Results matching “8cm” from 新地のドゥルーズ
(α7R/Hektor f=2,8cm 1:6,3 拡大画像あり)
博多アミュプラザにあるHYSTERIC GLAMOUR=ヒステリックグラマー。ヘクトールでカラー。屋内では周辺も出る。色温度を2850Kに落とす。1937年当時、設計者はこのような事態を想起だにしてはいまい。この絵はまさに「生成」されたものだ。デジタルカメラや現像アプリケーションとの組み合わせ(アジャンスマン)が事件となった事例。 驚くほど精密に描写されてある。ニンゲンの知覚を超えている。奥の壁の襞まで写り込む。これが概念の革命でなくてなんだろう。無数の組み合わせの中で選択をする。この絵は場所が特権的であるのではない。諸機械の組み合わせが特権的なのだ。こんにちではおのおのがたったひとつの即自的で単独、非人称的なアートを提示できる。その「特異性」は驚嘆に値する。
(α7R/Hektor f=2,8cm 1:6,3 拡大画像があります)
東京滞在はあいにくオバマ氏の来日と重なった。いつも使う上野浅草口のコインロッカーもこの通り。午後8時。暗いなか改札口に急ぐ人が1/60秒の中に浮かび上がる。ISO2500。右端には階下から上がって来る人物もそれなりに写り込む。広角の開放F値6.3、夜間、中景…いわゆるピントを追い込むという技はない。それでも貼り紙の文字がしっかり読めるではないか。手を加えずに現像したものを品質85のweb用保存。むろんjpegです。それでもこんな具合です。
脱帽です。
で、これをFUJIの画彩(かっさい)にプリントしてみました。(プリンタは5V)暗部も出ています。これ自体は、Xenonの50mmで撮影してます。
(α7R/Schneider-Kreuznach Xenon 1:1,9/50 拡大画像があります)
(NEX-7/CONTAX T3 Sonnar)
以下はヘクトール Hektor 2,8cm で撮影したもの。花園町。新宿ゴールデン街。コントラストが強くてもライツはつかむ。芯がある。近場は別として風景は置きピンでいい。
告白(?)するがゴールデン街の撮影には許可がいる。僕は光を求めては人影のないこの時間帯(10時前後)に来る。申し訳ない。旅の恥はかき捨てとばかり横着な態度だ。今回はどうしてもヘクトールをフルサイズで使いたくて出張った。ヘクトールをフルサイズで使ってみて本当に感動する。改めてこの町とこの「通り」に感謝します。(クサイ告白かな?)
(α7R/COLOR-ULTRON 1.8/50)
テレビで明日からのバルテュス展のことが話題になっていた。僕の部屋の壁にも、後援する朝日の両面記事や一面記事がピン留めされてある。混むだろうなあ、と思いながらも出張ることにしている。あわせて、持ち出すカメラやレンズの選定をずっと悩んできた。ホントに悩んだがやはりα7Rにした。メインレンズはCOLOR-ULTRON 1.8/50と決めた。理由はいろいろある。僕の気分に合う写り。それとM42のヘリコイドマウントで思いっきり寄ると、遊べる。極端に寄ると絵のように四隅が焦げるが。
別にライツのヘクトール28mm/6.3を候補にしている。これはモノクロ専用で、ライカの芯の強い描写を手に入れることができる。この場合、ISO3200が作画上ノイズ除去の上限だと自分なりに決めている。(例外もある)
(α7R/Hektor f=2,8cm 1:6,3 1/60sec ISO3200)
(α7R/Hektor f=2,8cm 1:6,3 1/60sec ISO1250)
(α7R/Hektor f=2,8cm 1:6,3 1/60sec ISO3200)
ともかくEOSにEF16-35mm2.8やEF24-70mm2.8をつけて出ることを今回はやめる。一度断念してみよう。APS機もない。さてどんな街歩きになるのだろう。
ソニーのILCE-7Rを先行予約でソニーストアから入手。11月15日発売日に着く。さっそくHektor f2,8cm を付ける。が、NEX-7のようなMFアシストはできない。「ピント拡大」というのがある。ピント拡大時間を「無制限」に設定する。少しステップを踏むが慣れるしかない。
その機能を使ってのヘクトールHektor f2,8cm である。ライカⅢf にトライX を巻くような気分になる。ちょっとうれしい。ヘクトールはモノクロフィルムで(というかトライX で)本領を発揮するレンズだとおもう。設計はシンプル。僕の個体は1937年製造で当年76歳ということになる。α7Rは僕にとっては、待ちに待ったL型レンズのためのフルサイズミラーレスなのだ。
赤エルマーのことを「表象」していたらばせんだって博多のスタバでのヘクトール28mmのことを「表象」したくなった。(笑)。
暗い場所でのあかりをつかむのはライカレンズのお得意とするところ。その見本ともいえるような絵だと思う。開放は6.3ですが、これが暗部に強いのですねえ。驚きます。レストランの窓際で向かいの人物をポートレートするにもいいのです。ⅢfでトライX1/60secあたりで撮れればラッキーです。テーブルの向こうはきれいにぼけます。
さてじゃあこちらはNEX-7のヘクトール。ISO1600。上は1/20sec。下のは1/25secです。現像はPhotoshopCS5.5のノーマル現像。Web用に保存。画質85です。シャープネスなどの処理なし。1536*1024です。
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(NEX-7/ヘクトールHektor f2,8cm 1:6,3/PhotoshopCS5.5)
それを塩田千春は工夫して使っていた。
(NEX-7/Hektor f=2,8cm 1:6,3/ISO3200)
パンフの装置とはちょっと違うでしょう?
スペースの狭さで新たな線が生じる。
属性が変われば様態も変容する。
効果、といっていいだろう。
少し蛇足を・・。
「書くことは逃走線と本質的な関係にあるのかもしれない。
書くこと、それは逃走線を描くことである。
逃走線は想像的なものではなく、人は逃走線を辿るように
まさに強いられている。
なぜなら、エクリチュールが私たちを逃走線に引き入れ、
実際に私たちを逃走線に乗り込ませるからである。
書くこと、それは生成することである。
とはいえそれは作家へと生成することではまったくない。
それは別のものへと生成することである。」
(『ディアローグ』ドゥルーズの思想 江川+増田訳 河出文庫)
「25人の恋人たち」(1985年10月 「ユリイカ」)には
アナイス・ニンも登場する。書いたのは秋山さと子だ。
そのアナイス・ニン特集『水声通信』no.31の
ヘンリー・ミラーとの往復書簡を読んで
よほど購おうかと思った。
ここに水声社の目次画像があります。
先の秋山さと子の内容も興味深いが、
『水声通信』no.31のふたりのやりとりにそそられた。
表紙もいいしね。(検索すれば出ます)
さて。
この日はⅢfにトライXをつめて、
ヘクトール28mm/Hektor 2,8cm 1:6,3を取り付けた。
(NEX-7/アンジェニューAngenieux 28mm)
ヘクトール28mmもバルナックに付ければ安心して(!)
使える。(M5に付けると距離の刻みが実際と合わない)
室内でもF6.3で1/15秒で撮る。
表紙、っていえば、ジュンク堂でNEX-7を使って
遊びました。
一番下、諏訪敦の『どうせなにもみえない』のモデル。
これは松井冬子そのひとじゃないかな?
中身はみてないけど・・。
結局この日は「現代思想」6月号を購って帰る。
特集「尊厳死は誰のものか」。
シャシンは13:30博多発東京行き「のぞみ」。
阪急博多=鼎泰豐から見た風景。
散見する点光源は室内灯の反射。
NEX-7/ヘクトール28mm(Hektor 2,8cm 1:6,3)です。
周辺光量がガクンと落ちます。
駅や空港は文句なしに好きです。
寓意の宝庫です。シニフィアンが連鎖する場所です。
思いつくままのイメージ(連想)は、
離脱。新しいトポス。飛行。発見。現在と過去。
惜別。恋人。性愛。不安。再生・・・。
空を飛ぶ夢を見たことがない、というヒトは
少ないのではないでしょうか?
僕は若いときから何度みてきたことか。
フロイトはそれを「タカイタカイ」の記憶と
考えたそうです。(新宮一成「夢分析」)
新宮一成は人生の新しい段階にさしかかるとき、
とみています。そうかも知れません。
そういえば、「マイムマイム」の哀切も
僕にはおなじ場所のような気がします。
あれら、「コロブチカ」や「オクラホマ・ミキサー」の
メロディには転調(移調?)の箇所があります。
またテンポが急に速くなったりします。
転調は離脱であり飛行そのものともいえましょう。
飛行が安定せず、地上に落ちてしまいそう・・
そのとき夢の中では「テンポ」を上げようともがきます。
「タカイタカイ」の喜悦はいつまでも続くものでは
ありません。強制終了の不安があります。
好きな女の子はダンスの輪のずっと向こうにいる。
それらは哀切なイメージです。
ヒトであるかぎり分有してしまう属性があります。
駅にも「マイムマイム」にも連綿と続くシニフィアンが
存在するのは当然で、類型的ですらあります。
映画や歌に繰り返し出現する駅、空港。
50年経っても学校で続けられるフォークダンス。
少々クリシェに過ぎはしても、
そこにはニンゲンであることはやめられないという宿命が
襞の中に織り込まれていることを示しています。
この路線はあまり使わないのだが。
途中、春吉橋で「ウコンの力」を入れようとパン。(笑)
だがうまく入ってない。
NEX-7/ヘクトール 28mm/ Hektor 2,8cm 1:6,3です。
コントラストを少し。
博多阪急の鼎泰豐も1時半を過ぎると空いていた。
デザートに「仙草ゼリー黒蜜きな粉」を試す。
住んでる土地「アイデス」、友達の「チャーリー」、
両親を食べてしまった「虎たちのこと」など24の項目(?)に
ついて「あなた」に語る・・そういう書割になっている。
それがブローティガンの『西瓜糖の日々』(藤本和子訳)。
絶版になってたものが今世紀になって復刻される。
そんなわけで図書館にも文庫はないのでしょう。
(以下『西瓜糖』と省略します)
『西瓜糖』は『ドゥルーズ/ガタリの現在』所収のサドッホの論攷、
「言語の流体力学-指令語の射程について」で知った。
そこには「ブローティガン効果」とあった。
『西瓜糖』をジュンク堂で読んでしまおうと目論む。
だけど54ページからの「算数」に少し触れて、
購うことに決した。
物語は「夢」とみていい。
しかしそれはそのとき『夢分析』(新宮一成 岩波新書)を
一緒に購って同時進行で読んだ僕の勝手な解釈ともいえる。
虎たちは「わたし」の両親を食ってしまう。
9歳の時だ。
「おまえの親たちを殺して食べてしまったことについては、
心からすまないと思っているんだよ。でも、わかってほしい。
おれたち虎は悪ではないのだ。ただ、こうしなければならないのだ」
「わかったよ」とわたしはいった。
「算数おしえてくれてありがとう」
「なんのなんの」虎たちは行ってしまった。
両親を食われた虎に算数(九九)を教わるわたし・・
なんという拡散か。これは現働的な様態ではない。夢だ。
さて。昨日のこと。
たまたまNHK-BSで(ワールドニュースのようだった)
子供が枯葉を食べる場面を目撃した。
食料がなく、枯葉を揉んで食べている。
その深刻さを報じた後、「次です」とキャスターは転じた。
「次」はエリザベス女王在位60年記念とやらの
豪華で晴れやかなニュースであった。
夢であってほしいが、こちらは現実的な様態である。
虎:算数=飢餓:記念祝典
僕の目の前で並列に展開されたふたつのことがら。
虎:算数より飢餓:記念祝典の対比のほうがすごい。
酷薄さにおいては、小説よりメディアの方が強度がある。
(NEX-7/ ヘクトール 28mm/ Hektor 2,8cm 1:6,3)
以下は新宮一成『夢分析』の最終章から。
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ある一日の記憶は、その夜の夢の中で断片的に再生される。
一日の記憶がこのように「日中残滓」として夢の中に
収納されるということを鑑みれば、われわれは、
朝ごとに、あの世に生まれ変わり、昨日のこの世を
夢の中に置き忘れてくるという言い方ができる。
さらに続ければ、昨日のこの世は、実は一昨日のあの世で
あったと言える。
眠りと覚醒の交代は、われわれの心の中に
生まれ変わりの感覚を生じさせている。
こうして「現実」としてのこの世は、夢の奥の奥まで
さかのぼらなければ見つけられないものになる。
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4日まえのことだ。ジュンク堂で、
ブローティガンの『西瓜糖の日々』と
新宮一成の『夢分析』購って読み始めた。
今日それらを読み終えた。
読みはじめ=土曜日=於「シアトルズベスト」。
読み了え=水曜日=於「シアトルズベスト」。
なまけものの僕にしては速いペース。
さて。
『西瓜糖の日々』と『夢分析』の両方を読んだヒト。
少ないとはいえいるには違いない。
その人たちと僕は、たぶん近い場所にいる。
2冊は確かに特別の書物だからだ。
それらを自覚的に(事後的な気づきとしても)選択して読む、
となれば、やはり特別のヒトなのだと思う。
僕の新宮一成体験は以下の4冊です。
成立順に
1.1989『無意識の病理学』-クラインとラカン-(金剛出版)
2.1995『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)
3.2003『夢分析』(岩波新書)
4.2004『精神分析家に人は何を語りうるのか?』(大航海No.51)
何度も読み返してぼろぼろ(バラバラ)になった新書。
ドゥルーズ哲学がどうあろうと、僕はこれらを手放せない。
それは僕固有の属性なのだ。僕の内在なのだ。
それこそ「体内空間」なのだ。(笑)
『西瓜糖の日々』を『夢分析』と同時並行で読む。
それかあらぬか『西瓜糖の日々』が夢の語らいのように
読めてしまう。不思議な体験だった。
鱒と水中の墓、これは夢解釈の対象になる。きっと。
そういえば、インボイルもマーガレットもポーリーンも
いや人物のみなが、夢のなかの「あのひとたち」のようなのだ。
(NEX-7/ ヘクトール 28mm/ Hektor 2,8cm 1:6,3)
フェイクなフードとして使える。
Daiwa(ダイワ)てのもあって、こっちのほうが
内径36mmカブセがカチッとくる。
けれどこのWalz(ワルツ)も、かしめれば使える。
こっちがカッコいいかな。
シャシンは、NEX-7にL39アダプター/ヘクトール/Walzです。
(EOS5D/ビゾ65mm F3.5 Elmar)
ピントリング=最短=Walzロゴにすれば
フードを動かしてピント合わせが直感的にできる。
Walzは150円で入手。いい買い物。
ツァイスイコンやローライに使われている。
ここでわかります。
そういえば、
ライツのヘクトール2,8cmもテッサー型だ。
さて以下の絵。
(拡大画像あり)
Ⅲfに付けているレンズは
Zeiss の Tessar 2,8/40 です。
知人から借りてきました。
これは知人の手でLマウントに改造されてます。
当然ながら(?)距離計連動はありません。
距離は目測、勘です。
さらになぜか絞りの数値がありません。
刻みはあります。
開放横が4→5.6→8 という風に想像してます。
たしかコンテッサについていたものだそうです。
このレンズだと思います。
露出計とⅢfで外に出て10枚ほど撮りましたが、
まったく自信なし。現像してみなければわからない。
だけど、Lマウントときけば、
まずはバルナックにつけてフィルムで撮ろう、
と考えるのが人情です。(笑)
一応、以下はNEX-7に取り付けての動画です。
生活音が混入してますがご勘弁を。
フードがピントリングに改造されてますので
そこはとても使いやすい。
(拡大画像なし)
ライカⅢf /Hektor f=2,8cm 1:6,3 /Tri-X
(ヘクトール28mm f6.3)
その透過原稿スキャンです。
GT-7000U / GT70FLU2。
取り込み時は補正しない。
コマ両端のスリットを入れています。
以下は備忘メモ。
①周辺光量の落ち込み。とくに右側。
②バルナック型のスリット。一定。細い。
③長崎。道ノ尾交差点歩道橋より西海側。
プリントは63mmの引き伸ばしレンズ。F8。フジのカビネに小さく焼くと高さ160-170mmあたりは1-2秒で済む。コマによっては露光が大きくはずれる。(拡大画像なし)
(NEX-7,SUMMICRON-R 2/50 mm)
絵自体はアダプタを使ってNEXにSUMMICRON-R 2/50をつけて撮る。
もうひとつ。(拡大画像あり)
このⅢfにもネオパン400 prestoを詰めている。レンズはHektor 6.3/2.8cm 。1938年のレンズです。楽しみですな。今日はこれで天神に出る予定だったが、雨で断念。もう3月だ。