリングケースも入るコインロッカーがある。

 ④直島のサイトでPDFがダウンロードできるようです。

(誰もいない茶屋駅ホーム/NEX-7/E2.8/20/PhotoshopCS5.5) 

フーコーの額に穿孔?

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(NEX-7/Elmar f=5cm 1:3,5)

 ここんところずっとフーコーを読んでいた。その合間にエルヴェ・ギベールを読む。同書を知ってはいたが読まないでいた。で、読後の感想。後味はよくなかった。『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』という書は「功罪アリ」と感ずる。どこまでが真実でどこまでがギベールの物語なのかわからない。救いがない。それでも、フーコーのモデルとされる男は用意周到に「自己の技法」を貫いた印象がする。ミュージル(フーコーのモデルとされる人物)の最後は「芸術作品」で、皮肉にもギベールを拒んでいるようにも思える。

 医療機関の中でひとつの骸(むくろ)となったフーコー。その中に入れば患者と医師という奇妙で独特の権力関係にはいり、処置されるしかない患者フーコー。特別な権力がどのようにして現在のようになったのか、その歴史的・系譜的な研究をずっとしてきたフーコーが、その病院の中で死んだ。「頸部穿孔をうけたのである。額に孔をあけられた跡があった」とギベールは書いてある。(再度申しますが、それが真実かどうかわからない)

 人はどのようなかたちであるにせよ、死ぬときはたったひとりで黄泉におもむく。僕だっていずれみなさんに「お先に失礼」ってことになる。それもそんなに遠いことではないはずだ。フーコーやドゥルーズの「孤独」を身近におもう。彼らが「権力」にあがらって(さらには利用もして)死んでいったすがたをおもう。フーコーの属性が僕の中にも分け持たれているとおもう。僕もまた新しいギリシャ人を発見し僕なりの実践をしたいとおもうが、そんな過激な力が僕にはあるだろうか?

おお、性根疲れ果てた。

・横浜美術館:ポーラ美術館コレクション展
「印象派とエコール・ド・パリ」
・横浜美術館コレクション展 第2期

・国立西洋美術館: カポディモンテ美術館展
・オノレ・ドーミエ版画展
・常設展

・東京国立博物館平成館:誕生!中国文明
・法隆寺宝物館

上野では午前中西洋美術館で頭痛がひどくなり
ホテルにもどってロキソニンを飲み、休憩。
午後ふたたび上野公園に博物館を訪ねる。
いやはや。

午前3時にはデパス効果が切れて覚醒。
もぞもぞとブログ更新なんぞやってる。
旅行最終日の今日、黒川さん遺作の国立新美術館を
六本木にたずねる。「マン・レイ展」だ。

それ以外は何もできそうにない。
どこかでぼんやりと過ごそう。
カメラが重たい・・・



北九州市立美術館

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北九州市立美術館に2日間にわたって出向いた。

宿は海峡を渡って下関。

1日目は本館のウィーン・ミュージアム所蔵の

「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」

シーレを見たかった。

あのカクカクの自画像を。

青木繁が享年29歳・・シーレはさらに1年はやく

28歳の若さだった。

・・・・・

おりしも大寒波。

とにかく寒くて寒くて洟風邪になっちゃった。

唐戸市場で鮨食ったあとはホテルにこもった。

2日目。朝食後街に飛び出る。

1時間が勝負なのだ。その模様を

20コマだけ音なしFLVで。↓

 

9:53発の小倉行きで下関を出る。

2日目はリバーウォークの分館行き。

「ロートレック・コネクション」

ロートレック美術館だけではなく

国内のロートレックも集めていた。

広島とか京都繊維工芸大学とかあちこちの。

この記事=今日(2/7)が最終日なので寒い中を

出かけたわけ。ホンに寒いのはいやじゃ。

もっとはやく行きたかったが、

検査やなにやらで、ラス前になってしまった。

・・・・・

予想通り大混雑だった。

池田満寿夫

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先日BShiで「エロスに生きた男 最後の恋~池田満寿夫・遍歴の果てに」をみた。4番目の妻佐藤陽子との恋を仕立ての中心としている。まあシアワセな人だ、ホント。不公平だよね。池田満寿夫ほどにもなればどんな恋の所業も「エロス」になるのだから。愛したオンナはそのまま「ミューズ」になる。(笑)たといジゴロでも、ヒエラルキーの頂上を極めればロマンスに生きるスタイリッシュなゲイジュツカということになる。いやこれは僕のルサンチマンなの?ちがうちがう、率直に、いいなあ・・ってうらやましがってるのです。相手はほとんど天才みたいなヒトだから妬んだってしようがないけど。(笑)
あれはNHKエンプラが制作したんでしょ?ドキュメンタリ作品としては失敗作だと思った。最後の妻(最後の恋かどうかはわからないけど)だから佐藤陽子がホステス役になるのはいたしかたないとして、「あれはわたしの男だったのよ」という気持ちが出過ぎてる。なんというんだろうなあ?・・そう、彼女が暴露したアイテムがね、つまらないのだ。なんであんなもの出すの?TVに。僕だったら、秘めておくね。勿体ないもん。ディレクターの狙いが下品。佐藤陽子はのせられた。はからずも。制作者の意図にDecencyを感じない。品性に欠ける作品、というのが僕の結論。・・・もちろん愉しむべきはたのしんだ。なかでもよかったのは10年間そのままにしておいたという池田満寿夫の制作現場(!)あのフロアは・・いいねえ。遺品を、ひとつひとつシャシンにしたらすごく感じるだろうなあ、と。陽子さんに制作現場のシャシンを撮らせてとテガミ出そうかな・・酔眼でそんな妄想したほどだ。(笑)

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地上の夜の天使たち