フーコーの笑い

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「フーコーの場合は」とドゥルーズはいう。
「その笑い声ですら一個の言表だったのです。」
(ドゥルーズ『記号と事件』)
フーコーの高笑い、哄笑というのをどこかで
読んだ記憶がある。
『現代思想の冒険者たち』かもしれない。
ちょっと手元にないのでわからない。

あはは、と高く笑うときに味わう自己乖離の気分。
あれは健康にいいのかな?
ぼくもその種の笑いをやってるとおもう。
昔々、フーコーに興味を抱いたのは彼の「笑い」に
何かを感じたからかもしれない。
(聞いたこともない笑いを感受させるエクリチュール!)
僕の余生には、『フーコー・コレクション』をそろえて
読むくらいの時間はまだ残されているのじゃないか、
と思う。冗談=本気半々で全巻買おうかな、と
夢見ごちのきょうびだ。
では、P195「4社会医学の誕生」より自炊。
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 新しいかたちの社会医学がイギリスで誕生します―
イギリスは産業の発達を経験し、その結果、
プロレタリアの形成が他の国々よりも大規模で、
急速だったからです。ただしそれは、他方で
ドイツ的な国家医学の計画がなかったという
意味ではありません。
たとえばチャドウィツクは一八四〇年頃、
ドイツのやり方から多くの示唆を得てみずからの計画を
練りあげています。またラムゼーは一八四六年に、
『都市住民の健康と病い』と題された本を書きましたが、
これはフランス都市医学の内容を反映するものです。

 イギリスの医学が社会医学になっているのは、
主として「貧民救済法」のおかげです。
この法律の条項には、貧窮者たちを医学的に管理する
ということが含まれているのですから。
貧しい人々が扶助制度の恩恵をこうむるように
なったときから、さまざまな方法で彼らを医学的に
管理することが義務化されます。
貧民救済法にともない、曖昧なかたちではあれ、
社会医学の歴史に重要な要素が入ってきます。
それまでは貧困ゆえに期待できなかった健康への
欲求を、もっとも貧しい人々でも満たせるよう
助けてあげる手段となるような、
税金でまかなわれる扶助あるいは
医学の介入という考え方です。
同時に、それは管理の継続を可能にしました。
豊かな階級あるいは政府におけるその代表者たちは、
管理をつうじて困窮した階級の健康をまもり、
したがって特権的な人々を保護しようとしました。
こうして都市のなかで、豊かな人々と貧しい人々の
あいだに、いわば権威主義的な検疫警戒線が
設けられたのです。そのため貧しい人々には無料で、
あるいはより安く医療を受ける可能性がもたらされました。
豊かな人々はこうして、貧しい階級が生みだす
疫病の犠牲になるという危険から解放されたのです。

 医療法制を見ると、当時のブルジョワジーの大きな問題が
移し替えられているのがはっきり分かります。
いかなる代価を払って、どのような条件で、
いかにしてみずからの政治的安全を守るか、
という問題です。
貧民救済法に含まれている医療法制は、
そのようなプロセスに対応するものでした。

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(PENTAX K20D/43mm Limited)

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このページは、が2012年11月20日 11:26に書いたブログ記事です。

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