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スーパーイコンタⅠ(Super Ikonta 530/2)は1934年発売開始。レンズはテッサー10.5cmF4.5。工房M42改で。α7sと。逆光にはさすがに弱い。長いヘリコイドチューブを使えば接写もできる。撮影日2022/09/04。











テキストはスキップしてかまいません。
美の概念は脳内のどこぞかで瞬時に発生するものなのだろう。アーティストのいう「美しい」は養老孟司によれば大脳皮質には直接関係のない恐らくは「下位レベル」のものだ、その正体はわからない、と。僕もそうだと思っている。まあねだから始末におえないわけです。
僕はスピノザの「情動」も同じものへの言及だと推測してます。それが行動の動機につながる。そして動機すなわちモチベーションは倫理と深く結びつく。そこらへん(実行に移すあたり)では大脳皮質で検討され整理されてもいるかもしれない。もちろん大脳皮質の反省的な考察もなしに街に飛び出して、「誰でもよかった」事件もある。
ハナシを戻せば、「美しい」の発生は幻想と同じです。まあ妄想と同義ですかね。w
情動的なのです。スピノザの「エチカ」はヒトの情動を考える。だからこそ「倫理」なのだ。
今日なんかの僕の行動倫理はこうです。ペンタックスベローズにつけたテッサー10.5cm/F4.5をSONYのα7sに組み、小さなバッグにぎゅう詰めにして家を出る。w









これは朝の庭。





1930年代のスーパーイコンタのレンズです。俗に「招き猫」の中でも、テッサー10.5cm_F4.5は数が少ないそうです。M42改造のこれがベローズの先端で先のピクチャをもたらすわけです。そんなことを回想すること、すなわち脳内の出来事なのでしょう。
これでやりました。α7Rとスーパーイコンタのテッサー105mm。当地もそろそろですかね。ずいぶん遅れています。









イコンタでWikiすれば、歴代のカメラがわかります。
知人から頂戴したレンズはそのなかでも最初期のものと思われる。レンズはとてもきれいです。
Carl Zeiss Jena Tessar 1:4.5 f=10.5cm。



このようにM42リングを継ぎ足してもいいのですが、撮影すると中央部にフレアが出ます。で、SONY=α7sとペンタのベローズに装着。(撮影:NEX-7,E1.8/35 OSS。危険すぎる。w)



これで撮ります。







シャープです。ちなみに最初の絵は、最後のモデル、シュナイダー Durst Componon 1:5.6/105mmで撮っています。寄るとケラレが出るのでトリミングしてます。同じ105mmでもムードに違いがありますね。

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