" href="http://hisaaki.net/mt/cgi-bin/mt-search.cgi?tag=%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86VR&Template=feed&IncludeBlogs=2" />

Results tagged “プレステVR” from 新地のドゥルーズ

長文注意。
「大丈夫。火はついとるから、心配するな。今は燃え上がるための準備をしとるだけや。煙がずっと続いているやろ。火のないところに煙は立たん、言うやないか」
「血のないところにちんぽは立たん、言いますね」
「あのな、お前な、そういうこと以外に考えることないんか?」、三宅さんはあきれたように言った。
村上春樹「アイロンのある風景」

僕はしばらく村上春樹を読まない時期があった。ここ数年「その間(かん)」の読み物をもっぱら古本で集めて枕元に置いている。あれこれのホンを手にしてはあっちゃこっちゃを拾い読みする。気づいたことがひとつある。「アイロン」にもあるように性的表現が一見して「露骨」というかストレートに出る。何も「アイロン」に限ったことではない。名古屋の広い道路(どうしてあんなに広いのだろう)の中央分離帯の草ぼうぼうで付き合ってきた女の子のアソコを思い出す場面とかね(東京スルメクラブ。確か、あったでっしょ?)。
「アイロンのある風景」は1999年。「震災後」の物語。(もちろん阪神・姫路地震)。村上=40代最後あたり。知性のある作家が作品のなかであるとはいえ「ちんぽ」なんて率直に描くことに、しかしほとんど抵抗がない。これがノーベル賞作家=大江健三郎であれば「ペニス」なのだが、血のないところにペニスは立たん、じゃサマにならない。w。
さて。「アイロン」は『神の子どもたちはみな踊る』のなかにある。所収の筆頭は「UFOが釧路に降りる」という秀逸の作品。そのなかにこんな箇所がある。

小村はコーヒーに砂糖を少しだけ入れて、スプーンで静かにかきまわした。そして一口飲んだ。コーヒーは薄くて、味がなかった。コーヒーは実体としてではなく、記号としてそこにあった。

先日はじめて入ったコーヒーショップで「記号コーヒー」の経験をした。たまたまこの箇所を読んでる最中のできごと。思わず「記念撮影」。偶然だけどボブ・ディランが文学賞をとった日(ということは村上春樹がとり逃がした日ということだ)『神の子どもたち・・』をバッグに入れて博多に行った。OIOIのこの場所も初めてというわけだ。(すべて7s,EL-NIKKOR40mm)



噂のVRを見に天神のソニーショップに。博多も天神もかぼちゃだらけだ。





制服(コスプレ?)で装った背の高いきれいなお姉さんがふたり、中年のデブった男性の相手をしていたが、中年男はただゴーグルをつけて体をくねくねしていた。Webで予約した者のみ体験できる旨の表示があるが他に客らしい姿はない。店内にはカメラ、スマホ、PC, 4Kテレビと勢ぞろいなんだが肝心の客がまばら。爺さんが(おいら)入っても誰も気づこうとしない。(最後まで声もかけてもらえなかった、うん。w)ああ、かつての「世界のSONY」はここまで凋落しているんだ、と身をもって感じた。寂しいじゃないか。ニッポン変だよね。4年先のオリンピックに踊っている場合かよ。働いている派遣社員にちっとも気合を感じない。あ、爺さんがきた、と気づく店員がいない。店全体を見回すコンダクターがいないのだ。150万もするようなレンズを並べているのに団塊世代の爺さんのハートを掴めない。ありゃダメだね。こんなかっこうしてたからかな。どうみても上客にはみえない。

photo pages

photos

地上の夜の天使たち

タグ