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 池内紀訳新編集「ミレナへの手紙」。その書評。(朝日新聞)
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 カフカの魅力は小説に尽きない。『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールの『書簡』と並び、カフカの『日記』と『書簡』は世界中で作家たちに読まれ続けてきた。
 手紙という私的な文章ながらも、そこには創作行為の普遍的な真理があらわにされているからだろう。(書かれた言葉)と(書く自己)への深い懐疑、(書くこと)に対する徹底的な謙虚さである。
 この謙虚さが自己と他者への辛辣さへと至るフローベールと違い、「流刑地にて」で囚人の身体に文字を刻む拷問機械を措写し、他者からの賞賛を拒む「断食芸人」を書いたカフカの場合、厳しさはただ己へと向けられる。(書くこと)も(恋すること)も(生きること)と同様に巨大な「不安」の源でしかない。
 本書に収められた恋文の宛名人のミレナは、ジャーナリストで翻訳も手がけていた。カフカの作品を訳したいと二人は出会う。作家は一回り以上年下のこの才女に惹かれていく。その証拠に手紙の数が増えていく。返事が待てない。一日に何通も手紙が書かれる。このあたりは、恋人からメールの即レスがないと居ても立ってもいられない現在の恋する若者も同じか。
 しかしミレナは人妻でウィーンに暮らし、プラハ在住のカフカは結核を病み、婚約者もいる。緊張と障害だらけの恋は一筋縄で行かない。返事がなければ不安だが、あればあったで内容に動揺する。
 心を静めようと手紙を書く。だが逆効果だ。手紙を書くこと、つまり(書くこと)はどうしても己を欺いてしまうからだ。真実には「血が通っていて、だからたえず表情を変える」。それを言葉でどうやって捉えられるのか?
 我々と違い、その事実に鈍感でいられなかったところにカフカの悲しさと美しさがある。我々がカフカを読むのをやめられないのは、「いちばん深い地獄にいる者ほど歌声が清らかだ」からだ。

 評・小野 正嗣 作家・明治学院大学准教授
 池内紀訳、白水社・3465円/Franz Kafka 1883~1924。チェコの作家。(引用終わり)
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