フジカ35EE

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検索中心のインターネット時代においては、SEO=Search Engine Optimization を無視することはできない。
さりとて僕はその技法を知る者ではない。
ログを検証すれば、サーチエンジンから検索して記事を見ているということはわかる。
またMT4のmt-search.cgiからたとえばHektorとか、LPLとか、映画『流れる』(これは日本語なのでデコード前は%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8E%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8F)とかブログ内検索も多い。
記事をアタマからご覧になる人は稀だといえる。

さて。7sとフジカ35EEからの抽出フジノン(FUJINON 45mm1.9)のハナシとなれば記事に何度か登場する。
が、差異がある。よって何度も反復する。この場合差異はまず「表面」的であるが僕の中では「深層」に及ぶものである。言語で説明しにくいが、ファインダから視神経→大脳(情感)→言語化への動き・・・というように「差異」は全身に及ぶ。
まあみなさんも経験済みのことでしょうが、「表面」が「深層」を伴わないことなどありはしない。手の甲の傷は必ずや深手の感情の傷を受け持つ。
僕の場合もそうなのです。「定点観測」ですら表層の(=深層の)差異に満ちている。

僕は知人製作のさまざまなレンズを所有する。おおむね28mmから50mmの標準系の単焦点レンズである。それらの「個物」に秘められた知人の「熱情」の根源はやはり「差異」と推測する。
大上段にかまえずとも「差異」とか「熱情」こそが生を貫くものであることを、人はおのずから感知している。よって今日また僕はフジカ35EEフジノンの絵をアップするのです。w
アートの「差異」はマーケティングにならない限り規格化されることはない。ばらばらにランダムに熱情に任せて出現する。w
(拡大画像あり)
なお、raw現像はすべてIDCデフォルトです。







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このページは、が2015年2月15日 16:23に書いたブログ記事です。

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