ベーコンとゲイ

|

「芸術新潮」(藝術、じゃないんですね)のベーコン特集から。今回の企画担当者でもある東京国立近代美術館の主任研究員とかいう保坂健二朗(1976生)との対談がいくつかある。そのうちのひとつ「ゲイ。そこを隠さずに話そう」。お相手は都築響一。これは納得できましたね。

都築 言い換えれば「抱き心地」ってやつ。

保坂 (爆笑)さすがですねー。触覚性って言おうとしたんですけど。

都築 だってゲイは別にボディビルダーみたいなのが好きな人だけじゃないから。ちょっとタブンとした、そういうほうが好きな人、多いじゃないですか。デブ専だっているくらいだし。ゲイに触れないようにしてベーコンの絵を語っていくとどんどん本人の思いから外れていくような。

保坂 確かに、初期の絵はちょっとマスキュリン(男性的)っていうか、筋骨隆々としてるんですけど、だんだんポワンとしてくるんですよ・・・あ、だんだん分かってきたな(笑)、なんでカッコ悪い人体を描くんだろうと思ってたんですけどね。

都築 カッコ悪いと思うのはノンケの見方。

保坂 そうか、価値観の違いがあるのか。美術史的にはそうした表現を、肉体に対するレクイエムみたいに言っちゃうんですけど。

都築 それが、うがち過ぎだっていうんです。ゲイが見るベーコンとノンケが見るベーコンって絶対違うと思うんですよ。

保坂 海外の論文で、同性愛が禁じられた国でベーコンが何を考えていたのかについて、一生懸命考究したのはあるんですが、でもさすがに「抱き心地」までは突っ込んでいない(笑)。

都築 だって、法律は生きてたって、50~60年代のロンドンって、ある意味オープンですよね。だからベーコンの絵は抑圧から生れたもんでもない気がする。まあ、本人にそういう抑圧された体験があったかどうかは分かんないですけど。でも、抑圧されて捩じくれ曲がった欲望みたいな感じにとっちゃうと、違うのかなと。ベーコンの絵って、そっいうふうに考えられがちじゃないですか。彼の中の悪魔が、闇が、みたいな。でも意外とね、好みのタイプをカッコよく描いてるつもりだったかもしんないという。クリケットだって上流階級の男のスポーツだしさぁ。

保坂 クリケット、よく描いてますよね。あ、そういう意味だったのか。

都築 違うんですか(笑)。勝手な憶測ですけど。クリケットで投球する時、白いユニフォームの太腿のあたりで球を拭くわけよ。そうすると股間のあたりがちょっとシミになる。それがイギリスのゲイなら誰しも胸キュンになるポイント。

保坂 ベーコンのアトリエからは柔道や空手の本も見つかっていて、そうすると僕らはスポーツでまとめちゃうんですね。スポーツの写真を見て身体をどうしたこうしたとか。

都築 白いユニフォーム・フェチだったかもしれないし。

保坂 僕らはベーコンの絵の中の白いブリーフにも言及することないですからね。

都築 いずれにしろ、ひとつの見方だけでベーコンを見ちゃうと面白くないと思いますよ。展覧会のオーディオ・ガイドに副声音つけたらどうですか? ゲイの人を起用して。

保坂 ゲイの目で見ると新たな光が。15年近くベーコンを研究してきて、目からウロコです。

都築 本人としては素直に描いてきたつもりが、もしかしたら誤解されてばかりだったかもと、僕も話していて思いました。保坂さんも今日から別の人生を歩んでみたら?

 (オレンジの背景にクリケットの脛当ての白がまぶしい!)

 《人体のための習作》 1982年

このブログ記事について

このページは、が2013年5月31日 19:56に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「サブウェイシリーズのリベラ」です。

次のブログ記事は「アンジェニュー TYPE10」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち