老人漂流 団塊世代の老人破産 アンジェニュー

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「多問題家族」ということばがあります。
団塊の世代は家族の絆が強い、また辛抱強い、ともいわれる。
働けないシングル(あるいは非正規の労働者)の子と団塊世代の親がともに暮らしている所帯が多くある。
親に問題が生じた場合、(たとえば病気、介護の必要)配偶者だけでなく(配偶者がいなければなおさらのこと)シングルの子が引き受けることになる。非正規の子に介護休暇の制度はない。「多問題」が一気に火を噴く。

いわゆる「下流老人」とはこんな事態から始まる。
誰にでも起こりうる。今はそうでなくとも子が新しい家族となって入り込んでくる事態は「出来事」として出来(しゅったい)する。

先の2016年4月16日=NHKスペシャル、

老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”

をみる。
ここで取り上げられた問題も今や周知の事象。
「現代思想」2月号=老人崩壊、を枕元に置いている。ちょくちょく読む。自分に起こりうるイシューとして読む。
まあこんなことを宣えばルサンチマンになるが、だいたいが、経済的に何があってもやっていけるのは、資産家か天下り上級公務員くらいなもので、フツーの年金受給者はいつ破産するか知れたものではない。
地域の受け皿をうんぬん、セーフティーネットをうんぬん、そんなのはたわごとに過ぎぬ。
「多問題家族」の疲弊した親と子の「それぞれ」の困難を救う制度をつくらずして、どこに安心があるというのだろう。
この国の為政者と官僚は自分の取り分だけを増やすことしか考えてない。
税の真正な「再配分」がなされてない、と思うのだ。

世の男たちはおおむね「ネットワーク」をもたないまま老いてゆく。(僕もふくめて)
「町内会」に受け皿としての力量はない、と感じる老人は多いはずだ。(僕もそうだ)
では最終的に独り身となった老人が、つつましくとも安寧な老後を生きるための肝はなんなのだろう。
それを思考するゲンダイシソウであり、ゲンダイテツガクでありたい。と、言葉でいうのは簡単だが。
絶対的な内在というものがあるとしてそれがどれくらい持続的に生身のニンゲンの生活を支えうるコアなのか、けっきょくその時になってアンタがやってみなければわからんさ、ということだろうか?

記事に関係ない画像。



NEX-7にアンジェニュー35mmシネマ用35-140mm3.5 TYPE LA2。
F5.6,43mmあたり。Aモードで撮影したためISO1600でSSが1/50秒に落ちる。だがさいわいブレはない。ソニーIDC現像。補正なし。
シネマ用レンズの特徴が出る。

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このページは、が2016年4月21日 07:15に書いたブログ記事です。

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