レンズグルメ: 2013年12月 Archives
さて。Epson Print Plug-In for SILKYPIXというモノがある。拡大してご覧あれ。プリンタは5Vです。FUJIのポストカード「画彩」は5V側で用紙厚を3→2に調整します。(にじみが出ない:ちなみにポストカード「画彩」の紙厚は0.22mm:「画彩」はカッサイと読む)
SILKYはバージョン5.0.52.0でα7Rに対応。(バグあり)。これのシネフィルム 70'sてのを使った設定です。モニタ、エプ、ソニーのガンマとかを揃えて、EIZOの輝度は30%くらいにすると5Vが黙ってモニタ通りに出力する。ああ、なんというシアワセな時代であることか! メリー・クリスマス!
(α7R/GR 28mm)
(5Dmk2/EF24-70mm f2.8/430EZ)
リコーのGR1を解体して、α7R用にレンズだけ抜いてもらいました。世界に1個しかないでしょうね、これは。今日、師匠が個物を届けてくれました。5.6あたりの固定絞りになります。無限遠も出してもらってる。28mmレンズで接写もないけど、ともかくレポートに一枚。うん、いけますねえ。もともとGR28mmは最短撮影距離は35cmなのだが、改造で15cmくらいになっている。すごい、としかいいようがない。
(α7R/GR 28mm)
次なるは定点観測。橋の下から撮る。街灯の捉え方が明らかに不自然だ。広角レンズ(28mm以下)の周辺光をα7Rがどう捉えるか、これは見本といえます。限界かなあこれが。絵はSILKYPIXのシネフィルム(70's)というテイストを使用。
(α7R/GR 28mm)
ここまで寄れる。約15cm。
(α7R/GR 28mm)
(α7R/Sonnar 1:2 f=85mm/SILKYPIX)
拡大してどうぞ。おわかりでしょうか? あの Carl Zeiss Hologon 15mm/F8 です。ebayでも50万とか100万とかいうあれです。LM-NEXマウントでいけます。さて、この紹介シャシンはというと、α7RにM42マウント改造の Carl Zeiss Sonnar 85mm/F2 なのです。Hologonは借りものです。Sonnarはゲットしました。5.6あたりで撮ってます。ISO6400・1/100秒。
いやはや、こんな記事を書けるんだ、僕にも。(笑)。 Hologonのハナシはいつかまたいたします。ゲットしたSonnar 85mmのことですが、Nr.2624***で、かのContarexに搭載されてたものです。1958年-1973年に7585本が生産されたそうです。僕は85mm付近の単焦点レンズは初めてです。なんといっても幸せな気分にさせる個物です。
(EOS5DMk2/EF24-70mm f/2.8L II USM/flash on/ISO200/F5.6/マニュアル露出)
α7Rに、シュナイダーのXenon50mm/1.9をとりつけました。schneideropticsでみると、1968年製のようだ。うーむ。まさにパリは五月革命、日本では東大闘争の時代。団塊の男は知者であれ愚者であれ、何かを感じて過ごしたはずだ。まさにドゥルーズ、まさにフーコーの時代でもある。個物はExaktaマウントです。これを僕に譲った知人はそのとき「死蔵品」という単語を使った。ぼくは少しドキッとした。託された僕こそが「死蔵」しかねない。そういう68年製のXenonだ。どのような手を経て今のぼくの掌中にあるのだろう? 使うことがすなわち愛でることだ。愛でることで創造の線、生きる喜びの線を出しましょう・・・。とて、今夜はこれでテーブルフォトをします。開放1.9、最短50cmで撮影。こういう条件だとボケが少しうるさいですか。
F5.6に絞れば、まあシャープなこと!
眠れずに起きだして、深夜! とんでもない、F2.8でもシャープ。
EOS5DMk2/EF24-70だ。発作的に(?)こうやってテーブルフォトをする。ISO1000でPモードでやるとF4.0,1/80sec だ。まあでもため息が出るくらいよく撮れる。雰囲気がどうこう言う前にちゃんと写ることに脱帽。昨日知人と喫茶店に入った折に、ISO1000=モードPでカレを撮ってその設定のまま一枚撮ったというわけだ。昨日の知人もよく撮れていた。マニュアル=ライカレンズ=ピント拡大は、スナップ的なポートレートには無理がある。相手がかたくなる前に撮る必要がある。おしゃべりしながら撮るにはどうしてもオートフォーカスになる。それはそうと知人が僕のα7Rで一枚撮ったがカレはファインダを使わない。E20mm(APS-Cの)をつけてAFだからそれでもいけるのだ。でもなんか可笑しかった。
あるいはむしろ、つねにフーコーにつきまとった主題は、分身(double)の主題である。しかし、分身は決して内部の投影ではなく、逆に外の内部化である。それは、〈一つ〉を二重にすることではなく、〈他のもの〉を重複することなのだ。〈同一のもの〉を再生産することではなく、〈異なるもの〉の反復なのだ、それは〈私〉の流出ではなく、たえざる他者、あるいは〈非我〉を内在性にすることなのだ。重複において分身になるのは、決して他者ではない。私が、私を他者の分身として生きるのである。私は、外部で私と出会うのではなく、私のなかに他者を見出すのだ。(ドゥルーズ『フーコー』宇野訳 P180)
ギリシャ人の新しさは、後に、ある二重の「離脱」にむけて現われる。それは、「自分自身を治めることを可能にする訓練」が、力関係としての権力からも、地層化された形態や徳の「コード」としての知からも離脱するときに現われるのである。一方に、他人との関係から派生してくる「自己との関係」があり、他方に、同じように知の規則としての道徳律から派生してくる「自己の成立」がある。この派生物やこの離脱は、自己との関係が独立性を獲得するということだ、と解さなくてはならない。それはあたかも外の関係が裏地を作り、自己との関係を生じさせ、一つの内を構成しようとして、自らを折り畳み、折り曲げるかのようだ。内は国有の次元にしたがって、陥没し、また展開するのだ。つまり「エンクラティア」〔克己〕、克服としての自己との関係は、「人が他人に対して行使する権力において、自分自身にむけて行使する一つの権力である」(もし、人が自身を統治しないとすれば、どうして他人たちを統治することを望めるだろう)。こうして自己との関係は、政治、家族、雄弁、遊戯、とりわけ徳などを構成する権力に対して「内的制御の原理」になるのだ。それは、ギリシャ的な鉤裂きと裏地のタイプである。つまり、このような離脱が摺曲や省察を実現するのだ。少なくとも、これがフーコーの理解したギリシャ人の新しさである。(ドゥルーズ『フーコー』宇野訳 P185)
引用が長くなった。『フーコー』の終章の部分。とりわけ僕が胸を打たれた箇所。ドゥルーズは言う。
―『知への意志』に続く長い沈黙の間に一体何が起こったのだろうか。(中略)彼は『快楽の原則』の胸を引き裂く言葉にたどりつく。「自分自身から離脱すること・・・」―
僕は他者に出会う。さまざまな機会をとらえ、他者とまじり合う。僕は他者のように生きる。そこにも複雑な権力関係が入り込む。「自己との関係」はその場所でこの僕自身を折り曲げ、裏地を張り、褶曲させ、省察に導く。これが「離脱」なのだ。だがこの「離脱」は死の陰を帯びている。僕は日夜(マジに)このテーマ群を反芻する。僕は老いた。ここを拠点として何の不思議があろう。