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初代α7sとフォクトレンダーCOLOR-ULTRON50mm F1.8。(工房M42改)
撮影日=2024/03/26。時系列。拡大画像あり。
初代α7sとシュナイダーRetina-Xenon 1:2.0/50mm(工房M42改)。
撮影日=2024/02/06。拡大画像あり。時系列。
画像多し。初代α7Rとズミクロン-R 50㎜。工房M42改。
撮影日=2024/01/28。拡大画像あり。時系列。
知人工房製M42改=レチナクセノン50mm/2.0と初代α7R。撮影日=2024/01/17。
去年暮れから予約待ち小津本がOKという連絡。さっそく出向く。次の予約があるので鋭意読み進み3,4日で読了。
中央でアゴの長い御仁、おわかりでしょうか?『国定忠治』の山中貞雄監督です。僕は鶏頭の縁など知らなかった。あらためて最後の作品『秋刀魚の味』を見直すと、出てくる、鶏頭が。さてそうなれば『浮草』です。
鶏頭、そして京マチ子です。鴈治郎にたてつくシーン、色気にカラダがすくみそうになります。字幕はないけど筋は承知してるんでAmazonに発注、はやい!今日着く予定。
初代α7Rと知人工房製M42改=アルパクセノン、ALPA-Xenon 1:1.9/50 。F5.6相当の固定絞り。
撮影日=2024/01/16。その2。時系列。拡大画像あり。
色補正なし。SILKYPIX Pro9のノーマル現像。Photoshop CSにて明るさとコントラストのみ手動補正。
2枚目の壁面=30分後は影が移ろう(5枚目)。こんな天気だと外に出ます。雲があればもっといいんだけど。
初代α7Rと知人工房製M42改=アルパクセノン、ALPA-Xenon 1:1.9/50 。F5.6相当の固定絞り。
撮影日=2024/01/16。その1。時系列。拡大画像あり。
なお、あえて色補正をしていません。SILKYPIX Pro9のノーマル現像。Photoshop CSに取り込み明るさとコントラストのみ手動補正。
初代α7Rと知人工房製M42改=シュナイダークセノン、Xenon 1:1.9/50 。秀逸なレンズだと思う。
撮影日=2024/01/15。その2。時系列。拡大画像あり。
知人工房製M42改=クセノン、Xenon50mm。左からシュナイダークセノン、レチナクセノン、アルパクセノン。
で、今日使っているのは、元はエギザクタマウントのシュナイダー版。ぐるぐるボケが気に入っている個体です。
撮影日=2024/01/15。その1。時系列。拡大画像あり。
α7sと工房M42改=SUMMICRON-R50mm(F5.6相当の固定絞り)。1963年製。撮影日=2024/01/10。
撮影日=2024/01/13。同じSUMMICRON-R50mmにて。
長崎市。ライカAの旧エルマー(抽出M42改)と初代α7s。
撮影日=2024/01/08。時系列。拡大画像あり。その2。
長崎市。ライカAの旧エルマー(抽出M42改)と初代α7s。
撮影日=2024/01/08。時系列。拡大画像あり。
α7sと工房M42改=SUMMICRON-R50mm(F5.6相当の固定絞り)。1963年製。撮影日=2023/11/22。時系列。色補正なし。拡大画像あり。
編集時に気付いたが画面左寄り女子高の窓。民家アパートのベランダから撮影する「不審者」を凝視していた。それにしても今年の紅葉には不気味な気配を感じた。
ベランダ、ってのはこの階段の踊り場です。ま、こんな場所で撮影していたら字義通りの「不審者」かもしれませんね。笑。
(前コマなのでこのときはまだ生徒の顔はでてません)
知人工房M42改のComponon50mm 1:4/50の姿。
エンラージャーDurst(ダースト)用。
PCの方は拡大画像でご覧ください。(C-NEXアダプタはM42加工のためのパーツです)
以下はこれと初代α7sで撮影。Pixcoの標準のM42-NEX/Mヘリコイドアダプタを使用。撮影日=2023/11/21。時系列。
I have decided to choose the Dodgers わっ!今知った。
M42Tessar50mm。α7sと。
整理が遅くなってファイル名でM42であることには違いないが、ウチにある数あるテッサー50㎜のどれなのかを思い出せない。
トシはとりたくないもんだ。ショックでもある。
撮影日=2023/11/20。時系列。拡大画像あり。
コダックレチナ抽出M42改のHeligon 1:2 f=5cm。工房の知人が届けてくださった。α7Rに取り付けた姿。拡大画像あり。
ずっと天気が悪かったが今日はカラッと晴れる。さっそくこれで家の周辺を。撮影日=2023/12/02。拡大画像あり。時系列。
フードが少し長かったか。ケラレが出る。
旧ライカAより抽出=工房M42改のElmar50mm。撮影日=2023/11/18。21。拡大画像あり。
旧ライカA抽出の知人工房作エルマー50mm。初代α7s。
撮影日。2023/09/18。長崎市住吉地区。その3。
旧ライカA抽出の知人工房作エルマー50mm。初代α7s。
撮影日。2023/09/18。その2。
以下余談。
2枚は同じポイントからの南北の画像。21歳の一時期、柳谷町の前田アパート(現在はない)に住んでいた。アパートから出るとこの風景になる。
「マエダ」は浦上にある老舗の質屋さんでアパートの家主だった。同アパートにはこれに先立つ18歳の時にも半年くらい暮らしている。よって原点巡りの最有力の場所でもある。
スピリチュアルな場所というものは哀切である。が同じくらい癒しの場所でもある。両義性のスポットなのだ。ここから東京に立っていった。
海上空港の長崎空港と大村湾の対岸=時津(ときつ)を結ぶ航路にのってみた。天気はいまひとつ。
最初のモノクロは時津港であとは住吉(すみよし)近辺。15歳の頃からの「馴染み」の地、それだけでいとおしい。笑。
撮影日。2023/09/18。小一時間歩き回った時系列。旧ライカA抽出の知人工房作エルマー50mm。初代α7s。その1。
ライカと村田沙耶香。妙なタイトル。両者には関連性はない。
SONYの初代α7sとエンラージャー(引き伸ばし)用のKominar-E 7.5cmでの撮影。絞りF8。撮影日2023/09/05。背後がちょっとうるさい。
さて。
①群像6月号で村田沙耶香の新作を読んだ後、続く岩川ありさとの対談「村田沙耶香の20年」を読む。と、これが20年前の群像新人賞作品「授乳」から始まる。当方は不知なのでいったん中断し図書館に返却。「授乳」を借り受けて読む。そのあと、も一度借り受けしようと出向くが、今度は「群像」が貸し出し中。結局、ひと月以上の渉猟であった。
②ライカ1cに、知人の工房でライカAから抽出したElmar50mmを取り付けて、遊びです。こんな容姿のライカはどこにもありません。
Leica 1cはファインダも距離計もないカメラで2個のシューにそれらを付けて使うんだと思う。使いたくなるような雰囲気がある。
ちなみにライカはナンバー458160、1949年生まれ。僕と同い年です。レンズはというともっと古く、1925年から1932年までのいずれかの年ということになります。いやはや。
旧ライカA型より抽出(知人工房)Elmar50mm。α7sと。2023/08/11撮影。時系列。その3。
(拡大画像あり)
旧ライカA型より抽出(知人工房)Elmar50mm。α7sと。2023/08/11撮影。時系列。その2。
(拡大画像あり)
旧ライカA型より抽出(知人工房)Elmar50mm。α7sと。2023/08/11撮影。時系列。その1。
旧ライカA型より抽出(知人工房)Elmar50mm。α7sと。時系列。その2。
旧ライカA型より抽出(知人工房)Elmar50mm。α7sと。
天神から博多駅方面には昔はカメラをもって歩いていた。渡辺通経由でいくことが多かった。
六月中旬に久しぶりに出向いたがもうそんな元気はない。天神で下車せず終点博多まで行く。
用を済ませてもう一度天神に引き返す。6番系統は住吉神社前から右折して、TVQ、キャナルシティを経て国体道路に出る。南新地、春吉を過ぎ天神一丁目でバスを降りる。
この場所は初めて。SILKYPIXのノーマル現像。ついでにハードモノクロ現像。拡大画像はα7sの半分サイズ。横2120dotある。PCの方どうぞ。
撮影日=2023/06/09。長崎市水の浦町、同大谷町。α7sとライカA型抽出のElmar50mm。(知人工房M42改)その2。
50年以上も前のことだが、近所にしばらく住んでいた。三菱長崎造船所が移転。あたりには人影はない。最初の正面黄色い家は当時食堂で親父さんが前川清は高校時代にうちの常連だった、と自慢げに話をしていた。
4枚目。最奥にモノレールが見えますか?当時はなかった。長崎に4箇所同じような斜面移送システム(というらしい)があるんだそうだ。これは2004年作のシリーズ最後のもので「水鳥号」と呼ばれている。
そうこうしてると要請があったのかするするーと登って消えた。
撮影日=2023/06/09。長崎市旭町、同大谷町。α7sとライカA型抽出のElmar50mm。(知人工房M42改)その1。
α7sとComponon50mm 1:4/50(工房M42改)。
生きてゆくということは、大なり小なりこういうことです。
僕は人一倍涙腺がゆるくだらしないから、いやあ泣けた。
拡大画像は記事中心です。大きさは新聞大です。
シャシンはわが家の旧暗室です。SONYの初代α7sにpxico製標準M42-NEX/Mアダプタ、レンズは知人工房製のComponon50mm(M42改)。台風2号が近づく雨もよいの午前、三脚、リモコン撮影。F8で1/6秒。ISO100。自然光。
実を申しますと、α7sの等倍でみたこの方の表情に泣けてきました。ホントにつらかったんだなあと思います。ご本人に笑みはありません。
α7sと工房M42改=SUMMICRON-R50mm(固定絞り)。ようやく雨が上がった連休明け。
α7sと1963年SUMMICRON-R 50mm。(工房製F5.6相当固定絞りM42改)。一枚目は暗室から午前5時半。
(拡大画像あり)
朝日の「ひもとく」=野崎歓。(拡大画像あり)
大江健三郎の逝去が紙上で伝えられた折、今季の芥川賞を読んでるところだった。今季はふたりが受賞する。
野崎「ひもとく」の内容は、1979年30歳の自分を思い出す。現在の五島市(当時は福江市)で仕事をしていた僕はある思い入れから作家大江健三郎に長い手紙を出した。返事はこなかった。
さてこのサイトは写真ブログでもあります。なので付け加えます。今日4月22日は「黄砂」がとてもひどかった。霞みを確かめに出てはみたもの身体が重い。コンビニで「一番搾り」を買ってそそくさと帰途についた。
ミノルタのAF50mm 1:1.4(22)をLA-EA4アダプタを介してα7sでのAF撮影。今日の記事のシャシンはみなこの組み合わせで。花はF4.5、あれれピントはガクにいってます。AFはピントを外すw。次の絵では空気の濁りが知れる。名峰「経ヶ岳」は奥にうっすら汚れている。
LeicaA(Ⅰ型)から取り出したエルマー50mm(工房M42改)をα6300につけて撮影。酔狂か?
小姓小路まで往復するとiPhone歩数8000に至る。笑。2023/03/03。
α6300とPZ16-50OSS。
撮影日。2023/01/29。(最下部は2023/02/16)
以下は蛇足。
上がSONYのPZ1650テレ50mm側。下は工房改造ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm。双方とも絞りF5.6。ISO100。三脚使用。
県立図書館が僕の居住する当地に移転して3年が過ぎた。図書館移転のニュースに「晩年の人生が変わるぞ」と予感したもんだ。事実は的中したのか、そうとも言えないのか、うーむ。
いっぽう当年の73歳というのは特別な一年だった、と思う。クルマを廃しての最初の一年で、図書館にゆくにも電動三輪車でということになった。2022年の年越しに手元には10冊ほどの借り受け図書がある。わくわくしながらあれこれ併読するのは愉しい。
これは「天声人語」の部分を映し込んでいるが、9万8千円の箇所。当地の県立図書館でも似たようなものなんだろうか?ニッポンは落ちぶれてしまったのだろうか。
絵はすべてα7sとライカA型抽出のElmar50mm。
知人工房製=旧ライカA型抽出のElmar50mm。
撮影日2022年10月31日。初代α7s。その3。
知人工房製=旧ライカA型抽出のElmar50mm。
撮影日2022年10月31日。初代α7s。その2。
知人工房製=旧ライカA型抽出のElmar50mm。撮影日2022年10月31日。初代α7s。その1。
CANON LENS 50mm 1:1.8。よく調査したらばⅡ型です。工房M42改。α7sで撮影。2022/10/22。
以下は前日の2022/10/21夕暮れ。
シルバー鏡筒=M42マウントのTessar 2,8/50。シリアル388****台。
撮影日2022/09/30。α7s。
92歳とは思えない風貌。天恵ですか。渡辺京二、興味ある方はタップされると拡大画像があります。
(朝日さん、ごめんなさい)
文藝春秋10月号の巻頭随筆から。
同名のホンも出てるので図書館に申し込む(現在貸し出し中で予約一位)。
蛇足。ペンタックスのK20DとTAMRONのXR DiⅡSP 17-50mm 1:2.8で撮った絵をもうひとつ。
ペンタックスのK20DにTAMRONのXR DiⅡSP 17-50mm 1:2.8。撮影日=2022/09/07。その2。
台風一過、ペンタックスのK20DにTAMRONのXR DiⅡSP 17-50mm 1:2.8を付けて外に出た。撮影日=2022/09/07。その1。
α7sとROBOT用Tessar 1:2,8 f=3と4分の3cm(工房作固定絞り)で。
以下は使用した工房作固定絞りのROBOTレンズです。ESAOG5cmとUltron50mm_1.8で遊び撮影してます。
知人工房由来のM42Tessar50mm 1:2.8。
これとα7sで。
7月16日。大雨の翌朝。9時過ぎ。α7RとCOLOR-ULTRON50mm F1.8。(工房M42改)
初代α7Rと引き伸ばし用レンズ=シュナイダーComponon50mm F4。(工房M42改)撮影日6月7日朝6時過ぎ。絞りF8。モノクロはPhotoshopでの自前ハードモノクロ。
初代α7RとキヤノンFD35mm 1:2.8。STOK FD-NEXアダプタで。70年代のレンズです。SILKYPIXのノーマル現像。Photoshop CSでは色補正なし。ほぼそのままの絵。いいレンズです。
5月27日。朝6時スタート。時系列。
FD35mmです。
フォクトレンダーCOLOR-ULTRON 1,8/50(工房M42改)と初代α7s。
ズミクロン-R 50㎜。1963年。固定絞り工房M42改。α7R。
ツァイスイコンIcarex35のTessar50㎜F2.8。工房M42改。1月2日の日没前。時系列。
1枚を除いて中央にピラミダルな山がみえる。当地の経ヶ岳(きょうがたけ)。何度も登った山でその親しみからついつい山を据えたシャシンを作る。
元日昼頃、当市のアーケード商店街と周辺。α7sとライカA型から抽出の知人工房製=Elmar 50mm。
暮れにFF=ファイナルファンタジーのコカ・コーラフィギュアをヤフオクで得る。工房製M42改Tessar105mmで撮影。三脚、リモコン、照明使用。マニュアル撮影。1/100sec。ISO-2500。
2022年の幕開け。コロナ禍は終息の気配なし。ライカA型から抽出のElmar50mm。F6.3通し。α7sで撮影。
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初代α7Rとゼブラ鏡筒のCZJ=Pancolar50mmF1.8のM42改。当日の時系列。
ゼブラ鏡筒のCZJ=Pancolar50mmF1.8のM42改。見た目にそれとはわかりません。知人工房作です。
以下は早朝、初代α7RとPancolarで。アバウトF5.6。
ツァイスイコンIcarex35についていたTessar50㎜F2.8。工房M42改。これらはほぼ開放。それでもシャープに映る。α7Rで撮影。午前6:30前後、日の出前。
以下は日中正午あたり。
summi1963、というフォルダをサーバー内に作っている。「ライカレンズの見分け方」によれば、ライカフレックス用SUMMICRON-R50mmのいわゆる第一バージョンは1964年発表1976年まで作られた、とある。僕は知人から頂戴したM42改固定絞りのSUMMICRONをレンズ番号(200****)割り当ての順で1963としている。
レモン社で買った真新しい後期SUMMICRONも持っているがこちらはほとんど使ってない。(笑)以下はα7Rと。
α7sとSUMMICRON-R50mm。(M42改固定絞り)
H.ROUSSELの情報は多くはありません。1920年代のスプリングカメラ(ムービーカメラ)でヒットするはずです。さきほどeBayで検索したらば同じROUSSEL50mm付きのカメラが出てました。SEPTというカメラについてます。そういえば工房で現物のSEPTを見た記憶がある。以下はα7sとROUSSEL50㎜(M42改)。10月初旬。
α6300にハーフ判引き伸ばしレンズのComponon35mmF4(工房M42改)を取り付けたシーン。
左は兄弟分のComponon50mmF4。
以下はこのComponon35mmで早朝6時台。最後は10時半。
初代α7RとComponon50mm F4。(工房M42改)
キヤノン5DMk2とEF24-70mm。F6.3で。
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今季芥川賞の2作を読む。「インタビュー」も。
感じるところがあったので、いつもは読まないの選評も読んでみる。なかに千葉雅也の「オーバーヒート」への評価がいくつかある。現況コロナ下で明日のことは誰にもわからない、いまこのとき、をみんなが必死に(必死さはみせずに)生きている。それを痛切に感じとる。
(7s Componon50mm)
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『現代思想』はコロナ下でも読んでいるがだんだんつまらなくなってきた。「精神医療」はもういいよ、と思うが小泉センセの辛口には溜飲が下がる。
横尾忠則の言は傾聴に値する、と思っている。ツボちゃんもこれはなにやらおもしろそうだ。
さてここはシャシンのブログなので、上からエルマー65mm、ズミクロンR50mm、ミニルックス抽出スマリット40mm。タグを振っている(笑)
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テッサー(Tessar)50mm(5cm)です。左からIcarexのTessar 50mm F2.8。右はベビーイコンタのTessar5cm F4.5。カメラに付いているのは正体不明のテッサー型5㎝。いずれも知人工房製のM42改。
続く絵は初代α7RとIcarex抽出のTessar50mmで。F5.6あたりか。
野暮な説明だが早朝でヒトはいない。覗き一枚目は星乃珈琲二枚目は丸亀うどん。
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AFズームレンズでも50mm周辺を多用していることに気づく。
桜や人肌がきれいに出る、というのはフィルムの時代からうんぬんされてきました。当時の写真雑誌でみた風景作家のベルビア=青空=桜色を、現代人はデジカメのカラーコンセプトでたやすくわがものにできる。
5DMk2とEF24-70mm。補正なし。SILKYPIXのノーマル現像。
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Tessarといえばウチには知人工房製のレンズがいろいろある。提供した知人当人もへーそうだったか、と思うものもあるに違いない。下の絵はイカレックス(Icarex)というカメラ用のTessar 2,8/50。M42改。
以下はこのTessar50mmを初代α7Rにつけて。
さて。当サイト紹介のレンズを使ってみたい、譲って欲しいと思われる方は、
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AGFAのAMBI SILETTE (アンビ シレッテ)というカメラの交換レンズ。標準はSOLINAR50mm。広角がAMBION35mm。(望遠もある)1957年から61年まで作られたようです。
35㎜はAPS-Cとの相性もいい。M42改造=知人工房作は接写もできる。以下はα6300と。
妻が買って読み終えたホンを読んでいる。
工房アイテムのテーブルフォトを。(笑)比較するときはそばにアイテムを添えて撮影すれば間違わない。使用アダプタの長さは異なります。最初はASMBIONで。下はSOLINARで。いずれも開放撮影です。
α7Rとテッサータイプの正体不詳レンズ。工房作=M42改。
妻が買って読み終えたホンを読んでいる。伊藤比呂美は若い駆け出しの詩人のころから知っている。「現代詩手帖」のころから。
α7sとSUMMICRON-R 50mm(工房M42改)固定絞りアバウトF5.6。
(7sとMINOLTA AF50mm 自然光)
しかし記事をきちんと出したければスキャナーです。こないだダイレックスで買ったキヤノンのTS3330はスキャナーとして使える。 IJ Scan Utility(アイジェイ・スキャン・ユーティリティー)で「おまかせ」。この場合はPDFで出力する。賢い。
PDFを少し拡大してスクリーンショットしたのが上の画像になる。エプソン7000Uも不要になる。もうずっと前からこうだったんでしょう。
マスクベルトは当方も注文する。
いっぽう柄谷行人のこれは、IJ Scan Utilityはjpegで出力する。AIの仕分けには感服する。(拡大画像なし)
これを借りました。他は貸し出し中。
初代α7sとMINOLTA AF 50mm 1:1.4 (22)。LA-EA4アダプタ使用。
α7sとSTOKアダプタ+キヤノンEF24-70㎜。ワイド24㎜側の最短撮影距離で。開放F2.8。
モデルはペンタックスのヘリコイドチューブに取り付けたアグファのCOLOR-SOLINAR 50mm。M42改。(工房作)
四隅に陰りがあり歪曲も出ます。左に赤の光源が密になっているのは、ニコノス抽出の28㎜レンズ内に生起した反射です。SILKYPIXの「自動調整」使用。
以下はモデルのCOLOR-SOLINAR 50mmとα7sで。
α7sとM42改=AGFAのCOLOR-SOLINAR 50mm。最初の絵は絞りリングが動いてオーバーF11。フロントガラスの雨あとが写っている。ピントはわりと正確に人物にきている。
以下はアバウトF8。室内はF8、1/125秒のマニュアル撮影。
ポテンシャルの高いレンズ。スナップ撮影でのピント合わせは熟練を積む要あり。ピントが来れば他では味わえない絵をつかめる。いっそ家でのテーブルスナップで生涯を終える、という選択肢もあろうというもの。じっさいコロナは生活の改変こそを迫っている。
α7sとROM付SUMMICRON-R 50mm(1998年)。最初はF4あとはF8。天神にレモン社がきた年に買う。あまり使ってない。レモン社は今もあるのかな。
初代α7sとCarl Zeiss Planar50mm F1.8(工房作M42改)。
兄弟みたいなスナップ。Planar50mm F1.8は真ん中のレンズ。鏡筒から抜け出たベアなPlanarです。(工房作M42改)
以下α7sと。いいレンズです。
α7RとULTRON 1:2/50(工房M42改)。
α7sとTele Kominar 105mm。魅力的なレンズ。
こちらはα7Rと。始めはF4.5、次は開放F4。
さて以下は余談。というかMINOLTA_AF50mmのハナシになりますかね。ニコンマウントのTele Kominar 105mmの姿を、LA-EA4使用=MINOLTA AF 50mmの開放F1.4で撮影すると収差がおもしろい。
(PモードではF2から立ち上がる。よってAvモードF1.4で撮影)
Pモード=F4だと締ってます。
COLOR-ULTRONと兄弟のPlanar 1,8/50(工房M42改)。α7Rと。
α7Rとキヤノン7の50mm F1.8(M42改)。F8で撮影。最後のみ開放。
α7RとMINOLTA AF50mm。LA-EA4使用。
α7RとMINOLTA AF50mm。LA-EA4使用。
奥は新幹線橋げた。(工事中)
初代α7RとSUMMICRON-R50mm。LEICA R-NEXアダプタ使用。
MINOLTA AF 50mm1:1.4(22)と初代7R。今年のリンゴ。緑の黄王。ひと月待ったLenovoのYOGA-SMART-TAB。
M42改造=SUMMICRON-R50㎜(固定絞りF8相当)とα7s。
こちらはα7Rと。うっすらと虹。
初代α7RとminoltaAF50mm。LA-EA4使用。プログラム撮影をするとF4から動く。
左側がCOLOR-ULTRON 50mm、右はPlanar1,8/50。鏡胴むきだしのレンズ。兄弟、というより同じもの(?)。知人工房作のM42改。
以下はPlanarで。
雉はヒトについて来る(ヒトを追ってくる)んですね。駐車しているところまで300メートルくらい伴走してきます。α7Rとズミクロン‐R50mm。
α7sとROM付SUMMICRON-R 50mm(1998年)。F5.6で撮影。アルバムは昭和48年発行。
α7Rと第3ヴァージョンSUMMICRON-R(1998年)。F5.6で撮影。市内で持ち出すのは初めてだと思う。
あけにくい蓋。こんなところに罠がある。α7sとローライULTRON50mm。
(上)α6300+35mmOSSと(下)α7s+ULTRONの比較。どちらも開放。色補正なし。そのまま。