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(α7R,Schneider Pro-Cinelux45mm)

(長文注意)
9月,10月と続いた「現代思想」の特集は重い。読んでいてつい気重になる。こういう事項に関連するどころか「当事者」だからだ。「他者化」などできようもない。「もったもの」にしかわからない、と言えば、障害児(者)を抱えた自分を自らの手で他者や地域から分断することになる。よって、「ノーマライズ」している・されている身振りをする。しかし、と言葉を続けてはならぬ。「身振り」にとどまる。留保する。判断停止する(エポケ)。障害者から元気や希望をもらういわゆる「感動ポルノ」、そんなことは百も承知だ。だがモノ言わぬ留保がすでに我が子を「他者化」していることになるのかもしれない。
まあねあまり詳しくいいたかないが僕自身も障害をもっている。それゆえの「生きづらさ」を日々味わう。実は老齢者には「障害」はすぐそばすぐお隣にある不発弾のようなもんだ。だけど老齢者だから殺されたっていいじゃん、なんてことはない。

さて「現代思想」。いつもは巻頭で「国立療養所」を書いている立岩真也もその手を休め「七・二六殺傷事件後に」を9,10月両号に記載する。かの最首悟は「見えず話さず自分で食べず垂れ流しの」星子さんのことを書き、自分も80歳になった、としかし殺傷事件もアレゴリカルに記す。(なんか彼の心持がわかるような気もするし抵抗もある。10月号)9月号では見田宗介の「走れメロス」(太宰のじゃないッスよ)が圧巻なのだが、「特集」に押されてかすむ。霞んではいるが、やはり静かに押し寄せ、ついに圧倒する。きわだってシリアスな9月号と10月号だ。

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