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てゆーか つーか

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ここでも「情動」はめまぐるしく変様する。
精神は気になる男の子をめぐって
自らの在りようを模索する。
ああじゃない、いやこうでもない、と。

『僕等がいた 第1巻』(小畑友紀)


セリフに「てゆーか」が多い。
「つーか」とか「とゆうか」にもなる。
わずかな差異を表明する場合の
つなぎのような働きをするのだろう。
「ちょっと違うんだけど」とやると
ニュアンスは強くなり、
相手によっては「引かれる」かもしれぬ。
そこで「てゆーか」となる・・。
この時代の気分を表している。
He is vague がいいのだ。

精神が明瞭で十全な概念をつくりあげるまでは
私たちはちょうどこの絵のように
精神と身体を賭けて運動し続ける。
バナナを男の子にあげたいのだけど
「ばーか誰が行くか」と今は抑えている。
しかし彼女(高橋七美)は
きっとある観念にたどりつくだろう。
その流れるイマージュに沿って動くだろう。
ボールは初速や空気抵抗などの
運命を引き受けながらも自ら決定して運動する。
そのように高橋七美も自由に決定し、動く。

こんな場面でこそドゥルーズの「イマージュ」論が
僕の感覚にピタッと合うのです。
映画やコミックがもたらすイマージュは
教師がカリキュラムに即してもたらす教えなどより
はるかに教化的であることを僕は身をもって
知っている。

どうでもいいけどこれは旨かった。


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