フーコー 性の歴史4 肉の告白 やっと出た

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長文です。
昨日の記事(朝日_2021年2月20日)。朝日さんスキャンご容赦ください。



県立図書館をサーチすると、ある。さすがだ。まだ誰も借りてない。すぐに出かけて借り受ける。哲学棚に配架される前の新着棚から。
11時ジャスト。土曜日。すでに閲覧席はひとつおきに満杯。高校生に席巻される県立図書館。

フーコー検索でここに来られた方、ここの主(ぬし)はシャシンをもたしなむ男で、今朝は(今朝も)ボツ記事だと思います。すまんこってす。
さて。日頃よりフーコーを読んでる向きには上の記事はすでに耳になじんだことどもです。やっと出ました、というわけです。原型フーコー、翻訳者、評者、記事を読む我、それらを一本貫いて手渡される現象のこれは何というんでしょう。
ドゥルーズもそうですが、僕にとってフーコーはかけがえのない思想家でした。そう思ってしまう気配があるのです。フーコーが生きた年月を越えたあたりからは当の自分も変容していることに、あとになって気づきます。こんなことを言っちゃあなんですが、フーコーは実に愛おしい男です。やってることが真摯すぎて可愛らしい。(と、こんなことをぬかすのは70過ぎの爺の横着な特権です、これまたすまんこってす)

僕はこの日はα6300に知人工房作のベアなM42改=Planar 1,8/50(1,8です)を持って出ました。図書館現場でセルフタイマやりました。リモコンもなしに思い付きです。レンズの首が垂れるので小銭入れを当ててもたげる。Mモード1/125 ISO2000で一発で決めました。ワンショットで決められたら気持ち良くなりました(笑)

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このページは、が2021年2月21日 04:41に書いたブログ記事です。

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