フーコー 性の歴史
「性は退屈なものです」とフーコーは言った。「性の歴史」のどこかでインタビューに応えて。いわゆる「自己の技法」のシーンでそう言っている。
そんな言表行為の主体たるフーコーにちょっと笑える。「言説にはかならず根拠がある」といったフーコーだから、ついその「根拠」を考える。「自己の技法」を唱える主体には「性」に囚われる主体は無用であったはずだ。だから「性は退屈なものです」と言明したフーコーを苦笑しながらもそれがまっとうな態度だと思えるのです。
そこに詐術性を感じないわけです。むしろドゥルーズやガタリがこれもどこかに書いてあるが「言表行為の主体」と「言表の主体」の乖離が統合される主体の言説を感得するわけです。(これについては調べますね)
変な絵だが、7sにコダックのエクター5cmF3.5です。