江山楼閉店
特に用事があったわけでもない。
長崎に出る。江山楼に行く。
店はいくつかあるので久しぶりにココウォークに行く。
バスを降り横断歩道を渡る。
エレベーターで5階に。
(今にして思えばエレベーターは5階までずっと一人だった)
降りるとあたりがシンとしている。
人がぽつんといるくらいだ。
あれ?降りる階を間違えたか、と思った。
が、中華模様のミセが向こうにあるではないか。うむ。
そちらに回る。ミセの前のロビーに誰もいない。
何か変だ。以前はごった返しの場所だったのに。
なんだなんだ、江山楼は閉店していたのだ!
2年少し前、諫早でも同じ経験をした。
江山楼諫早店で夕食をと出向いたら閉じていた。
このときも店の前で茫然とした。一人だった。
今日また「再現」された。
いやはや、なんでこんなことになるんだろう?
村上春樹流にいえば、
「そんなもんさ。それがどうした?」ってことになる。
社会実験終了後の有料道路を使って行ったのによ。
ちゃんぽん好きの男はついてない。
まことに「記憶」というのは今ここにしかない。
今ここで更新する、そこにしかない。
「第三の時間」を生きていた。
互いに「位相」の違う時間を生きていた、というべきか。
帰還後ブログ表象するとき、それらは別の容貌=顔貌だ。
別の容貌すなわち新しい時間に生きる。
絶対矛盾的自己同一=西田幾多郎にならえば
作られた時間が時間を作る。
表象にはココウォークでの時間はもはやない。
あそこでのやりきれなさは今の哀しみではない。
それらは分離している。とはいえ親密に(?)癒着してもいる。
追想を過剰に表象する不快を短歌に感じたとき
時間の中に生きるかのようなウタをやめた。
詩や短歌は自分に似合った表現方法だと思っていたが
罠もある。
とまれ江山楼がまたひとつ閉店したのだ。
そうなのです。(笑)
長崎に出る。江山楼に行く。
店はいくつかあるので久しぶりにココウォークに行く。
バスを降り横断歩道を渡る。
エレベーターで5階に。
(今にして思えばエレベーターは5階までずっと一人だった)
降りるとあたりがシンとしている。
人がぽつんといるくらいだ。
あれ?降りる階を間違えたか、と思った。
が、中華模様のミセが向こうにあるではないか。うむ。
そちらに回る。ミセの前のロビーに誰もいない。
何か変だ。以前はごった返しの場所だったのに。
なんだなんだ、江山楼は閉店していたのだ!
2年少し前、諫早でも同じ経験をした。
江山楼諫早店で夕食をと出向いたら閉じていた。
このときも店の前で茫然とした。一人だった。
今日また「再現」された。
いやはや、なんでこんなことになるんだろう?
村上春樹流にいえば、
「そんなもんさ。それがどうした?」ってことになる。
社会実験終了後の有料道路を使って行ったのによ。
ちゃんぽん好きの男はついてない。
まことに「記憶」というのは今ここにしかない。
今ここで更新する、そこにしかない。
「第三の時間」を生きていた。
互いに「位相」の違う時間を生きていた、というべきか。
帰還後ブログ表象するとき、それらは別の容貌=顔貌だ。
別の容貌すなわち新しい時間に生きる。
絶対矛盾的自己同一=西田幾多郎にならえば
作られた時間が時間を作る。
表象にはココウォークでの時間はもはやない。
あそこでのやりきれなさは今の哀しみではない。
それらは分離している。とはいえ親密に(?)癒着してもいる。
追想を過剰に表象する不快を短歌に感じたとき
時間の中に生きるかのようなウタをやめた。
詩や短歌は自分に似合った表現方法だと思っていたが
罠もある。
とまれ江山楼がまたひとつ閉店したのだ。
そうなのです。(笑)