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Results matching “時間” from 新地のドゥルーズ

長崎駅前。撮影日=2023/12/05。コダックレチナ=ヘリゴン。M42改=Heligon 1:2 f=5cm。α7sで撮影。時系列。拡大画像あり。撮影日の3。
12月の午後3時前後という時間帯に撮影するのは初めてで陰影がいつもと違っていた。



















蛇足(2023/12/23記)



「オール讀物」。読書で元気!五木寛之。活字は孤独の特効薬。ふむふむ。

ライカA エルマー50mm

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海上空港の長崎空港と大村湾の対岸=時津(ときつ)を結ぶ航路にのってみた。天気はいまひとつ。
最初のモノクロは時津港であとは住吉(すみよし)近辺。15歳の頃からの「馴染み」の地、それだけでいとおしい。笑。
撮影日。2023/09/18。小一時間歩き回った時系列。旧ライカA抽出の知人工房作エルマー50mm。初代α7s。その1。



















フジカ35EE

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晴れてきたので桜の状況を、と出かける。ミサが終わるあたりの朝時間。よそんちの塀際を見上げ、長崎街道を撮り、疲れたらバスターミナルで休憩する。これが僕の住む街でありこれが僕の「旅」である。
知人工房作フジカ35EE抽出の4.5cm。M42改造。初代α7Rと。3月19日。時系列。































下の絵のタイムスタンプは1月24日の午前4時40分。けっこうフツーにテーブルフォトをしている時間帯。



これは再び家にやってきたOFFCINE ESAOGで撮影。α7R。コカ・コーラフィギュア(ファイナルファンタジー10のLULU)の大きさを目薬と比べている。
とはいいながらも、ライカや工房作の抽出レンズ、ペンティアム4のコア、読んでいるアガンベンなどを配置している…。あざとい。(笑)
自家用車をやめにしたとき、僕はすぐに「身体の使用」を県立図書館から借り受けた。とりあえず「すがった」わけだ。

次のは今しがた撮影したもの。同じESAOGで撮影。カメラはα7s。今読んでるのはやはりアガンベンの最新作。全編がコロナを口実にした生政治批判です。今ちょうど半分を終えたあたり。



アガンベンはイタリア=82歳。レンズのESAOGもイタリア。数日前はモニカ・ヴィッティがなくなった=90歳。


正直な感想です。
1.フーコー。新しい感興はなかった。読みながらフーコーの「偏執」を払いたくなるような気鬱さを覚えた。
2.今季芥川賞。何も話すことがない。困った(笑)。
「かか」と「推し、燃ゆ」を中上健次つながりで読んだ。けれど残念なことに手元に残るものが何もない。
3.桜木紫乃は妻が買ったホンで爺が先に読んでいる。途中だけど、読ませる。



何このリアルなしわくちゃ。すいません。(キヤノンのTS3300スキャン)
柄谷行人評の堤純子「アーミッシュの老いと終焉」。県立図書館をサーチする。貸し出し中。妻が自分も読みたいと当地の書店に電話。(妻は書店のお姉さんと昵懇)品薄で時間がかかると言われたそうだ。ふうん、そうなのか。
NIKON=ニコノス抽出の28mm(M42改)をα6300で。F5.6あたり。
図書館が再開され昨日メールがきた。4月当初に予約を入れていたホン。貸し出します、と。予約したことすら忘れていた。レストランもやってないし人はご覧の通り。もっとも高校生はこの時間学校だけど。











ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm。40mmには、Rollei-HFTのSonnarやエンラージャ用のEL-NIKKORなど印象深いレンズがある。
最初の絵は拡大画像が横1600あります。手前の男性にピントを合わせ施設のエントランスや照明を取り込むため左に振る。1/100秒で撮影。SILKYPIX現像のそのまま。一切の補正なし。PhotoshopのWeb用保存。PCの方はぜひ拡大画像で隅々までご覧になってみてください。流れなどの破綻もほぼゼロ。工房のEマウント改造です。



さて暮れに池内訳の「ミレナへの手紙」を借り受けて期限が切れそうなので延長。辻訳と対比しながら読んでるので時間がかかる。右側が2段組の新潮社版です。持ち込み(仕込み)撮影。w



裏表紙に戸塚一丁目の二朗書房のシール。なつかしい。電話は東京03の時代。以下の2枚は少しの補正を施している。



GOERZ DOGMAR 7.5cm M42改

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α7Rとゲルツ、GOERZ DOGMAR 7.5cm。霧の晴れ間にテッサータイプの詳細不明レンズで出ていったん終える。時間は経過していたがもう一度ゲルツで出る。







上の絵の中央部=離陸直後の機体。等倍。







その工房作ゲルツ、GOERZ DOGMAR 7.5cmの容貌を(α7R)+ミニルックス抽出のSUMMARITで撮影したのが上、逆に(α7s)+ゲルツでSUMMARITを撮ったのが下、というわけです。色補正なし。



ゲルツ、GOERZ DOGMAR 7.5cmで撮影したSUMMARIT容貌を、補正後の小生の好みはこうなります。

NIKKOR 28mm 1:2.8とα7s。1970年代のレンズ。52mmPLフィルターを行きつけの施設で試した。結論をいえばダメでしたね。あくまで自分の感想です。スナップにモタモタ操作は致命的。警備員からつまみ出される。といって決め打ちすると次のような失敗例。



そんなわけで以下は失敗を免れた絵を。最初のセピア処理の絵にもちゃんと反射は出てます。時間をかければ消せます。しかし反射も受け入れる態度の方が自分には向いてる。













10月27日10時に今年初めてのアサギマダラ飛来。一頭だけです。α7sとCarl Zeiss JenaのFlektogon 4/20。1/250秒F8に設定してSS優先で。置きピン。中央より右にいます。拡大画像でどうぞ。



以前は乱舞するくらい飛来していたがここんところは一、二頭。環境の変化か。

ダイソーのフォトスタンドに。蝶がいる、という「認識」があるので見た目フジバカマの絵でも僕にはアサギマダラのシャシンなのです。この絵もα7sとFlektogon。自然光。



翌10月28日。同じ時間にやってきました。この日はα6300にBiogon35㎜(M42改)です。

視度調整 SUMMICRON-R50mm M42

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窓から外を。17号台風が近づく。9月22日午前6時。静かだ。α7sとM42改造=固定絞りSUMMICRON-R50㎜。台風接近の雰囲気、ライツのムード満点ですなあ。ええです。自画自賛。w



当方のSUMMICRONは知人工房作でこんな姿してます。α7sと1.8/35mmをAPS-Cモードで。



もとはといえば、上の絵は視度調整のための絵。マニュアル撮影でピントが結果的にきてない。調整ダイヤルが動いた可能性を疑う。そうなるとまずはAFレンズで合焦させ視度調整ダイヤルを操作します。それ以外に有効な修正方法はたぶんないでしょう。
そのあと少し長めのレンズで確認する。まずこれはゲルツ。7.5㎝。



で次のは詳細不明の3インチプロジェクションレンズで。35㎜映画用ですね。



中央部にシリアル200****が判別できます。第一バージョン。小生の宝。
時間がかれこれつぶれます。かたわらのレンズ群はすべて知人工房の手になるものです。
α7sとミノルタ MD ZOOM ROKKOR 50-135mm 1:3.5。MD-NEXアダプタを使う。最短撮影距離は実際は1.7mくらいになる。室内。三脚、リモコン使用。上が80㎜下が135mm。







ところでミノルタマウントのTokina135mm 1:2.8というのが手元にあります。知人から頂戴したものです。室内の同じ位置から。時間が3時間ほど後になる。単焦点レンズのいい雰囲気です。

脳 時間

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カメラはα7R。最初にNo.333***のSummarで撮って、なるほどソフトだなあ、と思う。そのついで思いがのびて他のレンズで撮影。すべて開放。三脚。(今朝は念のためジッツオの三脚を使った)まずSummar 5cm F2。



ライカミニルックス抽出のSUMMARIT40mm F2.4。鮮明。



オフィチーネ・ガリレオのTEROG 4cm F4。



最後は同じオフィチーネ・ガリレオのEliog 5cm F3.5。



いったい何をやってんでしょうね。
①端的に個物単体に対する興味(レンズの表現性を含む)がある。
②カメラの由来。レンズが取り出され加工される状況。この時点で脳は「歴史」すなわち「時間」の問題に支配される。
③撮影中は忘我的。まあ道なり=現働=いまここ。始めがあれば終わりもある。過程すなわち「中間」は撮影の冥利です。
ベンチーニ・コロール35 アクロマティコ 55mm F8をモデルにしてます。
背景はコロール35の殻ボディー。撮影はα7sと抽出レンズWOLLENSAK 3_1/2 F6.3(M42改造90mm相当)です。



次のはα7sとWOLLENSAK OSCILLO-RAPTAR 88mm f1.4で撮りました。



逆にベンチーニでWOLLENSAKを撮影。



おまけ。WOLLENSAK 3_1/2 F6.3。



ここまで1時間以上費やす。そうやって一日が始まる。w
スポット修復ブラシツール、について。
Photoshop CC 2019のこと。なにかと面倒だった消しゴムが進化。α7s=Zeiss Opton Biogon 35mmで撮影した絵に「スポット修復ブラシツール」を施したシーン。



Bluetooth オンの下方のパスキー(?)を消去している。周囲との違和感がまったくない。テーブルフォトに端を発した遊びで数時間をつぶすことがある。
左に少し映り込んでいるのはCZJのSonnar5cm、右はオリンパスミュー2抽出のレンズ。いずれも知人工房製作。
老眼鏡にハズキルーペを重ねた姿を、α7sとミュー2レンズで撮影。(絞り開放)



次なるは同じ場面をコンタックスTvs抽出のVario-Snnarで。(開放)



Tvsが少し広いので画角30㎜くらいか?
撮影距離35㎝。三脚、リモコン使用。
Galileoガリレオ(Officine Galileo)=レンズ名TEROG(テロギ)4cm F4(M42改)。M42helicoid12-19が見当たらず、実はビルに正確なピントはきていない。



子供と即席めんを。生協モノ。麺とカヤクに熱湯を注ぐ。どんぶりに鍋蓋をする。
とはいっても佐賀和牛(1200円!)入り。高価な即席麺となった。w
シャシンでいま気づいたが、うどんと蕎麦は時間が違う。分け合って食ぶ。



このレンズが
OLYMPUSの9mm F8.0レンズです。
α7sではなくパナのLUMIX G2に付けて撮る。正面はほぼカバーしてます。けっこうクリアに出ます。
三脚使用。ISO100。セルタイマーを2秒にするとよい。(と説明書に書いてます)これで1/4秒。



外を撮ります。ISO500を上限にする。







さて最初の絵、長いレンズはアンジェニューの17-68mmです。これとLUMIXで





こんなことをしていると時間はたちまち過ぎてゆくのです。w
知人から届けられた旧ミノルタレンズ。
僕自身が知識がないのでとりあえず画像。拡大画像があります。28mm以外はROKKORの刻印あり。



時間をかけて清掃したのではないかと思われる。光学系がとてもきれい。

左から
①MC ROKKOR-PF 1:1.7 f=50mm
②MD ROKKOR-PF 50mm 1:1.4
③W.ROKKOR-QE 1:4 f=35mm
④MD 28mm 1:2.8
⑤MC TELE ROKKOR-PF 1:2.5 f=100mm

W.ROKKOR-QE 1:4 f=35mmてのを持ち出す。最初だけがF5.6。あとは開放F4。ううむ。これはフツーじゃない。いいですねえ。









wikiで知ったが、QとEは4群5枚をあらわすそうだ。wはワイドの意味かな(推測)。
PFは5群6枚ということになる。
今思いだしたが、MinoltaのHiMatic-Eというのを23歳の時に東急元住吉の踏切そばにあった店で買ったのがカメラとの出会い。新品です。このまま何もせずに使えばいい、と主人はカラーフィルムを詰めてくれた。取説もろくに読まず、撮り終わったら店に行って詰め替えてもらっていた。いやはや。
今朝は不燃ごみの日だったので、暗室ポリや故障したEOS5Dを捨てた。ポリはもう一袋あって流しの下がすっからかんになる。その日のロッコール来訪。なんだか今日は忘れがたい一日になるだろう。しかし忘れてゆくのだろうけど。こんないいレンズをどう感謝すればいいのだろう。


(5Dmk2+EF24-70mm)
小さな記事はスキャナでやればいいのだけど、シャシン。
スキャン画像の提示(いわゆる自炊)は著作権が気になるからというのはたぶん表向き。ホントはこんなふうに写真をしたいのだろう。w
鋏を入れて切り抜くことから始まる一連の身体の運びがリハビリとなる。時間をやり過ごせる。
記事は拡大画像で読めます。



今日の絵はどれもα7sと知人工房製作の

CarlZeissJena Sonnar5cmで撮る。









防湿庫のタムロン、SP AF28-75mm F/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO(いわゆるA09)を見て、取り出す。
発売当時に購入したんではないか。5Dmk2につけてみる。
シーリングライトをパナソニックのパルックボールD型(口金26mm:電球型蛍光灯、LEDではない)に替える。見ての通りの暖色。
14群16枚構成のレンズは秀逸。発売当時からキヤノンの高価なLレンズを凌ぐのではないか、と評判が高かった。
中央の直木賞の「直」にピント。拡大画像でみると描写力が知れます。画角63mm,F5.6, 1/80秒, ISO6400, マニュアル露出撮影です。拡大画像は1/3=長辺1872です。補正なし。

次のは時間をおいて自然光。暗室にドライフラワー。中央の深紅の花。画角51m,F5.6,1/200秒, ISO6400, Av露出撮影。データ表はボケます。フォーカスはAFです。



室外で。





ところで、深夜の出来事。
CanonEosDigitalInfo なるアプリで、わが5Dmk2のショット数を調査してみました。(初めて使う)
あちゃあー。一万未満だ。

3月23日。午前9時から約一時間。α7R+STOKアダプタ+キヤノンEF24-70mm。MF撮影。
咲き始めの、すきま桜。透き枝。これを偏愛する。



















朝日さん、ごめんなさい。今朝の天声人語。



寂聴を最高齢とすれば、最若年が朝井リョウ、続く西加奈子、村田沙耶香。その中間が若竹千佐子になるのか。
数年前から、老若男女、ジャンル不問(というわけでもないかな)の読み方をやっている。これもまたシアワセに尽きる。午後2時3時ころからベッドで文庫本を手に昼寝(寝ないが)=読書の時間帯となる。すこしばかりの幸福感がともなう。同じような「趣味」をもつ爺さんは世にいるかしれぬ。しかも見よ。オードリー若林という男性(聞いたような気がするがよく知らない調べてない)は、30代のクズ(なぜクズなのか?)を救えるのは日本では西さんだけ、と言っている。妻がボロにした帯をパンタッカーというオールドレンズで撮ってみた。(昨日読み終えた「サラバ」文庫第一巻)



シャシン行為も読書も一見、一人でできる。が、やはり巡り合い(出会い)がないとよく為しえない。こころ躍る巡り合いは本当にありがたい。

ついでにこれもパンタッカー。絞ってる。

ニコンFM2/Tと24-120mm。ポートレートには三脚使用。400プレストEI640。D76。22℃。時間不明。1998年1月26日。鉢巻山から望む多良山系。
現在ではこうは見えない。



同年1月30日。佐世保の隠居岳(かくいだけ)。この日は途中から雪となるが、続いて国見山にも登る。





2月2日。佐賀県黒髪山。いい山です。山頂から佐世保方面。遠くに左から隠居岳、中央八天岳、右端国見山だと思う。



リコーGR1。400プレストEI640。D76。20℃。現像所要時間不明。



1998年2月4日。水曜日。立春。五家原登山途中。GR1。三脚使用。400プレストEI640。D76。20℃。時間不明。



1998年2月6日。金曜日。虚空蔵山。奥は佐世保市街。これも上と同じフィルムに収まっている。



これは別フィルム。1998年2月21日。土曜日。眼下には長崎市街。彦山からの下山途中。山道ではない崖を降りる。とんでもないところに着いた、とノートに記してある。GR1。400プレストEI640。D76(1:1)。21℃。時間不明。

大黒岳彦「情報社会の<こころ>」(現代思想8月号)を折につけ読み直す。
吉本隆明の「対幻想」を現代的に援用する。それがとても新鮮だ。
この僕は、いまここでもネット社会への参列に手を挙げ、露出し、体よく情報社会に「回収」される、そのようなニンゲンなのだろう。「秘密」はどこへいったのか。「暗部」は、そして「残余」は。「至宝」(というものがあるとして)が安売りされる。大黒岳彦のいう「社会幻想」(一種の共同幻想)から逃れるには、ツールとしてのネットから離れるしかないのか。

外に出て、ファインダで風景を切り取る。そこには「身体性」が付随する。街を小一時間スナップするとわかる。こころが汗をかく。それらの絵をアップロードするその過程(プロトコル)は、明示的で、毒もなければ秘密もない、消毒された自己が記述される。(かのようだ)
まあ、でもさ。僕のばやいは、しょせん「備忘メモ」じゃんか。w
僕ははなっから、自己満足をもくろんで「垂れ流し」しているのです。ちょっと言い過ぎかもしれない。すいません。ネタ探しの渉猟も、楽しい慰安をもたらすひとときがある。家に帰ってSILKYPIXのアイコンに、その日のファイルをドバッと上乗せして一覧する。気に入ったのがあるとしびれる。それだけでもシアワセと感じる。
以下は6ページ連続の抜粋です。ですが一部です。









ナルチシズムの極み。こんなのがファイルにあったのでベタやネガ、それとノートを調査。平成9年(1997年)、5時半より牧ノ戸からとりつく。久住から天狗、すがもりへ降り牧ノ戸へ戻る、とある。これはけっこう長丁場だ。テン泊できなかったと反省している。テン場が何かの都合で使えなかったものと思う。登山はカメラバッグに三脚。FM2とNIKON24-120mm。それとポケットにGR1と書いてある。400プレストを640で使っている。D76現像。22℃。(現像時間不詳)
これをplustekで読む。ウェブ用に小さく。それをPhotoshopでKに。他の処理なし。



手にGR1を持っている。コンタクトシートをみると、全身きちんと収まっている絵もある。わざわざ頭部が切れているのをプリントしている。当時カメラ雑誌(アサヒカメラか日本カメラ)に応募したような気がする。入選はしてない。
この程度のアタマの切れより、フレームに足がちゃんと入っていることが肝要だったのです。LOWAの靴が入ってます。
背後の白煙は硫黄山です。
α7sとNIKKOR 28mm/2.8でLIGHT_BOX上のベーコンのスライドを撮影。



で、一枚をPlustekでスキャン。1953年の作品。



同じNIKKORで、2階からカーポートを。衛星円盤の下に職人さんが顔を出してます。先日プラフックが劣化して3枚が風で飛ぶ。100メートルほど先の道路に、しかもスレート自体は無傷。このテのスレートは壊れない、そう言ってました。台風来襲に備えて全部張り替えてもらう。12日に依頼したらば、盆の13日に朝から2時間ほどで一丁上がり。さすが餅は餅屋です。一度上って自分で補修しようかと試みたが開けた穴を合わせることができない。意地はって滑り落ちたらコトですもんね。九州は「ナフコ」。ブロンズフロスト8尺8枚、ステンレスフック、総額3万4千5百17円。風で飛ばされて、よそ様に迷惑かける懸念にくらべると安いもんです。胸をなでおろす。いい盆でした。
このレンズはシブイですなあ。うん。



『オーパ』にある作者の険しく寂しい眼。とらえた写真家にチカラを感じる。
いちど茅ヶ崎に記念館をたずねてみよう、とおもう。そこには開高のアトモスフィアが多少とも残存してるだろう。僕の内在=脳内の舞台なんだろうけど・・死者について思いをめぐらす時間はいいもんです。
来ましたね。この記事には驚きました。(拡大画像あり)



fMRIによる脳画像の応用は、ジョシュア・グリーンの「トロッコ問題」でも知られています。そのラボでは、道徳やら倫理はどこに由来するのか発生源を見極め、たとえば善悪を自己が認知・判断する瞬時(?)のシステムを脳科学的に解明しようとしています。
今回の京都大学のはさらに進化したものと僕には受け止められます。うむ。
「トロッコ問題」についてはWikiで知れますが、グリーン本人のサイトでは当の記事(英文)が、

ここで読めます。

このニュース、僕がまっさきに想像した応用例は、障害で意思疎通の困難なひとが自分の意思を外に向けて容易に出力できる、というものでした。

さて。「対象a」に触れて(触れることができるのか?)至福の時間を得る。精神分析をぬきにしては説明できないことがらも、ニューロンの作用ではなかったのか、時代の主流はそう僕を説得する。w
脳神経科学の成果はけっこうバイアスがある。これまでの言語論的知見の修正を迫る、とまあそこまできてます。

しかし、ゆっくり考えてみたい気もする。
これって単に「医療行政」やらひも付き学術系の罠かもしれない。しかも京都大学のスタッフすらそれと気づかない罠かもしれない。w
第一、そんなにMRIを脳に駆使していいものか。僕たちの国は世界一CTやらMRIを頭部にかけまくることで知られてる。
成果は認めるとして、散歩の折に咀嚼しながら考えてみましょう。
以下は『現代思想』3月臨時増刊号「知のトップランナー50人の美しいセオリー」から。
茂木健一郎の「美しいセオリーはない。」の一部。

 時間に関する現存のセオリーのすべては、時間に関する私たちの最も根本的な疑問に答えるものではない。
私は子どもの頃よく煤を追いかけていた。少年の日、梢から漏れてくる太陽の日差しの中に、アオスジアゲハやゴマラダチョウを見上げた、あの時間はどこにいってしまったのか。
 今この文章を書いているこの瞬間もなお、時間が不可逆に流れていってしまうという事実を、どのように考えるべきなのか。私たちの一人ひとりが、それぞれの体験という私秘的な領域に閉じ込められ、そこから逃れようもないこと、その個人的体験の中で、時間が一方向に流れていってしまうこと、その厳然たる事実の下では、すべての営為、たとえば、このようにして雑誌『現代思想』に「美しいセオリー」というテーマで文章を書いていることは、すべて茶番であり、究極的には意味がないこと、それでもなお、私たちは何かをしなければならないこと、だからこそ、私はこうして、編集部の注文に応じて「美しいセオリー」というテーマの文章を綴っていること、今この瞬間もなお地球上では、それぞれの私秘的な体験に閉じ込められて、何十億という人々が個々の時間の流れの中にあること、そのようなむき出しの現実に比べたら、どんなに「美しいセオリー」も、児戯に等しいと私には思えるのである。

うむ。脳科学者もこんなことを思うのです。
①まさに時間論ですね。とっさにドゥルーズの発明品であるかの「アイオーン」を想起しました。「アイオーン」の線のただなかにいて茂木健一郎センセイは七転八倒している。(と言ってはいけません。w)
②言外にパラレルワールドを感得する。時間にもいくつかの系列(セリー)があるのではないかというのはファンタジーの世界だが楽しい。
③芭蕉の「隣は何をする人ぞ」を考えてみた。物理学で説明されても隣の人にはその人なりの時間がある。隣を想起する自分の時間も同じ時空内のいまここにある。一方であなたとわたしの(皆それぞれの)「アイオーン」をもからめとる現象がある(きっとありそうだ)。
時間はない、と言ったほうがよほどすっきりする(ような気もする)。時間のことを考えるとどうにも混乱する。

記事とは関係ない絵をひとつ。知人に頂戴したM42改造のNIKKOR28mm。ストリップ状。



左がニッコール28mm、右のはズミクロン-R50mmです。コンパクト。

自作パノラマカメラ

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長文注意。
知人の自作カメラ。完成品を撮影。驚嘆の次はため息が出ます。まずは画像。(α7R/KODAK EKTAR35mm3.3)。



次は200****1963年のSUMMICRON-R50mm2.0で上から撮影。



ブローニー12枚撮りで4カットの大パノラマ。ポジを見せてもらったがなかなかのものだった。自分には経験がないので実感がわかない。都市の鍋底風の夜景を撮るとおもしろいだろうな。露光時間の関係で光源が揺れるかも。
さて2枚目を撮ったSUMMICRON-R 50mmF2。コレです。



中央にペンタックスのヘリコイドにつけているのがSUMMICRON-Rです。ストリップです。本来の鏡筒はない。ジャンク品から作ったらしい。固定絞り(およそF5.6あたり)のM42改造です。レンズ番号から1963年です。おいらが中3の時代です。光源をモロに撮ると陰影が出ますが通常撮影には重宝すると思う。
ややこしいハナシだが、この絵そのものは、α7RとUnivex Mercury Model CC といわれるハーフサイズカメラ抽出のレンズで実行してます(よって四隅がけられます)。抽出したレンズてのは35mm f/3.5 Wollensak Tricor (uncoated 3 elements)。1938年製造開始。ハンパなく枯淡かつレジェンド。博物館用のレンズです。w 
この個物Tricorについては、いずれまた紹介しましょう。で、このストリップのズミクロン1963年で撮った知人ちでのテーブルフォトをIDCでそのままモノクロ現像した。これがもろにライカレンズ雰囲気。あたりまえだ。以下。



これは今朝。



長文注意。
ビッグコミック11.10号。「医者を見たら死神と思え」(近藤誠監修)



ここをみて閉じた。この号は読み終えてはいないのだが即時処分することに決める。散歩に出る時間だ、そうしよう。その前に雑誌を届ける書店に電話。ビッグコミックを購読しない旨伝える。「ハイわかりました」。一件落着。
前立腺ガン全摘術を受けた僕にはこのマンガはよろしくない。みなければいいじゃん。いや怖いもの見たさでみる。ニンゲンはそんな風にできている。そすっと、オレもオペしなければよかった、と思うかもしれぬ。それらの思いは傷となる。ならば「君子危うきに近寄らず」(君子じゃないけどさ)。これが近年の僕が習得した技法といえばそうもいえる。イヤなものはとりあえず根元から切断する。いったん背を向けたら振り向かない。看過する・・。w

α7RにEL-NIKKOR40mmをつけて散歩に出る。向こうから自転車少年がやってきて通り過ぎる。逆光になるとにわかに乱れる。ピントはアブラススキの穂。開放撮影。SILKYPIXのトイ風現像。





F8です。こちらは。



(長文注意)
Windows10 Anniversary Updateてものが公開された。(8/2)
これは早い話、一度でもW10を導入したことのあるPCに限り、何度でもクリーンインストールができる、というもの。そんなISOファイルがある。(すでにバグも指摘されているが)
家には、W7→W10→W7のPCが一台ある。でそのPCのハードディスクを換装してW10をクリンインストすることができる、とまあそういうわけだ。うーむ。いいねえ。ただしまだ実証はしてない。



「御守り」USBメモリ。これに入れました。永久保存のメモリになりますなあ。作成に1時間以上かかった。これでBIOSからするりとW10がインスコできるってんだからたまんない。
Windows10の無料アプデが7月29日をもって終了した。その後は一切できない、というのがMicrosoftの公式アナウンスだった。いよいよ次にはW10のパッケージを買うのかなあという思いがあった。実際パッケージは2万前後で出ているし。反面、MSはなんらかの対応策を打つ、とにらんでいた。だって、W10にアプデしたあと故障したPCはどうやって救済するのかという課題は最初から分かっていたはずだ。
寄せ集めパーツの自作PCが知り合いや友達の家にある。これらもいつかはトラブルを起こし、いつかは終息する。そのときOSをどうするか気懸りではあった・・。うん、これで安心。

α7sとベルチオの開放。台所のごちゃごちゃはぜーんぶ溶かす。快感。w
ベルチオの開放=近接撮影は芯を残して溶かす。隠れたイッピンです。

(追記)ベルチオ開放をいまひとつ。エビのかき揚げを作ってもらう。あとは自分でだし取りからシコシコ励む。麺類が好きな男に「飢え死に」はない。

α7sとコダックEKTAR35mm3.3。ブラボ展(ブラボって、知ってます?)は世田谷から始まり、来年名古屋までたっぷり期間がある。「写真とは見る技法です」のキャッチに触れて、先日丸善で1時間ほどハマった。











こんなこたあ先にならなくちゃわからないことだけど、MLBの田中の今後が元レッドソックス松坂のイメージと重なる。
NYYは田中先発。しかしDETのヴァーランダーの力投が光った。スピンレート(日本でいう球のキレと同じかな)が2400r.p.m.とか出したりして田中とは質が違う。
(ちなみにボストンの田沢のスピンレートも高い)
α7RとNIKKOR 35mm2.8でTV画面のヴァーランダー。



イチローって文句なしにすごい。野茂や黒田の記録もリスペクタブルだがイチローは別格だ。







ヴァーランダーは昨日(6/12日本時間)イチローは今朝(6/13日本時間)。トリミングしている。補正なし。TVはHITACHIのプラズマWooo P-42。
以下は「ポスト現代思想としての日本哲学」檜垣立哉+北野圭介の対談(現代思想1月号)中の部分。 

(檜垣)京都学派について内在的な話をすると、
西田の哲学のポイントは、「場所」論でもなければ「純粋経験」でもなく、「永遠の今」という問題だと考えています。
これは木村敏がよく書いていることでもあるのですが、「イントラ・フェストウム」、すなわち祭のなかを意味するような今の横溢、今の過剰のようなもので、分裂症的事態です。
永遠の今に対する西田の執着は大変なものがあります。時間的な今ということをあそこまで掘り下げ、永劫回帰に結びつけるという論点は、それこそドゥルーズがやったことですが、それは西田より三、四〇年後のことです。
そしてこの永遠の今という問題設定こそが、ヨーロッパが隠してきたものというか、ヨーロッパの近代が自由・平等・民主主義を掲げて広げてきた水平性を突き抜けてしまうような垂直性を持っています。

気になる箇所の多い対談だ。先日バスで福岡入りした際にもリュックに入れていった。
気になると完全に消化、ウンコになるまで読み返す。w
ラリュエルの「秘密」、吉本隆明の反時代的な60年代の記紀読み・・などもそうだ。
生きるということはそうやってずっと気になることを思いめぐらしながら、いまここに実存するということに相違ない。

これはバスの日、大名で撮った壁面。街にはこんなのがけっこうある。でもこれは初見。(だとおもう)
7sとNEOKINO。もう一枚は「のだ」のカップ。IDCのモノクロ現像。



今季二人出た芥川賞、滝口悠生の『死んでいない者』を読む。
先の本谷有希子の『異類婚姻譚』もそうだし、前回の又吉直樹の『火花』・・。物語は今様の装いをまとって次々紡がれる。
六畳ひと間のようにも狭い世界のテリトリーで
そこにはしかし込み入った事情がある。日常の(非日常か)些事がハナシの中心に居座る。
社会学の聞き取り調査にふれるような気分で読むが、読んでる当人はそれで時間をつぶせる。ありがたいことだ。

若い生き物が現れるその傍ら古びた者らは去ってゆく。
津島佑子は68歳というから僕と同じ団塊の世代だ。少し早い死だとおもう。


(7sとRollei Sonnar2,8/40)


(7sとNEOKINO改)
食べ物のテーブルフォト。w
NEX-7にCOLOR-ULTRON 1.8/50mmや、コンタックスT3抽出のSonnar35mm2.8などをつけて
ファインダにへばりつく。すると時間が過ぎゆくのを忘れる。
ありがたいコトだ。
最初のふたつがCOLOR-ULTRON50mm1.8。最後がSonnar35mm2.8(F8相当固定絞り)。





ドゥルーズのDVD『アベセデール』を「読了」!。
スーパーインポーズを追尾するのだから・・。
DVD3枚で7-8時間はある。これを一気に見た、という強者もアマゾンのレビューにいる。
が、当方は10日を費やした。

「出会い」(待ち伏せ)、「遅れてくるもの」とか、いくつか初めて聞くことばがある。
しかしそれはきわめてわかりやすい。
「知覚素」もそうだ。ドゥルーズの発話にはこちらがそれとなく経験していることがらが多い。
それはあらかじめ僕らが「知覚」しているからだと思う。
だってそうだろう。後から気づくということの中には、すでにそれを知っていることが込められている。
ドゥルーズから指摘されずとも僕らはそれを「知っている」。
痛快ドゥルーズ探偵の発話は、特に日本人には理解できる。徒手空拳にして、僕らはドゥルーズの哲学の外に出ているのかもしれません。

ともかく『アベセデール』はなかなかのモノですね。
國分功一郎の監修記事もよくできている。國分=千葉雅也対談もふむふむと読める。
なかで、ドゥルーズ入門としてもいい、と千葉はいうが、それはわからない。
このDVDからドゥルーズに入る、というのはいても少数者だと思うが。

今年の「よきおとずれ」であった。うむ。
おれの元気よやって来い、はよはよ。w



読了記念撮影。α7sとplanar1.4/50mm HFT。
1-2段絞り。前後はほぼ均等=なだらかにぼける。
技術の深淵(=深遠)に触れたような気がするじゃないか。いいレンズだ。

hp compaq Pen4 Xpを使う

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Windows10でできない作業があるので、hp compaqを出している。
奥にあるのはバファのAirstationです。
この絵は5Dと24-70mm2.8で撮り、XpでPSのCameraRawで現像した。
時間がかかった。w

Xpでネットサーフィンはできない。ウチの場合はトレンドマイクロのアップデートとファイルをFTPでサバに送る時だけ接続する。それ以外は子機を取り付けない。
それでもウィルスバスターでスキャニングは怠らない。

キヤノンで撮影した先の絵も、
こんなバファのカードリーダを付けてCFを読ませる。
ペンティアム4だからメモリは1.5Gあるけど、処理は耐えられないくらい遅い。
(絵の奥のほうに横置きしてるhp compaqが見えます)

使ってないCFカードを開いた。
2年ほど前にEOS5DとTAMRONの28-75mm2.8(Model A09)での実験写真があった。
以下はWindows10上のSILKYPIX(60220)で開いたスクリーンキャプチャです。
100%等倍の目の部分を手のひらツールでSILKYPIXの左下隅に寄せ、撮影の情報も出るようにしています。
拡大画像でみてください。
撮影日時は2013年11月15日の3時36分37秒05なんですね。
そんな時間に遊んでる男もオトコだが、SILKYPIXの情報もやり過ぎじゃないかなあ。w



ストロボをバウンスで使ったのだと思う。
情況的にはよく写って当たり前ですけど。w

かのキヤノンの24-70mm2.8は20万円はする一方で、タムロンのこのレンズは今では3万円を切っている。
このタムロンはツボに入ると高価なキヤノン以上に「写す」。
これは両方を使っている者の経験上の実感です。

M42-NEXアダプタ ケラレ

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 M42-NEXのケラレ続報。
知人製作の以下のヘリコイドチューブではケラレはない。
ということを今になって確認したのだからオレってなんでこうなんだろう。

まずはそのヘリコイドチュ-ブ、α7s実装を拡大してご覧あれ。



ヘリコイド部の実体は、PENTAXのHELICOID EXTENSION TUBEです。
現行品かどうかは不明。
マウント部はPixcoのC-NEXになってますが開口部は改造されています。
レンズはMade by Rollei のSonnar 2,8/40 です。
細かく美しいローレット部、フードは知人の手になるものです。
無限遠はヘリコイドのショーテスト(繰り出しゼロ)にあります。

実はそこがミソでした。
以前これに他のM42改造レンズを取り付けた時、無限が来ませんでした。
その時点であきらめていたのです。いつもはシツコイのに。w
他のレンズではオーバーインフだったのです。いやはや。
にわかに色めく、とはこのことです。
朝の5時から手元にあるM42改のレンズを何個かつけて遠景と接写(最短撮影)を繰り返す。
接写では絞り開放も。

1時間で結論が出る。
うーむ。見てください。SILKYPIXの200dpiサムネール一覧。
横1600縦1200の拡大画像でご覧下さい。



無限もきてる。ケラレはない。
いや、生きててよかった。w
持つべきは師ですなあ。うん。さすがだ。

なんとあのNEOKINOに無限遠が来るではないか。
防湿庫にはM42改のレンズはうんとある。
愉しみが増すというものです。

ちなみに今朝俎上にのせたレンズは
(ファイル名でもわかります)
①KODAK Ektar 5cm3.5
②CZ Planar 1.4/50 HFT
③COLOR-ULTRON 1.8/50
④SOLAGON 1:2 50mm
⑤六櫻社 Optor 1:4.5 50m.m
⑥六櫻社 Hexar50m.mF4.5
⑦エミールブッシュ NEOKINO 42.5/65mm
⑦Sonnar 2,8/40です。

フーコー ギリシャ回帰

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 1986年、フーコーの「自己の技芸」についての聞き手クレール・パルネに対するドゥルーズの言。
ドゥルーズがフーコーにどれほど直感的に惚れ込んでいたか、手にとるように読める。それにフーコーがその対談の場にいるかのような実に生々しい臨場感がある。そんなドゥルーズの様態、分析のテクネーも素晴らしい。
このブログ記事タイトルで検索がオモテに出るかな?でないだろうな。SEO的には僕の力量は明らかに不足してるもんなあ。
ま、ともかく「自炊」して原訳(宮林訳=これ改行なし)のままアップする。あなたがドゥルージアンで、さらにはフーコニストで、ついでに若き30から40代の男であれば・・ジイの「読んde!!ココ」自炊の労苦も悦びに変容するってもんですな。w
あ、しかし、以下のドゥルーズの言はカレの61歳時です。あるいはあなたがその年齢になればもっと「みぞおち」の理解が降りるのかもしれません。老婆心かな?

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パルネ
そうはおっしゃいますが、あれはやはりギリシア人への回帰なのではありませんか。そして「主体化」という言葉は、主体の再導入につながる曖昧な表現ではないでしょうか。

ドゥルーズ
ちがいます。ギリシア人への回帰などありはしません。フーコーは回帰というものが大嫌いでしたからね。自分で体験したこと以外を語ろうとはしなかったし、 自己の抑制、いや、もっと正確にいうと自己の生産は、フーコーにおいては自明の事柄だったのです。フーコーが、主張しているのは、ギリシア人は主体化を「創始」した、自由人の競合関係(競技会、雄弁術、恋愛など)という体制がそれを可能にしたのだということです。けれども、主体化のプロセスは並外れた多様性をもっています。キリスト教世界の様態はギリシアの様態とはまったく別のものだし、しかも主体性の生産は、宗教改革を待つまでもなく、すでに原始キリスト教の時代から、個人と集団の別を問わず、さまざまな道をたどってきたのです。キリスト教徒における新しい生存の美学を論じたルナンの文章を思い出すべきでしょう。ルナンが問題にしているのは、皇帝ネロもそれなりに助長してしまった、そしてアッシジのフランチェスコに最高度の表現を見出すことになる美学的な生存の様態です。狂気との、そして死との対決。フーコーにとって重要なのは、主体化はいかなる道徳からも、そしていかなる道徳的コードからも区別されるということです。
主体化は倫埋と美学にまたがるものであり、この点で知と権力の性格を帯びた道徳と対立するのです。したがってキリスト教の遺徳が存在し、もう一方にはキリスト教的倫理とキリスト教的美学の複合体が存在する。そして両者のあいだであらゆる種類の闘争が戦われ、あらゆる種類の妥協がおこなわれることになるのです。いまの時代についても同じことがいえるでしょう。私たちの倫理とは何か、私たちの審美的生存を産み出すにはどうしたらいいか、現行の遺徳的コードには還元できない私たちの主体化のプロセスはどのようなものになるのか。どのような場所で、そしてどのようにして新たな主体化はあらわれてくるのか。いまの共同体には何を期待すればいいのか。ですから、フーコーがギリシアまでさかのぼったところで、『快楽の活用』やそれ以外の本で彼が関心をよせるのは、いま現在おこっていることであり、いまの私たちが何者であり、何をしているのかということなのです。現代に近いものであれ、遠いものであれ、歴史的形成は私たちとの差異において分析され、この差異を点検するために分析されるにすぎないのです。私たちほみずからに身体を与えるけれども、それはギリシア的身体やキリスト教的肉体とどう違うのか。主体化とは、生存の様態を、あるいは生の様式を生産することなのです。
 ならば、「人間の死」という主題と、審美的主体化という主題のあいだに、どうして矛盾を見ることができるでしょうか。道徳の拒絶と倫理の発見のあいだに、どうして矛盾を見ることができるでしょうか。問題に変化がおこり、新たな創造がおこなわれているのですl。それに、主体化は生産されるものであり、「様態」なのだという事実をおさえておくだけでも、「主体化」という言葉のあつかいには相当の用心が必要だということはじゅうぶん理解できるはずです。フーコーは「自己そのものと正反対であるような自己の技芸」という言い方をしています。もし主体があるとすれば、それは自己同一性なき主体なのです。プロセスとしての主体化は一種の個体化であり、個体化は個人的であっても集団的であってもいいし、一個人についておこなわれても、多数についておこなわれてもいいい、そして個体化にはさまざまなタイプがあるのです。「主体」タイプの(それはきみ、これはぼく、といった)個体化もあれば、(事件)タイプの、たとえばそよぐ風、気圧、一日のうちのある時間、戦いといった、主体なき個体化もあるのです。ひとつの生や一個の芸術作品が主体として個体化されているかどうかは、まったくもって定かではない。フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。日常卑近な状況でも、すでにそうでした。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ気圧の変化とか、一種の(事件)、あるいは電界か磁場など、人間ならざるものに見えたのです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の世界に属するものではなかったのです。強度がいくつも集まったような状態。そんなふうであるとか、そんなふうに見られるということがフーコーを苛立たせたこともあります。しかし、フーコーの全作品がそうした強度の束によって培われていたというのも、やはり否定しようのない事実なのです。〈可視的なもの〉も、フーコーの場合には輝きやきらめき、あるいは稲妻のような、光の効果だった。言語は巨大な「ある(ilya)」が三人称に置かれたものにほかならないし、要するにこれが人称の対極に位置するわけです。フーコーの文体を成り立たせる強度の言語。これもシユレーターとの対談に出てくることですが、フーコーは「愛情」と「熱情」の対比を敷桁してみせ、自分は熱情の人であって愛情の人ではないと述べています。この文章のすばらしさは、即興の対話ということもあって、フーコーが愛情と熱情の区別に哲学的な意味合いをもたせようとはしていないところにあります。無媒介的な、生のレベルで語っているからです。愛情と熱情の区別は恒常性と非恒常性の方向でなされているのではない。いちおう同性愛と異性愛を話題にしてはいますが、かといって同性愛と異性愛の対比をおこなっているわけでもない。フーコーが述べているのは、むしろ、個体化はふたつのタイプに分かれるということなのです。一方の愛情は人称にしたがって個体化をとげ、もう一方の熱情は強度によって個体化をとげる。あたかも熱情が人称を溶解させたかのように。しかしそうすることによって未分化の状態に陥るのではなく、いつも相互に相手を包みあった、可変的で連続した強度の場に浸されるようになるのです(「それは絶えず動いている状態でしたが、かといって特定の点に向かうのではなく、力が強まる時期と弱まる時期がある。白熱して燃えあがる時期があるかと思えば、おそらく惰性からでしょう、とにかく理由もはっきりしないまま、不安定な状態がつづくこともあるのです。極端な場合にはしばらく自己を保ち、やがて消えていこうとする……自分白身であるということはもはや意味をもたないのです…」)。愛情はひとつの状態であり、人称や主体の関係です。これにたいして、熱情のほうは人の一生にも匹敵する長さをもつ人称以前の(事件)であり(「私はここ十八年来、誰かにたいする、そして誰かのための熱情の状態を生きているのです」)、主体なき個体化をおこなう強度の場なのです。トリスタンとイゾルデの関係は、たぶん愛情でしょう。けれども、いま話題にしているフーコーの文章にふれて、こんな感想を述べた人もいるのです。『嵐が丘』のキャサリンとヒースクリフは熱情だ、純粋な熱情であって、愛情ではない、とね。じっさい、『嵐が丘』は恐るべき魂の兄妹関係であり、もはや人間とは言いきれないものを表現している(彼は誰?―狼さ……)。情動のさまざまな状態を新たに区別してこれを表現し、それぞれに異なる情動を感じ取ってもらうのは並大抵のことではない。フーコーの仕事が中途でとぎれているという事実も関係しているでしょう。フーコーが生きていたならば、生の場合と同じような哲学的射程を、熱情と愛情の区別に与えていたかもしれないのです。ともあれ、フーコーが「主体化の様態」と呼んだものについて、大いに用心してかかるべきだということだけは、きちんと理解しておかなければなりません。フーコーのいう様態には、たしかに主体なき個体化が含まれている。これが問題の核心でしょう。それに熱情も、熱情の状態も、おそらく主体化の場合と同じで、(外)の線を折り畳み、生きうる線につくりかえ、呼吸する手段を身につけるという意味なのではないか。フーコーの死に直面したつらい気持ちをいだきつづけている人たちは、あの卓越した作品が熱情に呼びかけたところでとぎれているということで、悦びをおぼえてもいいのではないかと思います。

 閑話休題。これはα7RにKODAK Ektar 1:3,5 F=5cm No 107****の容姿です。

ソニーSS閉鎖

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 α7s。「人力」で処理できないゴミのこと。
1月7日11時、当地にもっとも近い大阪サービスステーションにTELしてみた。。
確認したかったのは、センサーの「お掃除」が「持ち込み」でその日のうちにできるかどうか、だ。w
(僕には)ソニーの信用はそこまで落ちている。まさかの坂、てのもありますんで。
回答。2時間程度待つ、ということだ。福岡では1時間だったので、まあ大差ない。要は「お預け」になると困るんで確認した次第。
ただし「午前中に持ち込めば」ということだ。営業は17時30分で終了する。その日の状況で夕方までに出来上がらないこともありうる、ということだった。

結論はこうなります。
大阪(関西)に遊びに行こう。ついでに日本橋(難波)のSSで掃除してもらおう。w






上の2枚は、ほぼ隠れています。α7s GR28mm(F5相当固定絞り)

Happy New Year tessar35mm3.5

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 知人のメモによれば、京セラ=KYOCERA(ヤシカ?) T PROOFからの抽出レンズです。
Tessar 3.5/35 T* です。固定絞り。
僕が外出中の玄関にメモとともに置かれてあった。「プレゼントします」とも・・。
まさに「お年玉」とはこのことだ。いや、感謝の極み。



で、再度外に用ができ、とりあえずは当のレンズを7sにつける。部屋を出る前に敷きっぱなし=雑然のマット周辺をスナップして出る。
帰ってチェック。
ああ、いいなあ。 これは僕の好みだ。

 12月31日。あと1時間もすれば新年。年の境目を、ムード満点のテッサー35mmで締めくくれるなんてシアワセなヤツだ。
 みなさん、よいお年を。そしてハッピーニューイヤー!。

α7sとAPS改造レンズ

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 7sの「カラーバランス」のズレを3週間にわたって「そんなもの」と思っていたこと。
これには、思いを巡らさないでは済まされなかった。「哲学者」ですからねえ。w
かのミシェル・フーコーですよ、「認識は誤認だ」と言ったのは。今回のことは「知覚」の入口に毀損があったわけだから、「誤認こそが認識だ」ったことになる。
たまたま居合わせた方の7sをみて異変(認知に毀損があること)に気付いた。私たちの振りかざす「事実」なんぞ、もろいもんだ。
しかしこの3週間、変なカラーバランスでも楽しかった。w
シネフィル、あるいは外式ISO64のコダクローム的で、あれは好みなんです。
「リバーサルフィルム」の長時間露光みたいなもんですね、と知人にのたまっていた。笑える。
「リア充」そのまんまじゃないか。w 
好みとはいっても「設定リセット」したから好み設定は不明。オリジナルのrawファイルがあるから解明できるかもしれないが。

さてさて。知人作Kodak EKTANAR 23mm_改の最短撮影距離は約25cm。ミセの外から撮影。



背景を入れたいときには重宝しますよね。

 ちょっと不思議なのがKodak ADVANTiX F300には23mmと25mmがある、ということ。拡大画像はありませんがわかります? 
レンズ部の意匠も異なります。



さらにKodak EKTANAR 24mm f6.4 というのもある。これは Kodak ADVANTiX F320とKodak ADVANTiX F350についている。
「変種」の多いカメラなのだ。1mmきざみで3機種出すって何なのでしょう。


(α7s/E 2.8/20 拡大画像あり)

 過去記事のミスについてお詫びいたします。

7sを使い始めて3週間が経ちました。入手時からカラーバランスが変でした。
ネットの記事でも「シアンかぶり」の件は散見されましたので、そんなものかと思っていました。
が、青天の霹靂とはこのことで、きょう7sのユーザーさんに出会いました。そのかたのプレビューは実に「素直」でまともな色合いなのです。

うーむ。
帰宅して思い切って、本体設定を初期化しました。(終了まで少し時間がかかる)
あれまあ上の絵のように自然の色味になるではありませんか。オレは一体いままでなにをやってたんだろう。w

これまでの記事はおいおい訂正します。カラーバランスについての所見は全面的に撤回いたします。
私と同じような状況の方は、一度「設定リセット」をされることをおすすめします。
記事の再構築(訂正あるいは削除)まで今少し時間をください。

いやはや。

コンタックスT3

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(α7R/Contax T3 Sonnar 35mm f2.8 改 拡大画像あり)

 近所で屋根を洗浄するシンナーの強烈な匂いが闖入。窓を閉めるが苦しい。よって近くのスタバに退避。もう優に2時間は過ぎた。下の縦の画像は「THANK You!!! for 8 Aniversary☆☆」のサービス。

EF24-70mm f2.8

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(EOS5Dmk2/EF24-70mm f2.8 拡大画像あり)

 マニュアル撮影。豚の先にIBSが見える。今日はそこで買い物をする。パンツ二枚。IBSは以前は日銀福岡支店の近くにあった。そういえば昔はIBSのトイメンにあの「SOTEC」があった。いつごろだろう? 10年以上前だろうね。移転したIBSをスマホで探して出向いた。スソ上げの待ち時間を「ソラリア」=珈琲舎のだで過ごす。自席ではWiMAXが届かなかったので、窓際の床にMobileCubeをそっと置いた。窓際のカップルが「ん?」。言い訳はしない。老人はかくもあつかましい。


 (α7R/COLOR-ULTRON 1.8/50改)

 新宿区役所に入る。レンズをヘクトールからウルトロンに替える。新宿ゴールデン街をひそかに撮影するが、区役所で一休みする。そうして再びゴールデン街に向かう。ヘクトールで撮った1時間後、COLOR-ULTRONを付けて同じ場所を巡る。この絵は看板「南海」(なみ、と読む)を視野に入れんと撮ったものだ。レリーズしたその瞬間、偶然奥のとあるミセから「彼女」が出てきたのだ。100%でみると、「なんでオメエここでシャシン撮ってやがるんだあ」という顔で睨んでいるのがわかる。拡大画像でも縦920dpiだから彼女の顔貌は判別できない。なので掲載をお許し願う。
 さて。「南海」。ここは、深瀬昌久が階段で転倒して意識不明となった場所です。僕がこの場所に寄るのは深瀬昌久に会うためなのかもしれない。1992年に事故が起きた。20年後の2012年に死去。その運命の場所が「南海」なのです。
 活躍してくれた機材とSuica。レンズは Hektor 2,8cm 1937年製造。脇のレンズは 知人の手になるM42マウント改造のCOLOR-ULTRON 1,8/50。


 (NEX-7/CONTAX T3 Sonnar)

 以下はヘクトール Hektor 2,8cm で撮影したもの。花園町。新宿ゴールデン街。コントラストが強くてもライツはつかむ。芯がある。近場は別として風景は置きピンでいい。







 告白(?)するがゴールデン街の撮影には許可がいる。僕は光を求めては人影のないこの時間帯(10時前後)に来る。申し訳ない。旅の恥はかき捨てとばかり横着な態度だ。今回はどうしてもヘクトールをフルサイズで使いたくて出張った。ヘクトールをフルサイズで使ってみて本当に感動する。改めてこの町とこの「通り」に感謝します。(クサイ告白かな?)

Paul My Valentine

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 MPL Communications(McCartney Productions Ltd) にはユニークなロゴがある。



「LIVE KISSES」のBlu-Ray Diskにもこれが出る。「LIVE KISSES」はもともと「Kisses On The Bottom」がオリジナルということです。僕がミセで見たのも2012年にwowow が放映した「Kisses On The Bottom」だったのだ。うむ。「出来事」はこのようにある。出来事には「原因」などはない。たとえばの話、現実の「天災」が仮に「出来事」であるとしてみよう。それには起源=原因はない。地質学者がなんと力説しようが、そんなものは「ひとつの原因」ですらないのです。アンタは南海トラフに潜って見てきたのかい? ということだ。僕はそう思っている。同じようにこの記事、ポールの「My Valentine」についての言表は原因をもたない。「出来事」は再現できないしこの場所で辿ることなどできない。それがクモの巣=Webにあるつなぎ目(結節点・結策点)に似た出来事のイメージだ、と思う。時間軸(クロニクル)でミセに入った時点を起源と言えるか。そうじゃない。ミセに行くことになったわけがある。じゃ、なんでわけなんかつくったの? ほらね、どこにもポール・マッカートニーの「My Valentine」に行き着く起点はない。種も胚もない。胚はそこで種になり芽を出す。「そこ」を移動すれば新たな場所(トポス)で胚が生成する。そう、どこにもつかみどころがない。

 こんなことを前置きしてマイフェス(mifes=僕の常用テキストエディタ:20年前からこれ一本です)にタイプするなんて、なんか変だ。じゃ先にいこう。「My Valentine」ね。ううむ。いい詩、いい曲です。新曲で、新しい妻のために作ったのだそうだ。いいなあ。ポール・マッカートニーを羨ましがってどうすんのよ、てことだが・・。「My Valentine」は本編ライブにも収録されているが、今日ここでいうのは俗にいうボーナストラックにあるヴァージョンのことです。ナタリー・ポートマン(知らないです)とジョニー・デップ(名前だけは知ってる)のワンテイク・ヴァージョンてやつです。youtubeにリミックス版みたいなのがあったのでそれを借用し、再エンコしました
。少し説明します。「My Valentine」に合わせて「手話」をやるんです。ジョニー・デップはその日着てきたその服装で始める。その場で「手話」の手ほどきを受けやり始めるのです。ほんもののアーティストってすごいですなあ。ポールのプロデュースが光る。まあ映像を見てください。歌詞と訳を出しておきます。(訳した人に感謝と陳謝)。

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My Valentine - Featuring Natalie Portman and Johnny Depp
www.paulmccartney.com
Directed by Paul McCartney
Featuring: Natalie Portman and Johnny Depp
Cinematographer: Wally Pfister
Editor: Paul Martinez
Produced by: Susanne Preissler
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(歌詞)

What if it rained?
We didn't care
She said that someday soon
the sun was gonna shine.
And she was right,
this love of mine,
My Valentine

As days and nights,
would pass me by
I tell myself that I was waiting for a sign
Then she appeared,
a love so fine,
My Valentine

And I will love her for life
And I will never let a day go by
without remembering the reasons why
she makes me certain
that I can fly

And so I do,
without a care
I know that someday soon the sun is gonna shine
And she'll be there
This love of mine
My Valentine

(instrumental)

What if it rained?
We didn't care.
She said that someday soon
the sun was gonna shine
and she was right
This love of mine,
My Valentine


万が一 雨が降ったらどうするんだい?
僕達は 気にしなかった
彼女が言うには
いつか 直ぐに 太陽が輝くでしょう
そして 彼女は正しかったよ
この 僕の愛
マイ・バレンタイン

昼や夜が
僕の傍を 通り過ぎていく度に
兆しを待っているんだって ひとりごとを言う
それから 彼女が現れた
とても 素晴らしい愛なんだ
マイ・バレンタイン

だから 彼女を一生愛するつもりだ
そして 一日を黙って過ぎ去らせやしないよ
理由を思い出さずには
彼女は 僕に確信させてくれる
空を飛べる事を

だから 僕はやっていくよ
気にせずに
いつか 直ぐに 太陽が輝くことを知っている
そして 彼女は そこにいるんだ
この 僕の愛
マイ・バレンタイン

万が一 雨が降ったらどうするんだい?
僕達は 気にしなかった
彼女が言うには
いつか 直ぐに 太陽が輝くでしょう
そして 彼女は正しかったよ
この 僕の愛
マイ・バレンタイン

NEOKINO

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 銘板には NEOKINO との刻印がある。キネ(kine,cinema)用途であることには違いない。鋭意検索すれば、原形を留めた個体に出会えると思う。「エミール・ブッシュ 」でググる。Wikipediaがヒットする。そこで枯淡の歴史が知れます。


(α7R/COLOR ULTRON 1.8/50)

 円形に切り抜いた黒い紙で蔽いをつけている。絞りの効果を出すためです。「NEOKINO 42.5」でググればeBayにこれの仲間とおぼしき個体がみつかります。(以下はeBay掲載画像を拝借:拡大すれば刻印も見える)



 さて。借りたレンズで撮ってみる。銘板面を逆向きにM42にマウントしてます。正方向でもいいのです。このようになります。


(α7R/NEOKINO)

 ビールのラベルが中央のピント位置になります。拡大画像でみていただければそれなりにわかります。中央以外はボワーっとした感じです。ではもう一枚。


(α7R/NEOKINO)

 奇妙奇天烈なレンズ(?)が鎮座してます。いやはや。これらも知人からの借り受けです。どんな絵が作れるのか、ざっと扱っただけなので目下のところ不明。NEOKINOはこの絵でも中央部以外は流れたように写る。「効果」と「遊戯」の世界ですね。
 最後にひとつ。「エミール・ブッシュ」で 検索してウェブをさまようと、ニコペル(ニコラ・ペルシャイト)とかいうプロ用のレンズに行き当たる。そこをまさぐると数時間が過ぎてしまいます。ネットの時代、それは検索とそこから広がる知の情報綱の世界だ。web(クモの巣)とはよくいったものだ。出来事はドゥルーズの言うように直線的だ。しかも網の目状の結索点として線上に存在する。少し似てる。

 ポール・マッカートニーの「LIVE KISSES」を買う。ブルーレイ版。


(α7R/Sonnar 2.8/35 改)

 が、自作PCに組み込んだパイオニアBDR-208DBK(バルク)には何もついてない。説明書に「日本語」がない。上の絵はMac Blu-ray Playerの無料版。だから中央にウォーターマークが居座る。動作は単純でいい。ちなみにPowerDVDの最新版よりBRプレーヤーが安い。PIONEER BDP-3120-Kが8100円である。それを発注。

(追記) この数時間後、Mac Blu-ray Playerのダウンロード版を購入する。50%引きのお正月クーポンを使い、24か月間の再ダウンロード保証を付けて。それでも、3854JPYだからまあお得。無事再生できた。なかなかいい気分で視聴できます。My One and Only Loveで終わる。全編が僕たちの世代でいえば「かっこいい」のです。ウマイとかヘタのレベルではなくて「かっこいい」。団塊には泣ける。メンバーもすごい。
 キャプチャすればいいものをわざわざモニタを写す男・・。


(NEX-7/E1.8/35 OSS)


(α7R/Angenieux 35-140mm TYPE LA2)

 改造3点セットを撮る。知人譲り受けのヘリコイドアダプターの威力はTYPE LA2のアンジェニューでも発揮される。Angenieux 35-140mmは最短撮影距離は1.5mだ。もともと35mm映画用ですからそんなものなんでしょうね。けれどヘリコイドをほんの少し繰り出すだけで、ググッと寄れる。これは快感。これまでよりずっと身近なレンズになりました。この絵で60-70cm付近。近づいて合焦する箇所を見つける方法が楽だと思う。雰囲気はそのまま映画(シネマ)です。この絵の場合、ベローズの上部にもピントがあります。中央部はピントがきてない。合い方も少し違う。実際のレンズ位置状況をNEX-7/E1.8/35 OSSで記録してます。


(NEX-7/E1.8/35 OSS)

 (追記)中央部のピントのことが気になったので別のショットをみる。次の絵は顕著にそれが出ている。たぶん手前のGR28mmの刻印にピントを取り、構図を変えてチルトアップしたからだろう。中央部はアウトフォーカス部分なのだ。


(α7R/Angenieux 35-140mm TYPE LA2)

 (さらに追記)やはりそうでした。この通りバッチリきてます。これはヘリコイドをさらに出して、ズーム80mm、f5.6、撮影距離50cmで撮っています。ISO2000、1/60秒ですがブレもないようです。それにしてもまあ、このレンズもため息ものです。僕はこういう絵を撮るその時間ホントに安らぐのです。(笑)


(α7R/Angenieux 35-140mm TYPE LA2)

 ソニーのILCE-7Rを先行予約でソニーストアから入手。11月15日発売日に着く。さっそくHektor f2,8cm を付ける。が、NEX-7のようなMFアシストはできない。「ピント拡大」というのがある。ピント拡大時間を「無制限」に設定する。少しステップを踏むが慣れるしかない。

 その機能を使ってのヘクトールHektor f2,8cm である。ライカⅢf にトライX を巻くような気分になる。ちょっとうれしい。ヘクトールはモノクロフィルムで(というかトライX で)本領を発揮するレンズだとおもう。設計はシンプル。僕の個体は1937年製造で当年76歳ということになる。α7Rは僕にとっては、待ちに待ったL型レンズのためのフルサイズミラーレスなのだ。


(α7R/ヘクトールHektor f2,8cm 1:6,3/Image Data Converter)

プラトン主義の転倒

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 出来事は理念的である。ノヴァーリスが語ったことであるが、理念的な出来事と現実的で不完全な出来事の、二つの出来事の列がある。例えば、理念的なプロテスタンティズムと現実のルター主義である。しかし、この区別は、二種類の出来事の間にではなく本性的に理念的な出来事と事物の状態の中での空間的-時間的実現の間にある。出来事と事故の間の区別である。出来事は、〈唯一の同じ出来事〉において交流する観念的な特異性である。だから、出来事は永遠真理を有しており、出来事の時間(=時制)は、決して出来事を実現して実在させる現在ではなく、出来事が存続し存立する限りないアイオーン、不定形である。出来事だけが理念性である。プラトン主義の転倒とは、先ずは、本質を解任し、それに代えて特異性の噴出としての出来事を取ることである。二重の闘いの目的は、出来事と本質の独断論的混同を阻止することと出来事と事故の経験論的混同を阻止することである。(引用終わり)
(ドゥルーズ『意味の論理学』第9セリー 小泉訳 河出文庫 P106)

 そうなのです。中村哲の「三無主義」を「プラトン主義の転倒」とみるとどうなるか。彼の諸活動にはなにか人を惹きつける永遠真理のようなものがある。それは彼がヒーローイメージの「本質を解任」しているからだと思うのです。出来事を現在の時制に実現させることも重要だがそこにしがみついてはいない。そんな気がする。出来事は事故にとどまらない。無思想、無節操、無駄、というのはプラトニズムの理想と縁を切る、すなわち「本質の解任」を意味する。そこに無意識の戦略がみてとれる。中村哲はアイオーンを生きているのだ。そしてロマン派でもあるか。先日、散歩しながら考えてみよう、と言ったのはいわば戦略としてのプラトニズムの転倒のようなものを思っていたのです。中村哲氏の戦略、というのではありませんよ。出来事の系列(セリー)あるいは個体化のことを思っているのです。

時間B系列的に

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 三菱地所アルティアム「からくりおもちゃの世界展」。流れる時間、で言おう。岩田屋本館地下B2から渡辺通りを横断する地下道を歩く。(イムズ地下入り口付近に通じている)イムズB2からスケルトンエレベーターで8階に。会場に入る。混雑なし。ある作品に撮影禁止のロゴ。ということは基本は許可、と判断しお隣のオブジェの動画。(NEX-7 E2.8/20)。さらに順路を進むと全館撮影禁止のプレートが。(あらら)会場を出る。1階に降りる。MMTジュンク堂に向かう。猛暑だ。これがそのときの順序系列です。これはA系列なのかそれともB系列か。
 では現在、動画を収めている時点をとり出そう。その内実は「出来事」だ。けれどこれはプレート地点の(=あらら、の時点)では「過去」となる。ということは未来でもあるということになる。「動画なう」の内実が現在・過去・未来を含む時間とはどうも不思議だ。これはたぶんA系列的な時間の記述だろうと思うが。どこか間違ってますかね?

時間 出来事

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 今日8月7日は立秋。
 1週間ほど前のことか土手を歩くとアカネが乱舞していた。前日まではいなかった。そのさらに1週間ほど前にはカナカナが桜の木を渡っていた。クマゼミのなかにいた。今朝もまだクマゼミは鳴いている。だが季節は推移している。
 推移する、っていえば、時間とか出来事とかをかんがえる。今この時点を基準にして、アカネとかさらに以前のカナカナとか言う。九月になったら旅行でもするか・・とか言うこともできる。ところでジョン・マクタガート(John McTaggart )的にはこれらのことは時間のA,Bどちらの系列なのか、僕にはよくわからない。文脈上(おなじ構造での表現上)アカネとカナカナは推移律が成立してる。(とおもう)一方、旅でもしようか・・というのは別のセリーのように思える。僕が主体となって思うことだ。これは現在・過去・未来のA系列のようだ。
 「時間」はよくわからない。マクタガートは、時間はない、という。そんな気もする。散歩するたびにそんなことを思う。つまり「出来事」をおもう。散歩=パセアルセの中途、そのなかで「出来事」を思う。思っている時空もすでに出来事だ。推移している。自動的だ。非対称だ。



(土門拳:高島屋/EOS5D/MACRO-ELMARIT-R 1:2.8/60/Photoshop CS5.5/拡大画像あり)

福新楼 博多皿うどん

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 福新楼の博多皿うどん、干し貝入り肉シューマイ、そしてマンゴープリン。久しぶりに入る。客が多く、時間をずらした。食べるためには努力を惜しまない。マンゴープリンは絶品。

 NEX-7/E20/2.8/SILKYPIX。拡大画像あり。

MobileCube speed

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5時少し前に眼が覚めた。これでもよく眠れたほうだ。ありがたい。個人灯をつける。ポイドことP-01DでMobileCubeのスピードテストをしてみる。退屈しのぎ。こんなことができるのもたまたま「個室」にお引越しできたわずかの期間の余得なのだ。この時間帯だからだろううか? 個室の場所のせいか?(かも)結構出るのですね。当地ではいいほうです。僕には目下TVは不要。それより、ネット難民になることがつらい。いのちからがら(?)の今回の旅では、MobileCubeは不可欠のアイテムとなっている。MLBも始まったし。さて、スクリーンショットはddmsでとります。device-2013-04-07-052244 てなぐあいにPNGファイルが生成されます。(設定で変更はできると思うが)。



(NEX-7/E2.8/16mm SILKYPIX)

フーコー マネの絵画

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フーコーの『マネ』については謎が多かった。例のごとくフーコーによるノートやメモがあったのは事実らしい。そのオリジナルは残ってるのか? 死後の出版はなしにする、の「遺言」ゆえに出版できないのか・・うんぬん。だがしかし、フーコーが『マネの絵画』と題しておこなった「講演」のテープがあったのだ。なるほど。テープ起こしから始まる。ミシェル・フーコー『マネの絵画』(2004年)の阿部 崇訳である。昨夜一気に読んだ。(講演部分のみ)
うむ。フーコーらしいですね。1971年チュニスで行われたものらしい。2011年に「ワシントンナショナル・ギャラリー展」で僕は本書にフーコーがとりあげた「鉄道」と「オペラ座の仮面舞踏会」をじっくりとみている。読んでいて臨場感で眠れなくなりそうだった。それでも草稿を破棄したのであれば、フーコーには何か「ひっかかり」があったのかもしれない。そう、これはマネを自分にひきつけるフーコーにしかやれない「分析」だ。読んで数時間後の「感想」だから、この記事は削除するかもしれない・・。


 (NEX-7/E2.8/16_PL/SILKYPIX)

 『マネの絵画』で論じられた当の絵をPDFでここにまとめてあります。AcrobatでプレスPDF向けに作成してますのファイルサイズが大です。50-60%でごらんになってください。

PM2.5 マスク

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 N95マスクをAmazonから購入。

(NEX-7/E16mm F2.8 SEL16F28/PhotoshopCS)

 PM2.5対策です。「マスク フィットテスト」あたりで検索すれば、youtubeに医療従事者向けのビデオクリップがあります。ま、ですからこれが僕に合っているかどうかは(実際に95%以上の防塵ができるかは)定かではない。とりあえずの選択。20枚で3800円ですから、とりあえず、じゃないか。お願いフィットしてよね。

 (追記)

 一時間外出して試しました。①サングラスが曇らない。②タバコのにおいがしなかった。(たまたま?)③喉の痛みは依然強く感じた。

 youtubeにフィットテストに関する東北大学の詳しい動画があります。どの程度フィットしてるかを検証する装備もあるのです。僕にフィットしたか? 不明です。今日の試行で3M社製のこれが有効だったのかどうかの確証はありませんでした。歴史上わが国は東南アジア諸国で公害を撒き散らしてきました。いま逆に隣国の経済発展のあおりでこのような汚染を甘受しなければならなくなった・・ということかもしれません。PM2.5の影響はおそらく現時点では解明できないと思う。21世紀の後半になれば何かのデータが出るのかもしれない。あきらめの境地で申せば、あらゆる「公害」は後年それと指示できる「点」のようなものにすぎない。ここかしこに放射状にも「線」は出ているのだが「出来事」は黙視されている。僕にはそう思えてならない。

MobileCube WiMAX

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 ピントがきてませんが「馬油」の上にのってるのがMobileCubeです。GMOのとくとくBBです。WiMAX MobileCube接続サービス (ホワイト)の実体はUQ WiMAXです。2年縛り。ネット難民になる事態になって、やむなく加入。自宅で下り3M出てます。何かの間違いかな。スピードテストアプリ『RBB TODAY SPEED TEST』での実測です。

 MobileCube本体ですが、総計5時間くらい使うとこのようにPWRのLEDは緑から黄に変わります。60-30%のバッテリー残量です。中央の緑点灯はWi-Fi接続中、右端黄点灯はWiMAX電波強度が中程度というイミです。

 屋外でも市内をフツーにカバーしてます。ビルの中はこれはもう現地で試すしかないでしょうね。地下鉄はだめだと聞いてます。

NEX-7のセンサー汚れ

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NEX-7のイメージセンサー清掃。
(1600*1067の拡大画像あり)

(NEX-7/Summaron f=3,5cm 1:3.5 /F11 SILKYPIX)

サービスステーションに予約持ち込み。
約1時間後には仕上がりの連絡が入った。
ご覧のようにゴミはとれた。
と、思った。
しかし完全に除去できなかったそうだ。
よって、東京に送りましょうか、ということに。
あいにく僕はボディ・キャップをもってきてなかった。
いったん持ち帰ることになったわけだ。
だけどこれだったら問題ない。
絞りはF11まで使えればいい。
購入1年以内ならば無償です。

さて。のっぺりとした空は「黄砂」です。
朝から喉が痛い。黄砂に含まれる「亜硫酸」の被害。
これも当事者にしか知覚できません。
「認識」はこの場合単純に身体の「知覚」です。
したがって「差異」に溢れています。
ジェイムズ・ミラーの
『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』
(田村 俶ほか訳:筑摩書房)
第10章「自己の記述」に
ボッシュの「聖アントニウスの誘惑」の
絵(トリプティク)の記述がある。
気になったので鋭意検索した。
胴体のない不気味な男と面対するアントニウス。
画像中央付近です。
フーコーはこのフィギュアについて
自己の目下の課題にひきつけて考察する。
パクリだけど備忘のために安置します。(拡大画像あり)



くだんの本文には今日は触れずに
不気味なフィギュアに加えて
気になる本文脚注16(原注)を以下に。
//////////////////////////////

フーコーは1980年、
ハウイソン記念講演終了後の自由討論の席で、
禁欲主義とエクリチュールの結びつきを精緻化している。
「私の考えでは、自己の解釈学が
ある種のエクリチュールに席を譲ったときに、
近代文学が始まったのです。
たとえば、モンテーニュからです……
文学はある意味で自己の犠牲です。
あるいは、自己の犠牲であると同時に、
事物の秩序のなかでの、別の時間、
別の光などといったもののなかでの、
自己の置換でもあるのです。
ですから、近代の作家はある意味で、
初期キリスト教の苦行者あるいは
初期キリスト教の殉教者と関連しており、
結びついており、類似しています。
私がこう申し上げるときは、もちろん、
辛辣な皮肉を込めて言っているのですが」――
そしてフーコーは笑うのだが、
明らかに聴衆は彼が何を言わんとしているのか
見当がつかず、押し黙ったままだ。
フーコーは続ける。
「自己の解釈学と自己の消滅――
犠牲、自己否定――とのあいだの関係という、
この同じ間題が近代世界における
文学経験の核心であると考えます」
//////////////////////////////

ちなみに脚注16の詳細を画像で。(拡大画像あり)



本書に触れずに、ボッシュと脚注だけになったが
すんません。ぐっときた場所でアホが立ち止った、
ということです。

フーコーの笑い

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「フーコーの場合は」とドゥルーズはいう。
「その笑い声ですら一個の言表だったのです。」
(ドゥルーズ『記号と事件』)
フーコーの高笑い、哄笑というのをどこかで
読んだ記憶がある。
『現代思想の冒険者たち』かもしれない。
ちょっと手元にないのでわからない。

あはは、と高く笑うときに味わう自己乖離の気分。
あれは健康にいいのかな?
ぼくもその種の笑いをやってるとおもう。
昔々、フーコーに興味を抱いたのは彼の「笑い」に
何かを感じたからかもしれない。
(聞いたこともない笑いを感受させるエクリチュール!)
僕の余生には、『フーコー・コレクション』をそろえて
読むくらいの時間はまだ残されているのじゃないか、
と思う。冗談=本気半々で全巻買おうかな、と
夢見ごちのきょうびだ。
では、P195「4社会医学の誕生」より自炊。
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 新しいかたちの社会医学がイギリスで誕生します―
イギリスは産業の発達を経験し、その結果、
プロレタリアの形成が他の国々よりも大規模で、
急速だったからです。ただしそれは、他方で
ドイツ的な国家医学の計画がなかったという
意味ではありません。
たとえばチャドウィツクは一八四〇年頃、
ドイツのやり方から多くの示唆を得てみずからの計画を
練りあげています。またラムゼーは一八四六年に、
『都市住民の健康と病い』と題された本を書きましたが、
これはフランス都市医学の内容を反映するものです。

 イギリスの医学が社会医学になっているのは、
主として「貧民救済法」のおかげです。
この法律の条項には、貧窮者たちを医学的に管理する
ということが含まれているのですから。
貧しい人々が扶助制度の恩恵をこうむるように
なったときから、さまざまな方法で彼らを医学的に
管理することが義務化されます。
貧民救済法にともない、曖昧なかたちではあれ、
社会医学の歴史に重要な要素が入ってきます。
それまでは貧困ゆえに期待できなかった健康への
欲求を、もっとも貧しい人々でも満たせるよう
助けてあげる手段となるような、
税金でまかなわれる扶助あるいは
医学の介入という考え方です。
同時に、それは管理の継続を可能にしました。
豊かな階級あるいは政府におけるその代表者たちは、
管理をつうじて困窮した階級の健康をまもり、
したがって特権的な人々を保護しようとしました。
こうして都市のなかで、豊かな人々と貧しい人々の
あいだに、いわば権威主義的な検疫警戒線が
設けられたのです。そのため貧しい人々には無料で、
あるいはより安く医療を受ける可能性がもたらされました。
豊かな人々はこうして、貧しい階級が生みだす
疫病の犠牲になるという危険から解放されたのです。

 医療法制を見ると、当時のブルジョワジーの大きな問題が
移し替えられているのがはっきり分かります。
いかなる代価を払って、どのような条件で、
いかにしてみずからの政治的安全を守るか、
という問題です。
貧民救済法に含まれている医療法制は、
そのようなプロセスに対応するものでした。

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(PENTAX K20D/43mm Limited)


(EOS5Dmk2/アンジェニュー35-140mmTYPE LA2)

先だって不思議な経験をする。
知人を訪問する。
と小泉義之の『ドゥルーズの哲学』を差し出して、
大変な昔、これをあなたに借りていた、と言う。
咄嗟のことだ。
え?そうだった?いつごろのハナシ?
彼「~のころだと思います。」
奥付をみる。2000年発行だから、「~のころ」とは
時期が合わない。

ウチにも一冊あるので、彼に貸して別に買い求めた、
ということになる。だがその記憶は全くない。

そこで僕は仮説をたてる。
彼は僕の紹介に触発をうけて、自ら買い求めた。
時間がたつうちに僕から借りたものと錯覚する。
どうだろう。ありうるハナシではないか。
そもそも内在はそんなふうに作動するものでしょう?
違うか。やはり僕の忘却か?
いやだなあ。(笑)

スタバのWi-Fi

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空港のスタバに行く日が多い。



(NEX-7/アンジェニュー28mm)

理由=避暑、FREESPOT、カフェラテを欲す。
(注:空港のFREESPOTを店内でキャッチ)
wirelessgateに加入してるが、
マクドナルドでは落ち着けない。
腐女子、騒ぐ子ども、群れて化粧臭の女子高生、
椅子を横にして寝そべる高校生・・と、
ジェントルマンのいる場所がない。(笑)
まだしもスタバが居心地はいい、というわけだ。

空港にはビジネスサポートセンターがある。
空港利用のビジネスマン用に3席ある。
ところがここにも地元の子どもたちが乗り込む。
親が送ってそこで遊ばせ、後刻迎えにくる、
というような気配だ。(推測)
Wi-Fiがあるので、ゲーム機も使える。
そばにいる大人に遠慮するふうは全くない。
エアコンの温度を最低にしたり、床に寝そべったり、
子どもらはやりたい放題だ。

ま、クソガキですな。ぼくはクソガキはきらひです。
そんなときはすたこら退散しますです、はい。
ハイブラウなあなたなら「無料スポット」は
お避けなさい。

空港スタバにのいいところは、
回転がはやい、ということでしょう。
よどみがない。クソガキもあまりいない。
空港の有料駐車場を使いますから、
2時間を越えないように使ってます。
いま都心にあるスタバのWi-Fiサービスが
この地方にもはやくやってくるよう期待。

CPUクーラー corsair H60

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クーラーマスター機に
corsairのH60を取り付ける。
H50からの乗り換えというか、載せ換え。
(GA-EX58-UD4 LGA1366ソケット)



ポンプユニットが角型になる。
上の写真ではポンプユニットのピンは
暫定でSYS_FANに接続してるが、
COSMOSの天井のファンが2個あるので、
これまではそれで消費していた。
近くに3pinがないのです。
よって実際はNB_FANにつないでます。
Pin番号3はNCとなってる。検知はしない。
ごれはマザボの設計に左右されるのでしかたない。
COSMOS全体像はこうなりました。



結果は2時間使っても40度くらい。
どうやら冷却器の不具合ということで決着。
よかった。
しかしギガのこのマザボはあまり好きじゃない。
パーツの相性があるので困る。
で、これまで使っていたH50のリタイア記念に
お別れ写真。3年間ご苦労様。



500ページもある分厚いアナイス・ニンの日記を
結局最後まで読み終えてしまった。

私が日記を書くのは、この世でもっとも
掴みどころのない人物を、何とか解明するための
努力なのだと思い至る。その人物、すなわち、私は、
自分の探索を巧みにかわす。自分の嘘もすべては
白状しない。そんなことをしていたら、時間はいくら
あっても足りない。この私という人物は、とても書き
切れるものではない。考える筋道は、際限もなく
分かれていくんだから。
アナイス・ニン『インセスト』(P159)

上記の箇所は1933年、狂乱のような日々の中での記録だ。
ヘンリー・ミラー、アントナン・アルトー、
インセスト本人の父、オットー・ランク・・
「忠臣蔵」のオールキャストのようだ。(失礼!)
自己について語るときは常に矛盾がつきまとう。
「際限もなく分かれる」とはそういうことだ。
嘘つきのパラドックスにさらされるのだ。

アナイス・ニンは愛(性愛)に飢え、男たちに優しく、
しかし愛の鎖よりはなにより自立を求めた・・

ホン読みに疲れて、起き上がる。
手元のEOSMK2/EF16-35mmで動画。
楽だなあ。なにもしなくてキレイな動画が撮れる。
現代カメラ+現代レンズはこうも優秀なのだ。(笑)



石田徹也展

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(拡大画像あり)

三菱地所アルティアムで開催中の
「石田徹也展」に行った。
うむ。感じ入りました。

単独で「運命」を引き受けた人ですね。
牛腸茂雄、ダイアン・アーバス、ロバート・メイプルソープ、
ジョー・ブスケ、ミシェル・フーコー、フランツ・カフカ、
これらの人はみな単独で運命を生きたのだと思う。

さて。
時間があったので博多阪急の「鼎泰豐」に。



(NEX-7 アンジェニュー28mm F3.5 TYPE R11 拡大画像あり)
タンタン麺セットです。
小籠包は1個賞味後の絵です。(笑)
初めて経験するそんな味覚でした。うむ。
窓の外は博多駅。上り方面です。右が筑紫口。



(NEX-7 アンジェニュー28mm F3.5 TYPE R11 拡大画像あり)



(イムズで。NEX-7/Elmar f3,5cm 1:3,5 拡大画像あり)

イムズでやってる「蜷川実花・蜷川宏子 二人展」に行く。
NHKだったっけ? たまたまTVみてたので。
ああ、母のDNA受け継いでいる、とそのとき思った。
血は争えないのだ。(笑)

内容。こじんまりしたものだったが
うん、蜷川実花ですよ。
まあ、キルトを盛り上げているという感じはするが・・。
三菱地所アルティアムに、僕ははじめて行ったが、
あれはいいですねえ。街角シャシン展ふうで。
座っていたおねいさんがきれいだった。
あれは実花ご本人じゃねえかと思うくらいキレイ。
しきりに僕の肩のM5を「見張っていた」。(笑)
撮らない、って。心配すんなって。



(福新樓で。NEX-7/Elmar f3,5cm 1:3,5 拡大画像あり)

今日はカメラ3コもって出る。重かった。
福新樓でグルメしてカラダまでも重くなる。
ジュンク堂では『西瓜糖の日々』を34ページまで読む。
カウンターでうとうとする。
電車に乗る時間がきてシャシンどころではなくなった。
実花サンのパンフを丸めてボトルホルダに入れていたのに
電車に乗って失くしてるのに気づいた。
困った年寄りだ。
いやあ春だねえ。今日の陽気は初夏だよ。
あそこでもここでも化学物質の「匂い」に
ぶたれる季節でもある。過敏症患者にはつらい。



(NEX-7/Elmar f3,5cm 1:3,5 拡大画像ナシ)

Summaron 3.5cm/F3.5

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医療センターの待ち時間は読書=ドゥルーズと
決めている。本日は『スピノザ』。
PSAマーカーの結果が出るのは1時間半後。
それが出てもさらに1-2時間待つのが普通なのだ。
でまあ今日は受付じゃなく院内の「ドトール」で
コーヒーをしながら待つことにする。
とりあえずパナR8を持ち込む。
今日は黄砂のせいなのか喉がとても痛い。
気温があがり今この場所「ドトール」も暑い。
こんな日の黄砂は強敵なのだ。
硫酸=エアロゾルの刺激でヒリヒリする。
匂いにいつもより敏感に反応する。
特異体質の男はつらい。
(拡大画像なし:taken Elmar 5cm/3.5 on NEX-7)



PSAマーカーはやはり漸増している。
いずれ再度の針生検ということなのだそうだ。
やだなあ、あれは。
要するに前立腺癌は様子見なのだ。

さて。
今朝はその持病の頻尿で3時にトイレ。
その後眠れず4時ころから暗室でプリント。
M5=Summaron 3.5cm/F3.5での福岡天神のもの。
黒縁を出すためにヤスリをかけたネガキャリアで
カビネをざっと20枚ほど焼く。
(拡大画像なし:taken Elmar 5cm/3.5 on NEX-7)



惚れ惚れするくらいいい感じだ。
昔16万円の出費で、いわゆる160万台の
ブルーコーティングのSummaron 3.5cm/F2.8を入手したが
それには貧しい記憶しかない。
ブルーコーティングうんぬんが恥ずかしいことだが、
要するにライツのレンズのことを知らない男の過ち。
今のSummaronは3万円もしない個体だ。
そんなもんです。
あの時(昔)はライカレンズに縁がなかったのだ。

少し気になるのはフィルムにすり傷が目立つこと。
原因はなんだろう。
100feetからパトローネに詰めるときか?
マスコローダーでてこずって傷つけたか?
フィルムを吊るしたあとのスポンジ拭きか?
ネガシートにゴミ?それともネガキャリア?
クサイところはいくらでもある。
まあそれくらいぞんざいな作業しかしてないのかな。(笑)
いいさ。中身が勝負。フィルムの傷は愛嬌。とかなんとか。

今しがた「そらまめ君」をチェックしたらば、やはり。
(拡大画像なし)



ダイソーの額縁

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医療センター での待ち時間はドゥルーズの文庫版を読むことと決めている。今日はこの箇所から始めました。エルマー65mm(ビゾ)EOS5Dでひざのうえのショット。(拡大画像なし)



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体についての第二の命題は私たちに、ひとつの体のもつ触発しまた触発される力を考えよと言う。ひとつの身体(またひとつの心)を、その形やもろもろの器官、機能から規定したりしないことだ。スピノザにとってひとつひとつの身体や心は、実体でもなければ主体でもなしに、様態であることを、スピノザの読者なら誰でも知っている。ドゥルーズ『スピノザ』第6章。

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さて。「ダイソー 額縁」でググルと、花火のようにアイテムが出てくる。これはいい、と店に出向く。おもしろそうなフレームを6コ買う。そしてさっそくつくってみる。(拡大画像あり)



縦フレームの中のマットは厚紙で自作。横はのりパネに貼ったA5サイズをダイソーの卓上イーゼルを使ってみる。たのしいではないか。(笑)4000PXの連続供給をやめて純正インク。もうさまざまなICCプロファイルを試してみる。(30コ以上かなあ。あのsGrayも。)たどりついたのがこれらの色。モノクロはPhotoshoでredチャンネル、編集のグレースケール。ICCはSILKYのPM40PBWP=実はこれはWaterPaper P.(PK)だ。Photoshopの作業用プロファイルでグレーの読み込みをいじっても、最終的にはICCにもっていかれる。一方カラーはsRGBを使うと暗いホンマタカシ風味になる。エプソンのマゼンタを嫌うぼくはこの青みを偏愛している。つまりはICCを自作するしかないのだろうねえ。

APEX値

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退屈しのぎにレンズ遊び。
ペンタックスのK20DにFAレンズをつける。
APS-CにFAレンズ、基本的にMF撮影となる。
仕様=イメージサークルとの関係、なのか
AFでのピントがこないからです。



この絵はRAWファイルをPhotoshopの最小サイズで現像。
処理を加えず品質85で「Web用に保存」です。
smc PENTAX-FA MACRO 50mm F2.8の場合
少し前ピンになる。個体差もあろうが。
まあマクロの場合はもともとマニュアル撮影ですけど。
設定を変えて撮影してはモニタで確認して・・
これで時間をつぶして「高揚」へと旅する。(笑)

Photoshop現像ではリソースを表現するxmpファイルが
生成される。ご存知の方は多いでしょう。
先のレンズ名もxmpからのコピペです。
リソースからほんの一部を。↓
FocalLengthIn35mmFilm>75
これは換算数値。
ShutterSpeedValue>6965784/1000000
↑シャッタースピード優先で撮影。この値は?
調査する。APEX値というそうですな。
ExposureTime>1/125と同じ意味なのでしょうね。
ApertureValue>361471/100000これが絞り。
FNumber>35/10のことでしょう。
Version>5.7これはcamerarawのバージョン。

前立腺 針生検

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前立腺の針生検を実施。
PSAマーカー、値7.92。
2泊3日。当地の医療センターにて。



同じ運命を持つ方への参考的感想(要点のみ)
1.2泊3日は不必要。
2.僕の場合は10本。
3.仙骨麻酔。痛くない。
4.お産の体勢。
5.実行そのものは麻酔も入れて20分くらいか?
6.2時間安静。紙おむつ。
(2時間経過)
7.血尿あり。5回までは最初の出だしに血液が薄く。
(水をたくさん飲むべしとの指示あり)
8.血便なし。
9.熱も37度程度まで。(暖房のせいかも)
(12月23日、3日目に退院)

/////////////////////////////////////////////////

さてさて。
僕はかねてからここをブックマークしていました。
まあごらんください。

ここのセンセは日帰りでやります。
センセはPSA10以下で56%の癌を見つけてます。
「超音波検査での前立腺体積をもとに
癌らしいかどうかを計算し」針生検に踏み切る・・
いわば「確信犯」を追尾し、逮捕するのです。
「凄腕」のドクターと僕はひそかに思ってます。
ブラックジャックなのです。(笑)

10.僕は術後24時間後に、センセのWeb記述の
「セックスすると血が混じる」というのを
こっそりマスターベーションで実験しました。(笑)
すると、センセの記述どおりに
「トマトジュースのような鮮やかな赤色」の精液が出て
ホントにびっくり仰天しました。(笑)

このセンセね、横浜の開業医です。
でもキャリアはかなりのものです。
院長あいさつです。

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11.要はあわてない、ということです。
僕を担当したドクターは「前立腺は小さいですね」と。
つまり見立てはそれぞれの医師でかなり違います。
指触診で、ある医師は「大きい」と診断し、
別の医師はそれほどでもない、と言う。
CTスキャンで内科の主治医はかなり大きい、と・・・
つまりは大きさですから受け止め方も個人差がある。
医療センターの泌尿器科の主治医はPSAの値に
一喜一憂しないことです、とおっしゃる。

さればこそまずは自らが自らの主治医となる必要が
あると思うのです。
ただまあ針生検はヒットすればそこに癌があるわけです。
これは確実です。
どの時点で踏み切るか、先の横浜のセンセの方針は
僕にはとても得心のゆくものなのです。
あ、でも、マスターベーション実験はしないがいいですよ。
ちなみに僕の結果が出るのは来年になります。

メリー・クリスマス、ミスターPSA!

前立腺とMRI画像

|
検査部位 前立腺
臨床診断 前立腺癌の疑い 前立腺肥大症+慢性前立腺炎
検査目的 PSA漸増です。(7台)前立腺は超クルミ大ですが、
圧痛、硬結は認めません。MRではいかがでしょうか?

ということでMRIを。
しかし読影所見は前立腺癌は認められなかった。
念のため後日針生検をおこなうことになった。
いやあ、僕もここまできました。
日本国の医療=検査システムに乗っかって、ついに。
これが今日のMRI画像。



おなじ病の方は自分なりに「読影」もできるでしょうね。
僕は3年前からPSAが漸増しています。
一度も下がったことはありません。
これまで超音波、骨シンチ(これは蝶骨との関連で)、
そして今日のMRIと経てきました。
で、年内に(たぶん)2泊3日の入院で
針生検ということにあいなった次第です。

当地の医療センターに僕はいろいろ縁があって、
通いなれてはいます。(笑)
ですが自分が入院するという経験はなかったのです。
紙おむつも院内のローソンで買いましたよ。
こんなふうに1枚モノがあるんですね。



「特別権力関係」という法律用語があります。
たとえばそれを心理学の用語として使えるとします。
病院職員と患者の間には何か特別の「関係」があります。
これは学校にもあります。
教師は子供に対して、「こらあ、そこのオマエら!」という
実に自然な「関係」を当たり前のごとく保持しています。

病院では僕の年配ともなればもう子供扱いです。
珍妙です。笑えます。
自分でもそんな身振りをしているのかもしれませんね。
検査入院が決まったらさらに血液検査、レントゲン、
心電図、とあちこち回ることになりました。
そのせいで待ち時間の「読書」もなかった。
それでもなお、
「自己の内で関係を持つ自分を生きること」を想起しつつ
半日を過ごしたのだった。

CANON 修理検証

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CF差込受けのピンが折れた5DMark2の修理を検証。
新品の16GのCFを入れて撮影。


たまたま車の定期点検でディーラーへ出向く。
待ち時間に、ミセにあった少女コミックを読む。
これって売れ筋なのか。
棚の横には、かの「ワンピース」が揃っている。
一冊読み終えない間に点検は終了した。
5Dも問題ないようだ。

前立腺がんPSA検査

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前立腺がんPSA検査関連の朝日新聞の記事。
(2011.11.1)
「様子見」療法とでもよぶ現在の状況です。
(拡大画像があります)


同じ症状をもってらっしゃる方がおられるでしょう。

僕は2年間で4台から7近くまで上昇しています。
10になったら生体検査を受けようと思います。
新聞の記事の方は最初から検査を受け
「がん」と診断されています。
僕はがんである確立的は33%といわれました。
「検査しますか?」
「今回は見合わせます」
自分の意思で受けませんでした。
生体検査でもみつからないケースがある、と
言われたからです。
前立腺炎もあるのでセルニルトンを
服用してはいます。

2年前の僕の判断、正しかったかどうかは
わかりません。いずれ結果はでるでしょう。
ただしPSA検査は毎年血液検査の項目に
追加して入れてもらっています。
これも、医療センターの泌尿器科ではなく
かかりつけの内科での血液検査です。
待ち時間と医療費の節約になります。(笑)
当然内科医は何のコメントも出しません。
医療センターの泌尿器科に出向くタイミングは
僕が決めなければなりません。

新聞記事にあるガイドラインは
日本泌尿器学科学会のものです。
多少は「政治性」もあるでしょう。
このガイドラインでは6.92の僕は
精密検査を受けることになります。
2年半ほってきたわけです。
そろそろ受けるべきかもしれません。
だけどまあだ受けないでしょうね、きっと。(笑)

5D センサークリーニング

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EOS5D Mark2 のCFカード差込のピンが
曲がってしまった。表裏を間違えたか。
キヤノンのSSに持ち込むことにした。
調べたら、博多座の近くにある。
このさい前モデルEOS5Dのセンサー清掃も
やってもらおう。ボストンバッグにボディを
新旧2台入れて福岡に。天神からバスを使う。
(普通は歩く距離)
川端商店街の目と鼻の先にある。

購入して1年1ケ月だから、保証期間内ということで
させていただきます、と。おお、ラッキーだ。
キヤノンの「修理」といえば、「フィルムスキャナ」で
過去に失望した経験がある。少し癒された。(笑)

センサーのクリーニングは
1時間半後には渡せるということだ。
で、近くの川端商店街で食事をした。
明治通り側からずーっと奥に入って
皿うどんやギョーザが食べられるお店に。
人が多かったので旨い評判が・・と想像。
味は濃かったがまあまあいけた。
それでも時間が余る。「アジア美術館」に行く。
が、水曜日は休館。
「カフェベローチェ」でカフェラテをすることにした。
「カフェベローチェ」は初めてだ。
スチームミルクがいつまでももつ。
スプーンで掬ってなめた。(笑)

ようよう受け取りの刻限となる。
5D Mark2はセンター預けで、5Dだけを受け取る。
1050円。安いです。もっと早くくればよかった。
で、早速明治通りの上空を撮る。
お見事。埃は完璧に消えていた。
(確認用の最大サイズのjpgがあります)



ちなみにSSに出す直前はこんなにヒドいものだった。



twitpic twitter 反映

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twitpicあるいはtwitter関連で何かが
起きている。「コト」があってる。
昨日は一日で僕の記事に100件ほどの
アクセスが確認された。
スマホが急上昇したせいもあるかな。

今「twitpic twiiter 反映」でググると
たしかに1ページ目に僕の記事がヒットする。
記事を読んで何か解決できただろうか?
何度か記事にした記憶があるのだが。

基本的には両サーバー相互の問題だと思う。
アクセスを処理できずに、一時的な「遅延」が
生じる。タイムラグが出る。
twitterにラグが出るなんて我慢ができない、と
思うのは無理もない。
が、pic側とのやりとりがあるから「反映」は
2者の問題がからむ。

カオスモスですな、これも一種の。
複雑な2者の相互的なサーバーのやりとりは
「問い」は立てても「解」がみえないのかもしれぬ。(笑)
「時間」が解決することもある。
自分のブログ内にtwitterを貼り付けている場合、
スクリプトの修正でうまくいくこともある。
行とかの修正で。

この世にtwitterが出た当時から
IDを得てIT実験的に使ってみたが
実際にはお蔵入りとなっている。
僕の基本には不向きなツールなのです。
がんばってくださいね。エールを送ります。

ベン・ハー

|
『古代ギリシャ展』でオリンピアやアスリート関連の
展示を見ていたとき、映画『ベン・ハー』を
思い浮かべた。
ローマ時代の戦車競争もギリシャ時代と
たいして違わなかったんではないか。

ギリシャの時代、アスリートたちは裸で競技したが、
戦車競争は例外的に衣服をつけたらしい。
いわゆる「競馬」もあったようだ。
競馬は戦車競争の後にやるので、地面が荒れて
怪我人がでるくらい大変だった・・てなことを
『古代ギリシャ展』で知る。

ローマ時代は、おそらく『ベン・ハー』そのものだった、
と思う。あのイルカも史実らしい。
それにしても映画のセットは半端じゃない。
CGなんてない時代だからねえ。

その『ベン・ハー』をエンコした。
ジュダがメッサラを打ちのめす戦車競争のシーン。
あまりにも有名な場面ですね。
勝利してポンテオ・ピラトの祝福を受けるところまで。
19分の長丁場です。
(なぜか音声が出ません。調査中。)

音声解決。その備忘メモ。
TSファイルそのものはWindows Media Player で
音声付で再生できる。
が、これをTMPGEnc 4.0 XPress で
エンコしようとすると「音声データがありません」
となるのである。深夜までハマる。
BonTsDemux で映像と音声を分割した。
これで、拡張子WAVのWAVEサウンドが生成された。
映像も時間表示が少し変だが
ムービークリップができる。
TMPGEnc にこのクリップを指定すると、
音声には自動的にWAVEサウンドが参照される。

いよいよ終わりますね。(25日まで)
『大英博物館 古代ギリシャ展』(国立西洋美術館)
こちらも『空海と密教美術展』同様、大混雑。
電車並みだった。
全リストをPDFにしています。


それとこちらは終了したが、茨城県近代美術館の
『輝く女たち』。水戸は震災の爪あとを感じました。
美術館周辺も。それに弘道館は修復のため閉鎖中でした。
同じく全リストをPDFに。
やなぎみわがあったりして。うん。


帰りに我孫子で電車が3時間止まった。
交通事故。ニュースで知ったが、
78歳の婦人の四駆(!)が事故を起こし、横転して
線路内に飛び込んできたそうだ。本人は軽症。
仰天ですね。これが旅の最終日だったら、
おクニに帰還できなくなるところだった。


これは水戸の小林古径だが、つげ義春がアタマをよぎった。

久住山

|
この夏のくじゅう。
テン泊の予定。朝から食料を買い込む。
おっと、散髪しよう。谷川俊太郎ばりに坊主を注文。
夜9時半自宅発。
零時ころか玖珠サービスエリアに。
お店も営業している。ここで仮眠。デパスで2時間。
少しでも眠れれば百人力なのだ。うむ。
トイレを済ませる。なぜって、牧ノ戸のトイレは早朝は閉鎖。
(たぶん今でもそうだと思う)
3時過ぎに玖珠SAを出る。
カーナビが「嘘」を吐く。無視。
約1時間、4時20分牧ノ戸峠に着く。まだ暗い。
バナナを食ったり靴をつけたりしてもたもたしてると
明るくなってくる。で、開始。

うむ。久しぶりの久住山。やっぱりいいなあ。
このコースはアルペン気分ですいすい。楽しい。
7時過ぎに頂上着。ガスっていた。
僕のLEKIはシェラフォトでコンパクトデジカメをつけられる。
それでパチリ、だ。


このあとガスはなくなり、360度の展望。満足。
阿蘇方面や九州山地は雲海でおぼろだった。
もちろん、一番乗り。30分くらいして二番オッサンがくる。
それまでは独り占めで遊んだ。

下山して筋湯に。
誰もいない。一時間近くいて誰ともあわない。
わかば荘もひとめ荘もヒトが居ない。あれは筋湯はヤバイな。
薬師に浸かって、公営駐車場(がら空き)でストーブをたく。
ラーメンと鯖缶。(鯖管じゃないですよ。笑)
さてテン泊地だけど、なじみの沢水は除外。
爺には傾斜地はこたえるかな、と。
やまなみとか泉水とか、ひとつゴージャスなところを使おう、と。
が、実際に現場をチェックするとどちらも気が乗らないのだ。
さまざまなバリエーションをあげては捨てる。
で、パラドキシカルなまんま、帰ることにした。
おしまい。
Link Club Newsletterなるものがある。
LHXレンタルサバの顧客に送られてくる。
最新版の夏号は、「フクシマ」が中心だ。
巻頭の菅谷昭松本市長の言に少し衝撃を受けた。
以下がその部分ですが、諸子はどう感じますか?
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世界中がこの事故に衝撃を受けているなか、
松本市市長の菅谷昭さんは、もっとも具体的で実践的な
対処法を提案したうちの一人だった。3月22日におこなわ
れた市長記者会見で、放射性ヨウ素による内部被曝の予防の
ため、避難地域に住んでいた15歳以下の子供および乳幼児、
妊産婦を中心に、安定ヨウ素剤の投与を勧めたのだ。
それまでメディアで内部被曝の危険性が語られることが少な
かっただけに、人々の関心を引く発言だった。

「内部被曝は外部被曝とは違います。まずはその違いを話し
ましょう。外部被曝は端的にいうと体外から放射線を浴びる
ことです。たとえば私たちはレントゲン検査で放射線(エッ
クス線)を浴びることがありますが、一度に浴びる放射線量
は安全値が決まっていますし、この検査により病気の診断や
治療の方向性が決まりますからね。それはとてもありがたい
ことです。
しかし内部被曝は、大気や食物の中にある放射性物質が体内
に取り込まれて、血液の中に入ります。早い話、放射性物質
というのは粒子なんです。放射性の粒子が血液に運ばれながら、
体内のあちこちに移動するわけです。たとえばその粒子が放
射性ヨウ素であれば、甲状腺に取り込まれる。セシウムであ
れば全身の筋肉。ストロンチウムはカルシウムと同じ性質が
あるので骨の中に取り込まれます。プルトニウムは肺胞に沈着
します。放射性物質といっても、このようにさまざまな種類が
あるんです」

体内のあちこちに取り込まれた放射性物質は、放射線を出して
細胞を攻撃し始めるという。
「放射線で怖いのは、アルファ線とベータ線です。これらの
放射線は破壊力が強い。しかも24時間ずっと放射線を出し
続ける。放射性ヨウ素の半減期は8日で短いと言われていますが、
そのあいだずっと浴びてしまうわけです。セシウムだったら
半減期は30年、プルトニウムにいたっては2万4千年
ですからね。細胞はずっと放射線の攻撃を受けるから、
どこかで何らかの影響が出る。細胞核の中にあるがん遺伝子が
影響を受け、その結果細胞ががん化する可能性が出てきます。
いっぽう、たとえばある放射性物質が体内から自然に排出
する割合が80パーセントだから、あまり心配する必要がない
などと言う専門家がいますが、じゃあ残りの20パーセントの
影響はどうなのか。そのあたりをはっきり指摘する人がいない
のが現実です。」
///////////////////////////////////////////////////////////////

内部被爆の恐ろしさはこのようにDNAを攻撃し続けることに
ある、と菅谷さんは言う。ちなみに彼は医師でもあり、
チェルノブイリ原発事故の被災地医療支援にも参加している。
5年半もベラルーシに住み小児甲状腺がんの治療にたずさわっ
てきたのだ。説得力があるハナシなのだ。
子供たちは一定期間、避難させるべきという意見だ。地元に住む
べきではない、とも言う。
うーむ。

何年ぶりかに「六本木クローバー」に行く。六本木とはいうが
イサハヤ長野の「六本木」なのだ。(笑)
少し改装されていた。席から窓の外を。
(拡大画像あり)


気になるのは枕木みたいな木材の朽ち具合。シロアリかな?

500 Internal Server Error

|
500 Internal Server Errorは
サーバーにアクセスして初めて確認できる。
昨日は朝からクローラー対策をやっていた。
.htaccessを書き換えてFTPでUP。
このあと確認をしていなかった。
外出前に虫の知らせでアクセスすると、エラー。
2時間以上500を返していた勘定だ。
旅先でこれに気づいたこともある。(笑)
こいつはもっと深刻ですよね。
FTPができないホテルがあるくらいだもの。
(アンケート用紙に書いてチェックアウトしたけど
 たぶん対応してないと思うね、かのホテル)

自鯖やったお方は承知でしょうが、CGI設置で
これをしばしば出しますよね。
.htaccessの中のスペース1個の記述ミスで500エラー。
油断は禁物。
それにしてもクローラーもいろいろだ。
携帯サイト、モバイルサイトが多くなった。
これも時代なのだろう。
しつこさ、不正アクセス・・いたちごっこ。
サバ管さん、がんばってね。エールを送ります。

江山楼閉店

|
特に用事があったわけでもない。
長崎に出る。江山楼に行く。
店はいくつかあるので久しぶりにココウォークに行く。
バスを降り横断歩道を渡る。
エレベーターで5階に。
(今にして思えばエレベーターは5階までずっと一人だった)
降りるとあたりがシンとしている。
人がぽつんといるくらいだ。
あれ?降りる階を間違えたか、と思った。
が、中華模様のミセが向こうにあるではないか。うむ。
そちらに回る。ミセの前のロビーに誰もいない。
何か変だ。以前はごった返しの場所だったのに。

なんだなんだ、江山楼は閉店していたのだ!
2年少し前、諫早でも同じ経験をした。
江山楼諫早店で夕食をと出向いたら閉じていた。
このときも店の前で茫然とした。一人だった。
今日また「再現」された。
いやはや、なんでこんなことになるんだろう?


村上春樹流にいえば、
「そんなもんさ。それがどうした?」ってことになる。
社会実験終了後の有料道路を使って行ったのによ。
ちゃんぽん好きの男はついてない。

まことに「記憶」というのは今ここにしかない。
今ここで更新する、そこにしかない。
「第三の時間」を生きていた。
互いに「位相」の違う時間を生きていた、というべきか。
帰還後ブログ表象するとき、それらは別の容貌=顔貌だ。

別の容貌すなわち新しい時間に生きる。
絶対矛盾的自己同一=西田幾多郎にならえば
作られた時間が時間を作る。
表象にはココウォークでの時間はもはやない。
あそこでのやりきれなさは今の哀しみではない。

それらは分離している。とはいえ親密に(?)癒着してもいる。
追想を過剰に表象する不快を短歌に感じたとき
時間の中に生きるかのようなウタをやめた。
詩や短歌は自分に似合った表現方法だと思っていたが
罠もある。
とまれ江山楼がまたひとつ閉店したのだ。
そうなのです。(笑)
ダナ・ハラウェイの
『猿と女とサイボーグ』(高橋さきの訳 青土社)を読む。
船木亨=デジタル方法序説関連ですな。
分厚いのでジュンク堂での立ち読みが
いささか骨がおれる。当地の県立図書館から借りた。
まずは朱線のあたりを読んでみてください。
(厚みでスキャンに難あり)


身体/生体(と彼女は呼称する)をどのように捉えるかが
なんとなくわかると思います。
「身体は生まれるのではない。作られるのである。
記号、文脈、時間と同様、現在では身体も非自然化しつくされている。」
というわけだ。
第8章の「サイボーグ宣言」では「支配の情報工学」という
ひとつの見取り図を示す。
第10章においては、これは少し修正される。それを紹介します。
(スキャン合成。サイズ大。すみません。)


ご本人が言ってるように、
現在が下列のような状況だ、というわけではない。
あなたはご覧になっていかがですか。
自己のポリティクスで、境界を感じませんか?
接合面に佇んでいるような気がしませんか?
ある点では上列ゾーンに身を置いてる自分がいます。僕の場合。
まあ、認識を鍛えるチャートだと受け止めてます。

このチャートから亀裂・稲妻がみてとれる。
ジュンク堂でチャートを見たとき
咄嗟に浅田彰を思い起こしました。そう、『逃走論』です。
パラノ<>スキゾ
ハイアラーキー<>アナーキーのあれです。
実際、ヘテロ<>ゲイはハラウェイにもピッタリ来ます。
ま、そんなところです。

自同律の不快

|
先日「福新樓」で食べた後、大名を歩く。



疲れる。「ジュンク堂」にまわり、シアトルズベスト側の席を確保。
船木亨=放送大学を読む。(3度目)。だが睡魔が襲う。
読み始めたんだが、頭のなかは他のことを考えていた。
ジョン・バースの『酔いどれ草の仲買人』のどこかに
ヘンリー・バーリンゲームの言、「私とは私の記憶にすぎない
もひとつ、同じころ大江健三郎=朝日文芸時評の「自同律の不快

当時から気になっていた。
当時というのは1979年あたり。30歳になったばかりか。

これらはいうまでもなく「同一性」、「存在」、「時間」うんぬんの
諸問題である。よって目下の諸問題でもある。

バースを知る人は少ないかもしれない。ググってくださいませ。
植草甚一スクラップブック17=『アメリカ小説を読んでみよう』に
丸谷才一・佐伯彰一との鼎談がある(1970年)。拡大画像アリ。

ここの朱線部が『酔いどれ』のことです。
『酔いどれ』が野崎孝の名訳で日本に紹介される10年前には
JJこと植草甚ちゃんは唾つけていたのですね。さすが。
『酔いどれ=THE SOT WEED FACTOR』自体は1960年の作品だから、
日本には20年遅れてやってくる。まあ妥当でしょうか?

バースは、集英社版「世界の文学」で日本デビューをした。
これがその集英社の企画です。拡大アリ。


まあ、すごいもんです。圧倒的です。
この38巻は、捨てずにいまだに保有してます。(笑)
これくらいエポックメーキンな企画はない、とすら思う。
(いや、ま他にもありんすよ)

なんだなんだ、僕は今日は
「私とは私の記憶にすぎない」と「自同律の不快」について
ベルクソンやドゥルーズにからめて「表象」したかったのに・・
眼痛がしてきた。ちょっと次回にします。ごめんなさい。

AHCI BIOS NOT INSTALLED

|
起動時にAHCI BIOS NOT INSTALLEDと出て
SATAのハードディスクの認識が遅く、
Windowsの起動も2倍ほど時間がかかる。
その前にRAIDのSSDがいわゆるプチフリ現象を起こした。
それが原因か?それともウィルスかな?
BIOSでいじった箇所を元に戻す・・ダメ。
7のDVDを入れてリカバリだな、こりゃ
とかなんとか思いつつDVDを挿入して起動。
ん?読まない。
起動時のエラーを改めて調べると要するに
DVDが装着されてない、ということらしい。
「コンピューター」にもデバイスが表示されてない。
これじゃメディアを読まないわけだ。
とりあえず調子のよかったポイントを選択して
復元をするにはした。
しかし依然エラーが出る。遅い。

DVD本体をはずし再接続。これで解消。
つまりはSATAの接続部が甘くなっていたのだろう。
やれやれ。

余っていたパーツの再利用で、
ついでに、マザーボード用のブザーを取り付けた。
POST画面でピッ!と「1短」お報せに
鳴いてもらうと何かしら安心だしね。
違いますか? 笑。
COSMOS内部、GA-EX58-UD4 のココ。

小学生の時分から外を歩き回っていた。
兄弟はなく、遊び相手もいなかったので、
野山を歩くのは習いの性であった。

僕が小学・中学を過ごした離島僻村の町には
家から1時間も歩けば上がれる丘陵があった。
砂地の丘で、頂上からは見事な砂浜と防風林が
眼下に臨まれた。春ともなればそこに行った。
後年、このことをしばしば思い起こす。何なのだろう?

高校に行くようになっても下宿を出ては
市街をほっつき歩いた。まるで物色する泥棒だね。(笑)
大人になって山や裏通りを歩くようになるのは
これらとは事情は少々異なるだろうが、動力は同じ脚だ。
定年後も波やうねりはあるが、
歩くことは続く。「散歩」と称するのだろう。
好きだからやるのだろうが、何とも不思議だ。
ヒトはなにゆえに歩くのだろう?
(ヒト、とはいってもこんな疑問は男にしかない)

歩いている時を思い起こしてみてください。
何か考え事をしているでしょう。きっと。
でも身体は指令を受けなくてもどこかに向けて進む。
カントやベートーヴェンもそうだったのでしょうね。
歩く(散歩する)状況下では
考え事の当のもの「概念」と「内在」、
いまここ、の「現働性」さらには「出来事」も、
ワンパックになっているでしょう。きっとね。
カメラを手にして大阪の裏通りを歩くスタンスと
夕方になればハビトゥスとして出る散歩とのあいだに
違いはあろう。が、経験からいうと
街撮り(写真撮影)の間にもあいまいな自己が動いている。
その経験・様態をコトバで現前させるのは不可能だ。
さて、今日のタイトル。「パセアルセ」。

アガンベンの『絶対的内在』に出るコトバ。
(「現代思想」2002 8月号 多賀健太郎訳)
もともとスピノザが使ったラディン語。(古代スペイン語)
pasearse とは「自分を散歩につれてゆく」ということらしい。
この場合「散歩」は
「作用者と受動者が絶対的な不明瞭性の閾に入りこんでいて
判然とは区別しがたい」
というのである。

そうです。
「散歩」の実相とか様態はあいまいなゾーンなのです。
ことは散歩に限らない。
今やアガンベンの独壇場である「むき出しの生」ならずとも
いまここ、のこの生は、作用者も不分明なら受動者も不分明、
あいまいなゾーンで動く。動くものは説明できない。
現前させてもそれは事後のイメージを繰っているにすぎない。

こうして今日も僕はパセアルセをやるだろう。
「自分を散歩につれてゆく」だろう。

M-520U 確定申告

|
せんだって、
日立の接触型ICカードリーダライタ、
M-520Uを使い確定申告を済ませた。
そのときの備忘メモらしきもの。
1.ブラウザはIEがよろし。Google Chrome とかじゃなく。
2.処理が遅い。国税庁のサバ、プログラムの問題?
ブラウザの下部、プログレスバーがとろとろ。
左下にjavascript:void(0)うんぬんと出るが、
ここにページエラーが出るとオシマイ。
最初からやりなおし。
おかげで3時間もかかりました。
納税額ゼロ円。(笑)
3.e-Taxソフトと
公的個人認証サービスのJPKI利用ソフトは
あくまで別機関の別ソフトなので
それぞれのアップデート案内に従い、なすべし。
ICカードを使うのは最後の送信時のみ。

さて。
去年、税務署でe-Taxでやってみましょう、という
職員にのせられたかっこうでやったのがきっかけ。
よって今年が2回目。
が、確定申告はともかくも、
公的個人認証サービスの対象となる
行政サービスは限られている。
各県・各市によって違いはあるが、
僕の場合、確定申告以外で使えるサービスは、
なかった。さらに、公的個人認証サービスは
利用者の電子証明書の有効期限があり、僕の場合3年。
(住基カード自体はもっと長いと思う)
M-520U検索で当記事を読まれておられる方には
水を差すような仕儀になったかもしれません。
所得税の確定申告のみ、というケースで
これはいい、とお薦めできる方法ではないかも。
ま、でも
ダメじゃ、と決めてかかってるわけではありません。
サービス範囲は今後広がるかも知れません。
それに、IT好きなあなたであれば
「身体性」はありますので退屈しのぎにはなります。

ドゥルーズへの批判

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ドゥルーズには他者性が欠如している(宇波彰)
死を回避した哲学(松浦寿輝)
現実-強度を、強度についての言術-隠喩の水準で処理する
(樫村晴香)
いちいちもっともである。
ドゥルーズの調書(長所の変換ミス)、
彼の調書を取ったとすると、
短所があからさまになる風でもあるのだ。
パラドキシカルなのがドゥルーズである。
まるくおさまるのが僕のドゥルーズだ。
器官なき身体=リゾーム=アレンジメントであるどころか
内在平面(存立平面)ですら等式でよろしいのが
僕のなじんだドゥルーズだ。
小説家がしそうな「幻想贈与的」なドゥルーズに
僕はなにより惹かれた。だから身も蓋もないけど、
それを承知で流れ入る。

『現代思想 2008年12月号』を置き忘れてなかったか
天神の数軒の店を尋ねて回った。見つからず。
再度買うしかないか。

カメラが重いときは体調もよくない。
ジュンク堂で2時間、jQeryやCSS関連を南側カウンタにて
読んでみたが大半は居眠りしていた。
も少し若ければたぶんjQeryに飛びつくだろう。
ちなみに突貫工事ではありんすが、
Lightboxでシャシンを動かすとこうなります。
(loading.gif以外はデフォルトです)

ここをクリック

天神に出て食指が伸びないのは街に飽きたのか。
春になれば箱根で藤田嗣治の回顧展があるという。
かの「乳白色」はシッカロールだった、
うんぬんの記事をネットで読んだ。
土門拳が撮ったシャシンにシッカロールの缶が
写り込んでいたという。へえ、そのシャシンを見たいな。
ま、これもネット記事の「幻想贈与」ですかね。
移り気:天神様→箱根権現、春は箱根(ポーラ美術館)に
出向きませうかね?
参考までに「ユリイカ2006年5月号」に
林洋子「乳白色の下地の誘惑」という論攷がある。

ゴッホ展

|
せんだって『ゴッホ展』に行ってきた。
連休に行った家族の話では
プラカードが出るほど混雑していたらしいので、
僕は平日に行った。だが多かった。
エントランスの長さにはうんざりさせられるが、
何より会場自体に楽しめない。誰が設計したのだろう?
国立博物館、というくらいだから、もうちょっとねえ。
東京展(国立新美術館)がうらやましい。

「アルルの寝室」が再現・展示されていた。
驚きだ。黄色い家は焼失したらしいが
設計図が残っていたとかで、今回正確に再現された、
というものだ。
狭い。右手にゴーギャンの部屋に通じる青いドアがある。
この再現に僕は妙なる力能を感得した。
↓ youtubeの動画。実際の絵から再現実物へ変わります。↓


帰りは太宰府から二日市まで歩いてみた。
電車で二駅なので、宰府→五条、すぐに二日市だね、
と、たかをくくって歩き始めたのが甘かった。
線路に沿った道がない。迷う。効率の悪い道行き。
シャシンにもならない。バッグが重い。
1時間以上もかかった。腰が痛い。いやはや。

さて、ゴッホ展の詳細は
九州国立博物館のWebページでみられるが、
会期が過ぎると無くなるだろうから、申し訳ないが
サーバーに「安置」することにした。
jQuery のこの時点での最新版である
jquery-1.4.4.min.jsをDLして使う。
lightbox(プラグイン)と中身はそのまま九博のものです。

ゴッホ展の構成

CS E204エラー

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"ほにゃらら抜き"の目的で
ソニーの10年くらい前のチューナーDST-*****を
ヤフオクで競争落札。1800円也。送料1600円。
ところが日本映画専門チャンネルCh239がみられない。
10キー入力しても
E204 該当するチャンネルはありません
というエラーメッセージが出る。
Ch240とCh292はみられるのに、なぜ?

ネットで調べる。
Ch239はCS1だということが判明。
しかるにリモコンで繰る"MYプラス"には出ない。
001 002 888 とかのチャンネルが出る。
どうやら「プラットワン」など
CS開始当時の古いデータが居残っている。
3日間あれこれやったができない。
よってスカパーのサポートへ。
電源を抜く。BS800やCS160を試す・・など
1時間以上あれこれやったがダメ。
DST-*****に問題がありそうだからソニーさんへ、と。

で、ソニーのサポセンとの掛け合い。
ここでもさんざん試行するが、お手上げになった。
いったん電話でのやり取りを中断。
技術方と協議の末1時間ほどしてから
「修理に出せば対応できるかも」という電話が入る。

翌日になり自己解決。
以下はその時の備忘メモ。
E202エラーコードも出ることに気づく。
「受信できない」というE202は
「できる」という前触れなのだ、と確信。
E202のときに10キー入力ですかさず239を押す。
これを何度も何度も繰り返したら
なんといきなりCH239が映った。
そして"MYプラス"から古いデータが消え、
CH239のロゴが出た。おお。

さて。
『忠臣蔵』についてはwikiされたし。
1958年の大映版(長谷川一夫)は小学生の頃みた。
いわゆる垣見五郎兵衛なりすまし、のくだり。
ちょっと長い、6分。

記号と事件

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「じっさい、私たちの関心をひくのは、物や人を、
あるいは主体を導き出す個体化の様態ではない。
それとは違った個体化の様態があるのです。
たとえば一日のうちのある時間、
あるいは地域の個体化、なんらかの気候、
流れる河、そよぐ風の個体化。
つまり〈事件〉の個体化ということですね。
それに、人や主体が存在するという信念は
まちがった考え方かもしれないのです。」
ドゥルーズ『記号と事件』(文庫版)

これだけでも、ドゥルーズという思想家が、
どれほど革新的であったかが感じ取れる。
ほとんど痛切な直感として届く。
概念という名のこれは美しい詩そのものではありませんか。
僕たちはある特異な諸線がおりなす地点で
特異な事態を受肉する。
それこそが個体化とよばれるものであり、
そこにつくねんと在るその人が主体なのだ。

ところで。
半月ほど前「九州国立博物館」にいったおりのこと。
太宰府駅の駅員に二日市での帰りの乗り継ぎを
調べてもらった。
ジャケットの内側から出てきたのはなんとダイヤグラム。
40年ぐらい前に西鉄駅員に尋ねた折にも
使っていたソレだ。
いまでも使うのだ。感動ものだ。

ネットで調べると私鉄では西鉄くらいなもんだ。
しかも小型版を一般配布している。
一昨日天神駅でもらってきた。(拡大あり)

ハンスは馬になる

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福新樓で2日続けて博多皿うどんを食す。
待ち時間に昨日は「子供たちが語っていること」を読む。
もはやそこではみずからがなるところのものと
みずからとを区別することができないような
近接性のゾーンに到達しつつ、ハンスは馬になる・・
というかの9章だ。『批評と臨床』

今週は用向きで3度も天神に出る。
月曜日のジュンク堂は混んでいて立ち読み。
ミレナ・イェセンスカー(松下たえ子編訳)
『ミレナ 記事と手紙―カフカから遠く離れて』を。
昨日はカウンタで池内紀 『カフカの生涯』。

カフカはATOK変換で「過負荷」になるくらい遠い人?
僕のカフカ体験は高校時代に始まるが
21か22歳の頃、ヤノーホの『カフカとの対話』が
印象にある。「不壊なるもの」もここで覚えた。
県立図書館に『ミレナ 記事と手紙』・『カフカとの対話』を
リクエストする。

位置は、33.591156,130.40058
(コピペしてgoogleマップで検索すると地図)
ジュンク堂横の路地、僕の定点観測地。僕の富良野。
最初は月曜日。5D=ULTRON 40mm F2。
(拡大画像なし)
次が水曜日。5DMark II=EF16-35mm F2.8L II 。
(拡大画像あり)
三脚立てて撮ろうかなあ。富良野だもの!(笑)


評価測光_Evaluative

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ものはためしに評価測光で。
露光時間が長く、ノイズが多い。
横1536の拡大画像あり。
2時起床の退屈しのぎメモ。
失敗失地の怨念備忘。再領土化への接線。



File type: Canon Camera RAW v2
File size: 22,178.8KB
Creation date: 2010/10/22 18:45
Last modification: 2010/10/22 18:45
Camera: Canon EOS 5D Mark II
Lens: Tamron SP AF 28-75mm F2.8 XR Di LD Aspherical [ IF ] Macro
Software: Firmware Version 2.0.7
Dimension: 5616 x 3744px(21 MP, 3:2)
Focal length: 51mm
Aperture: F11
Exposure time: 10"
ISO speed rating: 400/27°
Program: Manual (Manual)
Metering Mode: Evaluative
White Balance: Auto
Focus Mode: Off (Manual Focus)
Noise Reduction: On (Mode 4)

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地上の夜の天使たち