ELMARIT/90mm アジャンスマン

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「少数派の意識の普遍的な形態が存在する」と、ドゥルーズ=ガタリは言っている。(「千のプラトー」宇野他訳 P126) 僕はこれを、《少数派の者たちの間に響き合う通奏低音》のようなものだ、と解している。その線が出るかどうかをさぐりながら、他者と接触している。自己は精神も身体も他者との間でそのつどその場で立ちあがる。存立する。関係が沸き立ち、修正の線もその場所で出るかもしれないし、後になって出るかもしれない。全局面でアレンジメント(アジャンスマン)、リゾーム、器官なき身体が作動する。「存在の一義性」っていうのも、これらを全面的に承認することだと理解する。あまりに大雑把でごめんなさい。そもそもの最初からそう考えて、今も変わらない。認識はどっちにころんでも「誤認」なんだから、まあいいか、と。

 じゃ、その「形態」を具体的にというと、困る。言葉にできないのだ。確かフーコーが「闘争」について問われて、私もそれを今考えているのです、と率直に応える場面がありました。(どこと言われても・・)だから、《今それを考えているのです》というのは苦境(?)をそのまま受け入れる態度かもしれない。そして「少数派」の意識をまとったまま一生が終わる、ということになりそうな気がする。



(α7R/ERMARIT 1:2.8/90 SILKYPIX retro_taste)

 これも拡大してどうぞ。被写体個物はSonnar85mm/f2 です。Nr.2624***が見えます。(自慢してる、あはは)撮影レンズはERMARIT90mm/f2.8です。これまでは、ERMARITをEOSのフルサイズで使っても、ピント合わせにに難儀していた。いつのまにかERMARITは「蔵」に・・。α7Rのおかげで今回復権、ご寵愛を受けること間違いない。まさにアジャンスマン。ERMARITの線が出て、屹立する。

 さて、くだんのSonnarですが、鏡胴は改造してるのであの樽型ではありません。ピントリングにはソニーのビデオパーツを流用してます(笑)。ま、要は写りですからね。抜け殻となったその樽とはこれです。ERMARIT90MM f2です。

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このページは、が2013年12月18日 14:55に書いたブログ記事です。

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