ギリシアを救うべきか 塩野七生

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 アンゲロプロスがトンネル内の交通事故で死去する前年、
EUはギリシヤを見捨てるわけにはいかないさ、というアンゲロプロスの言を、岩波『世界』で知る。
意外に感じた。ギリシア魂といえばそれまでだが、なんだ監督も結局「放蕩グリーク」じゃあないか・・と思ったのだった。
まあね、アンゲロプロスの崇高な(?)映像を敬愛しているので、その反動の情動が脳内物質として出現したのでしょうかね。w

さて先日のこと。在イタリア40余年の塩野七生のコラムを『文藝春秋』で読んで、うむ、やっぱりギリシャ人って日本人にはわからん、と思った次第だ。
ちなみにこれは6月24日記とあるから7月の「国民投票」以前の記事だ。以下抜粋で。

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 ギリシアは、救済する必要はあるのか。
歴史的・文明的・文化的に見れば、答えは「イエス」である。
ギリシアが入っていないと、ヨーロッパ連合とは言えなくなるからだ。なにしろ「ヨーロッパ」という言葉からして、二千五百年昔のギリシア人が発明したのである。言葉を創造したということは、理念も創造したということだ。
 古代のギリシア語を受け継いだ古代のローマ人がラテン語に直し、そのラテン語を語源にして生れたのが、英語・仏語・独語の六十パーセンの言葉である。理工科系の言語まで加えれば、現代の欧米人の言語とそれに拠って立つ理念の八割まが、古代のギリシア人に負っているとしてもまちがいではない。
 とはいえ、二千五百年昔のギリシア人と現代のギリシア人が似て非なる民族であるのはもちろんだ。われわれの知っている、ゆえに深い敬愛の想いなしには口にすることもできないギリシアは、その文明の象徴であったオリンピックが、キリスト教化したローマ皇帝によって四世紀末に廃止されたときに死んだのである。あの国では、歴史は中断されたままでつづいている。産業も、観光以外は事実上存在しない。この国を助けるということは、永久に援助しつづけることを意味する。産業がまったくない、京都とでも思って。

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というわけです。はい。
TVに出るチプラス首相の自信たっぷりな態度もうなずける。
堂々と「アンタら援助すべきだ」なんて日本人はよう言わん。種(しゅ)が違う。
ちなみにドイツのメルケル女史(首相)は「も、いやっ!」って周囲に洩らしているそうだ。うーむ。

絵と記事は無関係。
(久留米。NEX-7/E2.8/20)



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このページは、が2015年7月12日 11:09に書いたブログ記事です。

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