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Results tagged “フーコー” from 新地のドゥルーズ

長文です。
昨日の記事(朝日_2021年2月20日)。朝日さんスキャンご容赦ください。



県立図書館をサーチすると、ある。さすがだ。まだ誰も借りてない。すぐに出かけて借り受ける。哲学棚に配架される前の新着棚から。
11時ジャスト。土曜日。すでに閲覧席はひとつおきに満杯。高校生に席巻される県立図書館。

フーコー検索でここに来られた方、ここの主(ぬし)はシャシンをもたしなむ男で、今朝は(今朝も)ボツ記事だと思います。すまんこってす。
さて。日頃よりフーコーを読んでる向きには上の記事はすでに耳になじんだことどもです。やっと出ました、というわけです。原型フーコー、翻訳者、評者、記事を読む我、それらを一本貫いて手渡される現象のこれは何というんでしょう。
ドゥルーズもそうですが、僕にとってフーコーはかけがえのない思想家でした。そう思ってしまう気配があるのです。フーコーが生きた年月を越えたあたりからは当の自分も変容していることに、あとになって気づきます。こんなことを言っちゃあなんですが、フーコーは実に愛おしい男です。やってることが真摯すぎて可愛らしい。(と、こんなことをぬかすのは70過ぎの爺の横着な特権です、これまたすまんこってす)

僕はこの日はα6300に知人工房作のベアなM42改=Planar 1,8/50(1,8です)を持って出ました。図書館現場でセルフタイマやりました。リモコンもなしに思い付きです。レンズの首が垂れるので小銭入れを当ててもたげる。Mモード1/125 ISO2000で一発で決めました。ワンショットで決められたら気持ち良くなりました(笑)

記事はPC拡大画像で読めます。(W=1872pix)
(Canon 5Dmk2 EF24-70mm)



朝日。夏の集中講座「ミライ×ヒト」最終回。村田沙耶香。

①記事のなか、女性のしんどさ 原動力、の「性欲の発散が必ずしもセックスじゃなくていい」以降の言説に注目。

②参照記事
千葉雅也=「消滅世界」の評(2016年)

③現在僕の村田沙耶香体験は、『コンビニ人間』『しろいろの街の、その骨の体温』『殺人出産』にとどまる。
若い村田沙耶香の文学はフーコーの『性の歴史』的系列とは異なる。むしろ現代の医療=遺伝子革命と生殖、そして来るべき人間(民衆)にかかわることのように思う。すなわちこれはドゥルーズに連なる現代の「思想」です。興味をもって見守っている。


うーむ。
どのような経緯からこんな「生」(表明がトピックとしてマスメディアに取り上げられなければすまされない「生」)を引き受けることになるのだろう。
①社会の諸関係上のこれは避けられぬ「受苦」なのか。これでは社会の効果として、勝間和代は生き続けなければならなくなる。(消費されるだけになる)
②そもそも朝日新聞社はなぜこんなことを記事にするんだろう?どんな個人も「表明」させられてはならない。(著名人に表明させるのがマスメディアのシゴトといえばそれまでだが)。「その件については表明いたしません。ごめんね」で打ち切ればいいのにねえ、勝間さんできなかったんだろうか。
ブログに笑顔の写真が、うんぬん、そんな問題じゃないでしょう、朝日さん。よーく考えてごらんなさい。ここで問題なのは「残余」でしょう。
③彼女は生活のいちいちを露わにしたのではない。むしろことがらは奥深く沈潜したんだ。大事なことを隠すために、触れられたくない聖域を守るため「表明」してるに過ぎぬ。バカだねえ、そんな気持ちも読めないのかなあ記者は。
④覚えてますか。加藤茶の「アンタも好きねえ」。
勝間さん、アンタも好きねえ。でもなんだかシアワセそうですね。と、いうことで済まされるできごとだと僕には思える。
いいじゃないか。女が女に惚れる。男が男に惚れる。昔からあります。フーコーの『性の歴史』をみよ、です。
『オリエンタル風の衣装をまとった若い女』1871年。フーコーの『マネの絵画』にも出てないのじゃないか?(確かめたわけではないが)
九州国立博物館=ビュールレ・コレクションに出たイッピン。胡乱な眼差しが実にマネです。

「マネの絵画」フーコー

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 阿部崇の訳者解説によるとこうである。
フーコーはマネに託して何を語っていたのか、語ろうとしていたのか、そして何故その書物を放棄するに至ったのか。セゾンによる本書序文にもあるように、そうした話題をめぐってひとびとは推測を繰り返し、フーコー自身はそれに沈黙を守ったのみならず積極的にその記録を封印したこともあって(1970年に日本で行われたマネに関する講演についても、フーコーはのちにその記録の処分を命じたという)、伝説は根強く残り続けた。(引用終わり)
なるほどそうであったか。小林康夫は1970年秋、東京日仏会館での講演に二十歳の時に接した、と書いている。(「空虚の上に足をのせて・・)けれどその要約のテキストすらないわけだ。『マネの絵画』を「監禁先」までもってきた。もう一度アタマから読みなおすために。

メディアモール天神店で
半ばウトウトしながら
「6性の選択、性の行為」を読む。


(NEX-7/Gnome-Wilon 1:4.5/50 will,Wetzlar)

少し熱めに、と注文する。
するとスレーブには上記のような「落書き」。
エックス(エクストラ?)ホットのラテ、
ということかもなあ。
クッキーは持ち込み。

さて。
『臨床医学の誕生』の翻訳者=神谷美恵子のWikiに
意外な(でもないか?)記述を見た。

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著書で理解しがたかった箇所について尋ねたところ、
フーコーはあれは若書きであり云々と語り、
美恵子はその言葉に驚いている。
美恵子と同じく
文学の素養を有する精神科医である中井久夫は、
フーコーの思想は神谷美恵子が取り組むほどの価値を
有していなかったのではないかと記している。
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なんか微笑ましいですね、この時点では。
ドゥルーズが『フーコー』を著した動機や必然と
神谷美恵子の様態とはかなり開きがあるんだろう。
『臨床医学の誕生』からはるかに後年、
「6性の選択、性の行為」は1982年。
2年後にはフーコーはこの世を去る。
自身の「疾病」について認識はあったのだろうか?

スタバに陣取ってとりとめもない想像をする・・。
「6性の選択、性の行為」の衝撃波の強度については
また日を改めて触れよう。
よって本日のとりとめなさのかなめというのは、
かの will,Wetzlarなのです。
(横800拡大画像あり)







これって「引き延ばし用レンズ」なんです。
感心しますね。
Photoshop CS5.5現像/Web用保存。特段の処理なし。

生きる技芸

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(NEX-7/Summaron f=3,5cm 1:3,5/SILKYPIX/ at Kobe)

正倉院展(奈良国立博物館)
興福寺国宝館展
エル・グレコ展(国立国際美術館)
北斎展(大阪市立美術館)
大エミルタージュ美術館展(京都市美術館)
ザ・大阪ベストアート展(旧出光美術館大阪)
マウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)

奈良・大阪・京都・神戸、と歩く。
何度言ってもいいが、人には旅に出る必然性はない。
まったく、ない。
しかも人は旅に出る。
そうすることで定住地を後にする。

シニフィアンとか記号とか象徴とかいうものなのか、
人の精神と身体に帯電するのは。人はそれを放出しなければ
おさまらないようなのだ。よって動くのだ。
磁場は鎮まるかのような偽装をとる。
その節は、人は水面から顔をだした時のような
新しい空気を吸う。しばし平面を歩く。
やがてふたたび襞が生じ波動があらわれる。
差異と反復が人の現働なのであり生の技芸なのです。

生の様式

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いま説明した線は死に直結しているし、
激しすぎるばかりか、速度も大きすぎる。
これは、呼吸もままならないほど希薄な
大気のなかに私たちを引きずっていく線なのです。
この線は、ミショーが放棄したドラッグのように、
思考をあとかたもなく破壊してしまう。
エイハブ船長の「モノマニー」と同じように、
もはや狂気や錯乱以外のなにものでもなくなる。
だからこそ、線を越えることと、線を生き、
活用し、思考することが、同時に必要となるのです。
可能なかぎり、そしてできるだけ遠くまで見越して、
線を生の技芸につくりかえること。
線に挑みながら、もう一方では逃走し、
わが身の保全をはかるにはどうすればいいのか。
この問いが立てられたとき、
フーコーが頻繁にとりあげた主題が表面に出てきます。
(ドゥルーズ『記号と事件』)

私たちは「生きる様式」をあみ出しながら
ひしめく差異を生きる。思考する私は何か線を意識し、
その線に沿うような、あるいは越え、踏み外すような
具合に生きる。構造のただなかにいながら、
属性と様態を一挙に生きる。微分的で即時的な
応答の中に生きる。

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