レンズグルメ: 2017年8月 Archives
SONYのα7sとNIKKOR 35mm F2.8。ムラサキシキブも色づいてきた。読み終えて返却する夕方。
ドイツ野戦郵便は300億通ものやりとりがなされた、とあとがきにある。書物でとりあげるのは100通にすぎない。(アーカイブの総数は16000通)ドイツ国防軍というのは普通に戦争に駆り出された一般市民だ。いわゆる親衛隊(SS)の任務とは別。それでも随所に戦争の過酷さが垣間見える。ユダヤ人のゲットーや虐殺のことも書かれている。
現代ではこのような手紙は書かれようもない。手紙はゆえに古いアルバムにも似ている。そして皆がみな、男たちによって書かれた。
「空から降ってきた男」は毎日新聞社の特派員がロンドンで起きたある事件を追ったノンフィクション。ジャンボ機の車輪格納庫に潜んで密航を企てたアフリカの若い黒人にまつわる話だ。男に生まれ、女との「対」の幻想に憑かれ、そして破壊された男ゆえの悲しい実話だ。
女にとってはこの事件も「擦過傷」にすぎぬ。
ここでこうして撮るのは初めて。後方にも傘が来たので入れてみた。
ドイツ野戦郵便は300億通ものやりとりがなされた、とあとがきにある。書物でとりあげるのは100通にすぎない。(アーカイブの総数は16000通)ドイツ国防軍というのは普通に戦争に駆り出された一般市民だ。いわゆる親衛隊(SS)の任務とは別。それでも随所に戦争の過酷さが垣間見える。ユダヤ人のゲットーや虐殺のことも書かれている。
現代ではこのような手紙は書かれようもない。手紙はゆえに古いアルバムにも似ている。そして皆がみな、男たちによって書かれた。
「空から降ってきた男」は毎日新聞社の特派員がロンドンで起きたある事件を追ったノンフィクション。ジャンボ機の車輪格納庫に潜んで密航を企てたアフリカの若い黒人にまつわる話だ。男に生まれ、女との「対」の幻想に憑かれ、そして破壊された男ゆえの悲しい実話だ。
女にとってはこの事件も「擦過傷」にすぎぬ。
ここでこうして撮るのは初めて。後方にも傘が来たので入れてみた。
ナルチシズムの極み。こんなのがファイルにあったのでベタやネガ、それとノートを調査。平成9年(1997年)、5時半より牧ノ戸からとりつく。久住から天狗、すがもりへ降り牧ノ戸へ戻る、とある。これはけっこう長丁場だ。テン泊できなかったと反省している。テン場が何かの都合で使えなかったものと思う。登山はカメラバッグに三脚。FM2とNIKON24-120mm。それとポケットにGR1と書いてある。400プレストを640で使っている。D76現像。22℃。(現像時間不詳)
これをplustekで読む。ウェブ用に小さく。それをPhotoshopでKに。他の処理なし。
手にGR1を持っている。コンタクトシートをみると、全身きちんと収まっている絵もある。わざわざ頭部が切れているのをプリントしている。当時カメラ雑誌(アサヒカメラか日本カメラ)に応募したような気がする。入選はしてない。
この程度のアタマの切れより、フレームに足がちゃんと入っていることが肝要だったのです。LOWAの靴が入ってます。
背後の白煙は硫黄山です。
沼田真佑『影裏』=今期の芥川賞を読む。
文句なしにいい作品。村田沙耶香のときと同じように「受賞者インタビュー」も読む。いつものように選評は読まない。
群像新人賞らしいがこれが最初の作品だそうだ。一発で芥川賞を射止めるとは恐ろしく幸運だ。1978年生まれ。そのころ村上春樹は『風の歌を聴け』で同じ群像新人賞を得る。僕は当時群像を定期購読していたが、途中で読むのをやめた。ぬるーいテイストが好みじゃなかった。(『1973年のピンボール』以降がぜん好きになる)
みなさんご承知のように村上春樹は芥川賞をゲットせず、今やノーベル賞の候補です。あれまあ沼田真佑『影裏』のハナシもせずに。生硬な言葉遣いがあります。本人も自覚しているようです。この一作で終わったっていいくらいうまい。
レンズはこれSuper-Takumar 55mm F1.8という風変わりな一品です。
α7sとNIKKOR 28mm/2.8でLIGHT_BOX上のベーコンのスライドを撮影。
で、一枚をPlustekでスキャン。1953年の作品。
同じNIKKORで、2階からカーポートを。衛星円盤の下に職人さんが顔を出してます。先日プラフックが劣化して3枚が風で飛ぶ。100メートルほど先の道路に、しかもスレート自体は無傷。このテのスレートは壊れない、そう言ってました。台風来襲に備えて全部張り替えてもらう。12日に依頼したらば、盆の13日に朝から2時間ほどで一丁上がり。さすが餅は餅屋です。一度上って自分で補修しようかと試みたが開けた穴を合わせることができない。意地はって滑り落ちたらコトですもんね。九州は「ナフコ」。ブロンズフロスト8尺8枚、ステンレスフック、総額3万4千5百17円。風で飛ばされて、よそ様に迷惑かける懸念にくらべると安いもんです。胸をなでおろす。いい盆でした。
このレンズはシブイですなあ。うん。
で、一枚をPlustekでスキャン。1953年の作品。
同じNIKKORで、2階からカーポートを。衛星円盤の下に職人さんが顔を出してます。先日プラフックが劣化して3枚が風で飛ぶ。100メートルほど先の道路に、しかもスレート自体は無傷。このテのスレートは壊れない、そう言ってました。台風来襲に備えて全部張り替えてもらう。12日に依頼したらば、盆の13日に朝から2時間ほどで一丁上がり。さすが餅は餅屋です。一度上って自分で補修しようかと試みたが開けた穴を合わせることができない。意地はって滑り落ちたらコトですもんね。九州は「ナフコ」。ブロンズフロスト8尺8枚、ステンレスフック、総額3万4千5百17円。風で飛ばされて、よそ様に迷惑かける懸念にくらべると安いもんです。胸をなでおろす。いい盆でした。
このレンズはシブイですなあ。うん。
明日8月11日は、「山の日」というんですか。今日知りました。とぼけたニンゲンですね、僕は。お盆休みにつないでいるわけですね。
山にちなんでplustekのスキャナでスライドをひとつ。
涸沢カール。ここいらで2300メートル。涸沢小屋側から撮影。向こうが涸沢ヒュッテ。15年位前でしょうか。カメラはGR21っぽい。フィルムはフジ。僕のテントも中央にあります。
ブログ表象の空間というのは特有で、いろいろあっても日常そのものをベタには書けない。
羽根のついたアリみたいなのがベッドに2,30匹舞い降りて散々な目にあう、刺されて赤く浮腫みたいになって痒さがハンパない・・というようなことはまあネタとしても書けはする。w
けれど検索からわざわざ読んでくださる方に対して、「日記」をお見せしては失礼になる。媚(こび)ではないが、ある種のポライトネスをもって記事を・・それくらいの謙虚さは片隅にある。レンズ越しの絵は、それにもかかわらず能天気なので、すいません。
老妻は昔々作っていたもの、カレーライス、ポテトサラダ、シチュー類とか全く作らなくなった。どうしても食べたいときは頼むことになる。ふだんはこんな茶系統色のたべものが多いのでありんす。
山にちなんでplustekのスキャナでスライドをひとつ。
涸沢カール。ここいらで2300メートル。涸沢小屋側から撮影。向こうが涸沢ヒュッテ。15年位前でしょうか。カメラはGR21っぽい。フィルムはフジ。僕のテントも中央にあります。
ブログ表象の空間というのは特有で、いろいろあっても日常そのものをベタには書けない。
羽根のついたアリみたいなのがベッドに2,30匹舞い降りて散々な目にあう、刺されて赤く浮腫みたいになって痒さがハンパない・・というようなことはまあネタとしても書けはする。w
けれど検索からわざわざ読んでくださる方に対して、「日記」をお見せしては失礼になる。媚(こび)ではないが、ある種のポライトネスをもって記事を・・それくらいの謙虚さは片隅にある。レンズ越しの絵は、それにもかかわらず能天気なので、すいません。
老妻は昔々作っていたもの、カレーライス、ポテトサラダ、シチュー類とか全く作らなくなった。どうしても食べたいときは頼むことになる。ふだんはこんな茶系統色のたべものが多いのでありんす。
α7sに市販のLEICA R-NEXアダプタ、純正エクステンダー、カナダライツ製のMCRO ELMARIT-R 60mmF2.8の順につけている。全長はこうです。先日知人からエクステンダーを頂戴したので使ってみようと。MCRO ELMARITであればエクステンドしなくともいいのだが、「超常現象」をしたくてですね。w
「現代思想」は「コミュ障」特集。中に、國分功一郎と千葉雅也の対談があります。ここはラストの部分。意外やヘーゲル、人倫、ディーセンシィ(decency)が出てくる。
30代(千葉)と40代(國分)ですからたのもしい。内容は豊富で、オープンダイアローグ、貴族論、コミュニケーション障害のこと、教育論・・。拡大画像で読めます。上段と下段。
さて。すいません少し自分のこと。僕自身、「コミュ障」を飼いならしつつ生きている。「さ、一緒にやりましょう」は苦手。今をときめくオープンダイアローグ論は傾聴している。オープンは実は垂直方向でもある、そうでなければ意味がない。たとえば僕が自身の病のことをオープンの場で語るとする。それを他者がふむふむと聞く、それだけでも自己に作用する効用がある。しかしそれで終わるはずがない。他者は自分自身の病のことに思いをはせ、自己の奥深い場所に下りてゆく。そこが「ディーセンシィ(decency)」なのだ。
「人倫」とはしたがって「ディーセンシィ(decency)」に関与する。
アイザック・ディネーセンの「ディーセンシィ」を引用した大江健三郎を忘れることができない。『河馬に噛まれる』の最終章にある。僕は当時、直接ディネーセンの原本にあたって確かめた。(昭和60年)
少し長くなるが作中の大江訳で、タイピングします。
バークリー・コールと私とは、私ら仲間うちの言葉で立派なこと(ルビ:リスペクタビリティ)と品格の良さ(ルビ:ディーセンシィ)とをはっきり区別し、私らの知っている者たちを、人間であれ、動物であれ、この原理にしたがって区分けしていた。私らは家畜を立派なこと(ルビ:リスペクタビリティ)に、野生の動物を品格の良さ(ルビ:ディーセンシィ)ととらえた。そして前者の存在と特権は、かれらの共同体(ルビ:コミュニティ)との関係で決定されるけれども、後者は神との直接の接触のうちに立っている、と考えていた。
私らは自分たちを野生の動物の側に登録していた。共同社会つまりは譲渡抵当にサインするほうへ復帰することが、私らにはなしえぬことを悲しく認めながら、しかし周囲による最高の評価をかちとるためですら、神との直接の接触を断念することは、私らに可能でないと確認して。私らが河馬やフラミンゴとわけ持っている神との直接の接触を。