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Results matching “sonnar 85mm” from 新地のドゥルーズ

CONTAREX Sonnar 85mm F2

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SONYのα7sとCONTAREX Sonnar 85mm F2(M42改造)です。絞り形状が中央にみえます。横には少年が立っている。
秋の空はCCDゴミの検証も兼ねて。









Ricoh Auto 35Vというカメラらしい。

リコーイメージング公式サイト

撮影はα7s+CONTAREX Sonnar 85mm F2(M42改造)。自然光。
コンタレックスのSonnar 85mm F2は稀有のレンズで描写は折り紙付きです。
上の絵では、拡大画像でお分かりかと思いますが、銘のKOMINARにピントを置いてます。
ヤフオクで100円でゲット。知人に改造を依頼します。レンズは小粒で銘には品格すら感じ取れます、というのは持ち上げすぎですかね。楽しみです。当サイトでCONTAREX Sonnar 85mm F2は、

ここで知れます。
コンタレックス ゾナー 85mmとα7s。IDC現像時の撮影情報。



開放。スニゲータの歯に拡大ツールを使わずピントが置ける。



Nr.2624***のゾナーです。M42マウント改。開放ではバルサム切れの痕跡が浮いて見える。撮影状況が特殊だからねえ。ISO1000に上げて少し絞る。まさに賞賛のゾナー。



翌日のもの。Componon35mm(引き延ばし用)をつけたNEX-7を。午前室内、自然光。



右下の濃い青はPCのインジケータ。おっと!バル切れが見えますね。アートは差異、そして反復です。はい。w
長文注意。
2016年3月24日のこと。TVをつける。センバツ高校野球。校歌をうたってる。
「創志」と胸にある。知らない。
僕は聴こえが悪いので、TVを「消音」モードで見たりする。
いつもそうだというわけではないが、このときもたまたまそうだった。
校歌の歌詞が画面に出るが、フツーのうたとは全然違う。美的な詩なのだ。(メロディーは聴いてない)
で、検索。
おお、小川洋子が作詞してるんだ。ふむふむ。なるほど。

星が生まれる 地平の果ての
誰も知らない  静けさの中
目を伏せないで 腕をのばして
そこにある夢をつかもう
星の輝き 胸に浴び
心震わせ 今、ベルが鳴る
その響き伝えるのは君
永遠に消えない
喜びの響き

さて。
α7Rにコンタレックスのゾナー85mm2.0。
(コンタックス=CONTAXではありません、念のため)
昨日撮ったホテル裏の桜蕾の場所に行ってみる。
午前9時半。朝の光が裏にもまわっている。



けっこう絞っている。以下は中央右辺に点在するゴーストにみる絞り形状。(等倍です)



ちなみに前日夕方、LINHOF95mm3.5で同じ場所で撮ったのは、これです。



西日で壁面や蕾に光がきている。
同じ場所の様子の違いがサムネールでもわかる。
人はつくづく「差異」を生きている、と思う。
右側の黄色いのは隣家に咲き誇るレンギョウです。




3月3日。天気がよくなった。日中は18度になるとの予報。
出窓に置いてるシクラメン。上はα7sとAngenieux 35-140mm TYPE LA2で。60mm/5.6。
下はα7sとCZ Sonnar85mm2.0で。絞っている。
オールド・レンズ独特の雰囲気。
左側の光は隣家のワンボックスカーの屋根の反射。
見田宗介「現代社会はどこへ向かうか」(2015年版)を読むと
ヒト科の生物がもうすでに「曲がり角」を揺れながらも経験している、それも衰退もしくは破局のベクトル上を・・と、思えてならない。
ちょっとウツになってしまう。
僕は爺だからもう見て見ぬふりを決め込もう。
(7s,Sonnar 85mmf2)

Contarex Sonnar 85mm2.0

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α7sと今日のContarex Sonnar85mmf2.0。
空蝉以外は補正なし。













Contarex Sonnar 85mmf2.0

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Contarex Sonnar85mmf2.0。

NIKKOR-H 48mmf2 Windows10

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NIKKOR-H 1:2 f=48mm(Mマウント改造)の記念撮影。
こんな絵をすぐにも作りたがる変な男だ。w
α7sとSonnar85mm f=2(Contarex)にて。

閑話休題、拡大画像でわかりますが、Windows10のタスクバーに
新しいブラウザであるedgeのほかになじみのIEもありますね。
これは「すべてのアプリ」→「Windows アクセサリ」に折りたたまれて(隠されて?)います。
それを「タスクバーにピン留め」しています。
昨日、知人のPCにWindows10の手動インストを実施しました。その際この措置を実施。
帰宅後自分のPCにもやりました。

もうひとつ。
古いマシンはアップグレードのフラッグがたっても、結果は「すいません」と断られます。当たり前だといえばそれまでだが、思わず笑いました。
そんなら「案内」するなと言いたいかもしれませんが、
KB2952664やKB3035583、それにIE11のなせる自動的な罠ですから、白いフラッグがたつことは仕方がないのです。

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タケモトピアノ来る

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タケモトピアノにピアノを引き取ってもらう。絵はα7R/E2.8/20mmをトリミング。



これは引き取り前に、α7R/Sonnar 85mm2.0でお別れ撮影。

Contarex Sonnar85mmf2

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(α7s/Contarex Sonnar 85mm f2)

Windows10の新ブラウザー Edge(エッヂ) のアイコンが見えます。
目測でLINHOF TECHNIKAR 95mm 3,5の銘板文字列とタスクトレイの位置を同じ距離にしたつもりだ。が、ピントがズレていますね。(拡大画像)
それにつけても、Contarex Sonnar85mmは神がかりのレンズなのです。はい。

又吉直樹 『火花』

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『火花』。今季の芥川賞を読む。又吉直樹という芸人さんだ。
うむ。一気に読んだ。

「東京には、全員他人の夜がある。」

いいねえ。ポエムだ。


(α7s/Sonnar 85mm f2.0)




上がリンホフテヒニカ95mmF3.5。下はゾナー85mmF2.0。
ピントは中央のコダックAPSエクタナー、
EKTANAR 24mmF6.4抽出レンズに。

で次はそのコダックAPSエクタナーで。すべてα7sです。

Sonnar 85mm f2.0 M42改

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 ゾナーといえばコンタレックス(Contarex)の85mmF2を思い描く。
いい印象をもってます。
むかし、コンタックス(Contax)G系の90mmF2.8てのを使ったことがある。
そっちはどうということはないのですが。
(いま使うと違うかもしれない)

さて、α7s+知人製作のアダプタ+Sonnar 85mmF2。最短撮影距離で。
(拡大画像あり)







SS優先の1/125で切る。
合掌面を少しずれるだけでアウトフォーカスとなる。
絞り羽根の形状がみえます。
差異を生きるハイな気分だけで撮っている。w
 川島小鳥・谷川俊太郎=「おやすみ神たち」のハナシ。
下は7R/Sonnar85mmF2で撮ったホン。
迷ったが、なんとなく気に入って買ってしまう。
(いずれも拡大画像あり)



そして次はパンフレットをエプソンの7000Uでスキャンしたもの。拡大してご覧あれ。
クールですねえ。動きがあるのに静謐。



この絵、会場ではこんなふうに展示されていた。



 モデルの少年は自転車で左にフレームアウト寸前。
一方、中央の鶏は右方向へ逃げて行く・・まさに瞬間の絵だ。
出来事に臨場した写真家だけに与えられる特権的な絵です。

撮った刹那、作家はグッときたよね、これ。
主役は少年でも鶏でもなく、降臨した「出来事」だろう。

んで、僕はこのトリッキー(鳥ッキーw)な鶏に寄ってGR28mmしたもんだ。

ゾナー85mmF2 改造

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 コンタレックスのSonnar 85mm F2.0改で撮影。

写真は先日ヤフオクで落札したブツ。
たまたま集中して5個も落札することになった。
落札日はばらばらだったが、全品が同じ日に家に届く。偶然もすごいもんだ。
定型外郵便もあるが、1日に5個も受け取るとちょっとね。
そのうち2個をMLB中継をバックに記念撮影。w
上がKodakのPONY828、下が小西六のKoniletteというわけです。
レンズを取り出してα7用に改造します。

もし僕が喫茶店の主人なら、アンティークな置物として飾るのもいい。

Contarex Sonnar 85mm F2

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ときどき夜中の2時とか3時にPCの前で過ごしたりする。
睡眠トラブルの一種でしょうな。
レンズを取り出してテーブルフォトをやったりする。
これは、Contarex Sonnar 85mm F2改での撮影。背後のボケで独特の絞り羽根形状がみえる。
あれはPCのインジケータです。

ピント部の等倍をお見せします。
下のサムネールをダブルクリックしてください。
デジタル宇宙の世界です。w



さて参考までに、そのSonnar 85mmF2改についての、
今日の記事を含む過去記事はここにあります。
よって今日はこのレンズについては申しません。


朝になり、「日の丸」構図で庭の花を撮影。











お詫び:入手時の設定のまま7sを使い、カラーバランスが不自然です。(色温度が低い)
「色味」やカラーバランスについての記事は全面的に撤回します。
「設定リセット」を施して現在は正常に撮影できています。申し訳ありません。

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(α7s/Sonnar 85mm f2 拡大画像あり)

 Ⅲfをモデルに、オールドレンズ Nr.262****系のSonnar 1:2 85mm_M42改で撮影。やはりMINOX35ELより風格があります。w
拡大画像で軍艦部の質感が感じられる。
7sスタンダードの色味をあえて補正せずにそのまま記載。PCのインジケータのカタチにはレンズの特徴のある絞りの模様がみえる。
外出がなくてもこうした「遊び」はできる。眼窩(がんか)前頭皮質がイキイキしてくれば、シアワセ度は増してくる。w
 Hektor7,3cmとSonnar85mmf2の比較。
 まずは現物をごらんあれ。拡大画像はα7Rのサイズの1/4、横1840です。ちょっと大きいです。はじめがヘクトール。次がゾナーです。





 ピントは中央のSanDiskのSDカードに合わせてチルトアップしています。マニュアル撮影です。SS=1/125。絞り開放。露出は背後のバルテュスの絵で取得しHektorがISO=400、Sonnarが500。Hektorの最短撮影距離で撮影し、Sonnarの位置はそれに合わせました。
 それぞれをモデルにして撮ってます。Sonnar85mmf2も知る人ぞ知るいいレンズです。知人の手になるmodified lensです。1969年のSony TV ZOOM LENSの鏡胴に収まっています。ちなみに右端クロームの鏡胴がContarexの「抜け殻」です。
ここに僕の前記事があります。(今日の記事を含む)

 さて諸氏よ、これらは早朝、室内の至近距離で個物を撮影したものです。y = f(x)の記述で関数fから導かれるxの写像がyです。その「関数」が少ないので参考になりません。これで早計な「判定」をなさらぬように。単なるテーブルフォトです。ヒマですからね(笑)。これが好きなんだからしかたない。

Sonnar 85mm f2

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(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 f=85mm)

 開放で撮影。中央花芯部、花弁部の100パーセント拡大画像は下のサムネールをクリックしてみてください。



Sonnar 85mm f2.0

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 「何が見えるかを語っても無駄だ、見えるものは決して語るもののうちには宿らないのだから。」
 (フーコー 『言葉と物』)
 僕の場合、いま生きているここ(現働の場)での様態にはつねにこのような知のバイアスがあるのだろう。フーコーの知が内在化しているというべきか。実のところ「なんでそうなったのか」というのはヒトには説明できないのが本当のところだ。
 スナップ・街撮り中心の僕が定点観測やテーブルフォトに足場を移した・・ようにもみえる。が、まあこれはひとりごとです。あれこれぬかせば「プチ物語」すなわちレシになる。昨年11月にソニーという誰もが知るメーカーからα7Rというカメラが出た。これは僕に何かが起きるな、と直感したがまさにその通りであった。僕の心身は「外」に対してよくもわるくも率直に反応する。かつて「カメレオン」とか「あじさい」とかのあだ名を頂戴したのも根拠があるわけか。

 α7Rと知人譲りのレンズ個物のアレンジメントが、近頃の僕のシャシン時様態を決定付けている。うーむ。おそらく二桁になるだろう数の個物を得る。それらを用いてα7Rの100パーセント拡大解像力の視覚的で深遠な領域で遊んでいる。レンズ個物は28mmからせいぜい100mm前後までのもの。世に「オールドレンズ」と称されるものばかりだ。
 僕は昔、京セラ=コンタックスG1のSonnar 90mm を使ったことがある。AFが不良だったのか「ピント」を得た実感がまるでなかった。失望の経験しかない。まあ一眼レフでも90mmで開放、至近距離でピントを得るのは難しい。ファインダが優れていてもいざレリーズの段階で体が数センチ揺れるとピントはズレる。その前に本当にピントがきていたのかどうか検証のしようがない。検証用に4つ切りプリントを何十枚もラボに出すということは不可能だ。G1のSonnar 90mm に失望して二束三文で手放した。
 そんなコンプレックスを一挙に吹き飛ばしたのがデジタルの技術だ。フーコーにならって、見えるものを語る無駄を省き100パーセント画像(部分)を見ていただきましょうね。アンチョコな絵ですが。ドキッとしますよ。撮影フレーム全体を横1472ピクセルの拡大画像。次にピント部の100パーセント画像(横7360ピクセルの一部)です。


(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm/SILKYPIX)


(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm/SILKYPIX)

 逆さの「Maid in Germany」がピント位置です。下の絵をぜひ拡大してごらんください。鏡胴に横筋の意匠が見えますが、このデザインは個物を手にとっても肉眼では見えません。そんなものも写るのです。ヒトの知覚をやすやすと凌駕します。撮影距離約40cm。1/100秒のシャーッタースピード優先。絞り開放。ISO=160。SILKYPIXで現像。以降の処理はPhotoshopCS5。Web用保存(品質85)。アンシャープマスクなどの加工処理はしていません。

Sonnar 85mm f2.0

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(α7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm/SILKYPIX)

 ベラスケスの目に教皇インノケンティウス10世はあのように見えた。それがベラスケスの「認知」である。たとえそれら諸知覚の総合が「誤認」であっても、ベラスケスの剔抉の瞳にはそう見えた。ところで露出がアンダーすぎる上のシャシンですが、実際にヒトがレンズ鏡胴を見つめても網膜にはこんな絵は結ばない。この絵は人為が投入されてのことではあるが、レンズ個体とカメラ、そしていまこの透過的なモニタ画像をもたらす現像用アプリケーションのなせる業である。ぜんたいシャシンの絵はそもそものはじめから「真」ならざるものだ。ヒトの知覚とは別物だ。なのに「写真=真を写す」とはなんという皮肉な言い草だろう。まだしもベラスケスの描く教皇のほうが「真実」に近い。被写体がどうとか、テーマは何だとか、事実をどう切り取ったとかうんぬんかんぬんの前に、この偽絵の出現が「出来事」となる。偽絵とはちと穏やかではありませんね。ご容赦を。だが僕には「偽絵」がなんとも愉しいのである。
 話は横道に逸れニュアンスは少し違うが、シャシンはキャパが従軍して命がけで撮った「真実」から遠く離れてしまった。もっともキャパの写真をシンジツというには括弧をつけなければならない。「真実のふりをする」のがシャシンなのです。これはキャパに限らずあらゆる報道写真あらゆるドキュメンタリに分け隔てなくいえることだ。ピクチャーとそれを見てのイメージにまっとうな道筋はない。絵はどのようにも理解されうるものだ。
 レンズはいかなる被造物の力にも屈せず描写する。Carl Zeiss Sonnar 1:2 F=85mm というレンズで元それが収まっていた鏡胴を撮影している、と説明すればそこから「レシ re'cit」=物語が加味されるだろう。イメージが増幅するかもしれない。説明抜きの場合とは違ったイメージになる。だが、レンズはいっさいの物語を拒否して映し出す。拒否して、というのは、レンズは正体を明かせば見事な表現をする、というものではないからです。(笑)。
 いっそ物語を明かさないがいいのかもしれない。これは課題ですね今後は少し考えてみよう。フランシス・ベーコンはベラスケスの実物を見ずに写真(あるいは図録)と「戦艦ポチョムキン」の女の叫びをネタに一連の教皇の絵を描いた。しかし見るものがそのレシを認知したのちにはそれを忘却してイメージすることなぞ不可能になる。あれれ、迂回が複雑になった。いったん筆を置こう。

 さて。この絵のようなオブジェをたとえばA3とか半切大で30枚ほど並べてそれは見世物になるであろうか? これを問い立てしたかったのです。ああ回りくどい。諸兄はいかが思われますか? そりゃないよ、といわれますよね、きっと。うむ。ではなぜでしょうか? あまりに安直だから? テーマはね、「発明」ですからどうでも成立します。 シャシンって御大層なもんじゃない、とアラーキーは言うが、だからといって安直でいいやと宣言してるわけではない。シャシンと宣言した場所にシャシンが生まれるのかもしれない。敬愛してやまない深瀬昌久のシリーズ「ブクブク」はちゃんと写真展(見世物=催し)をやっています。もっとも彼は会場には出向かなかったということですが。
深瀬昌久については、ここです。

Carl Zeiss Sonnar 1:2 f=85mm

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(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)

 Carl Zeiss Sonnar 1:2 f=85mm を少し絞って撮影。これもお辞儀をしたくなるような個物だ。フィルム撮影ではとてもこんな精確なピントは取れないのではないかと思う。横1472pix の拡大画像あり。

藤田嗣治書簡-妻とみ宛

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(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)

 「パリ留学初期の藤田嗣治」研究会の手になる『藤田嗣治書簡-妻とみ宛』全4巻を通読する。これはやはり第一級の資料だ。借り受けの期間はあと1週間ほどある。まだ繰り返し目を通すことはできる。ところで。上の絵の奥にあるのは「ユリイカ」2006年5月の特集号だ。その中にはこの書簡集の編纂に深く携わった加藤時男氏の論考もある。そこで僕は、氏に頒布用の資料がいまだ残っているかFAXで問い合わせる。残余はないという返事であった。いたしかたない。当地の県立図書館をわが蔵書と見立てて、藤田書簡に会いたければ借り受けすることにしよう。それも「夢」がありそうだ。
 閑話休題。県立図書館が僕の住む街に移転するという。生きているかどうかはわからぬが、老いた僕が藤田にまた会いたいと足を運ぶかもしれない。実は、新しい県立図書館はここに建つのでは? と僕が密かに想像する場所がある。そこまで歩いてゆく日が実現するかもしれぬ。
 昨今書物に限らず、モノを増やしたくないという気持ちが強い。にもかかわらず僕の所持品はまだ増え続ける。藤田にかかわる書物や図録もまだ増えそうな予感がする。これも「いたしかたない」。「いたしかたない」ことは受け入れるしかない。

 藤田が永遠に日本に見切りをつけてパリに戻るのは彼が64歳のときである。今の僕と同じトシだ。どんな思いであったろう。
 近藤史人の年譜にはこうある。「1950年(昭和25年)64歳。2月、パリのサン・ラザール駅に到着。美術雑誌は『かつて一時代の中心だったが今はひとつの大通りでしかないモンパルナスに一人の亡霊がやってきた』と、書いた。」

 日々は流れる。藤田がいまゆくりなくここに到来し、挨拶をしておもむろに立ち去る。出来事とはそういうものだ。そして再来(反復)しおそらくは新たな「出来事」があるのだ。

color ULTRON 1,8/50

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(NEX-7/E1.8/35 OSS)


(α7R/color-ULTRON 1,8/50)

 (上図)フォクトレンダーのcolor-ULTRON 1,8/50は1970年代にシンガポールで生産されたのだそうだ。"Carl Zeiss Planar 50mm F1.8 Made by Rollei"と双子の兄弟なのだそうだ。プラナーがウルトロンをまねたというが真偽はわからない。でも個物の前キャップがRolleiであるところをみれば(見にくいかな)権利はRolleiにあったのだろう。そういえば譲り受けの時、知人は前キャップは純正ですと話していた。不思議に感じたが、事後調査をすればなるほどそういうわけなのだ。個物はとてもきれいなものだ。で、いつもの作例。(下図)ヘリコイドで寄る。撮影のオブジェはあの"Carl Zeiss Sonnar 1:2 f=85mm"です。中を覗いてみる。ニュートンリングのような模様=「バルサム切れ」があるが撮影には関係がない。レンズ刻印にピント。ノートリミング。いやはや。これも(ULTRONのこと)とてつもないレンズです。もろもろの線が織りなす点に出来事があり、深夜にこの絵が産出された。ところでこれらの表象をアートだと感じ、共感できるニンゲンがはたして世界に何人いるのだろう?(笑)

村上春樹 「木野」

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 10日くらい前かなあ村上春樹の「木野」を読む。「文藝春秋」の2月号が出てすぐに近くのスーパーで買った。村上春樹を読むのは何年振りだろう? 今の僕にいい巡りあわせだった。そうねこれはサスペンスですね。不思議な日本人作家ですよ、カレは。ニューヨーカーとは一味違う。なんにしろいいものに触れるのはうれしい。「女のいない男たち 3」というからには連作なのか? まあいい、これだけでもじゅうぶん。(連作にしても読み切りだと思う)さてさて。こちらはスコッチの絵です。撮影はα7R/Carl Zeiss Sonnar 1:2 f=85mmです。(たぶん)



 右側のARdbeGはラベル通りISLAY(アイラモルト)です。かなり強いヨード臭がきます。僕にはちょっとビッチなスコッチです。46%。強い。初めてでしたが以後のおつきあいはないかもしれない。スコッチはみんな特別なクセがあるから飲んでみなければわからない。僕は以前ある銘柄を一口やったはいいものの、あまりの違和感
に全部流しに捨てたこともある。「そんなもんです。それがどうした」(村上春樹)。絵では新品未開封ですが、残り少なくなりました。

Sonnar 1:2 f=85mm

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 台所でPC。まさにテーブルフォト。このゾナーはあのNr2624***。説明が空しいくらいよい個物だ。

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 台所ついでに冷蔵庫の扉に留められているコレ。妻の過誤で見事に裁断された樋口一葉。片方はどこにいったのか? ごみに出したか?この絵の方はwith NEX-7/E20mm。

「少数派の意識の普遍的な形態が存在する」と、ドゥルーズ=ガタリは言っている。(「千のプラトー」宇野他訳 P126) 僕はこれを、《少数派の者たちの間に響き合う通奏低音》のようなものだ、と解している。その線が出るかどうかをさぐりながら、他者と接触している。自己は精神も身体も他者との間でそのつどその場で立ちあがる。存立する。関係が沸き立ち、修正の線もその場所で出るかもしれないし、後になって出るかもしれない。全局面でアレンジメント(アジャンスマン)、リゾーム、器官なき身体が作動する。「存在の一義性」っていうのも、これらを全面的に承認することだと理解する。あまりに大雑把でごめんなさい。そもそもの最初からそう考えて、今も変わらない。認識はどっちにころんでも「誤認」なんだから、まあいいか、と。

 じゃ、その「形態」を具体的にというと、困る。言葉にできないのだ。確かフーコーが「闘争」について問われて、私もそれを今考えているのです、と率直に応える場面がありました。(どこと言われても・・)だから、《今それを考えているのです》というのは苦境(?)をそのまま受け入れる態度かもしれない。そして「少数派」の意識をまとったまま一生が終わる、ということになりそうな気がする。



(α7R/ERMARIT 1:2.8/90 SILKYPIX retro_taste)

 これも拡大してどうぞ。被写体個物はSonnar85mm/f2 です。Nr.2624***が見えます。(自慢してる、あはは)撮影レンズはERMARIT90mm/f2.8です。これまでは、ERMARITをEOSのフルサイズで使っても、ピント合わせにに難儀していた。いつのまにかERMARITは「蔵」に・・。α7Rのおかげで今回復権、ご寵愛を受けること間違いない。まさにアジャンスマン。ERMARITの線が出て、屹立する。

 さて、くだんのSonnarですが、鏡胴は改造してるのであの樽型ではありません。ピントリングにはソニーのビデオパーツを流用してます(笑)。ま、要は写りですからね。抜け殻となったその樽とはこれです。ERMARIT90MM f2です。

Hologon 1:8 f=15mm

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(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)

 拡大してどうぞ。おわかりでしょうか? あの Carl Zeiss Hologon 15mm/F8 です。ebayでも50万とか100万とかいうあれです。LM-NEXマウントでいけます。さて、この紹介シャシンはというと、α7RにM42マウント改造の Carl Zeiss Sonnar 85mm/F2 なのです。Hologonは借りものです。Sonnarはゲットしました。5.6あたりで撮ってます。ISO6400・1/100秒。

 いやはや、こんな記事を書けるんだ、僕にも。(笑)。 Hologonのハナシはいつかまたいたします。ゲットしたSonnar 85mmのことですが、Nr.2624***で、かのContarexに搭載されてたものです。1958年-1973年に7585本が生産されたそうです。僕は85mm付近の単焦点レンズは初めてです。なんといっても幸せな気分にさせる個物です。

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