ドゥルーズ「対話」

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ドゥルーズ=パルネの『対話』。
以下の部分はよく読まれた箇所だと思う。
今回、河出文庫(ちなみに「ディアローグ」と改題)を
「読んde!!ココ」で自炊。(わかります?)それを
記載します。第2章第2部だからパルネ担当かな。
しかしあきらかにドゥルーズの思想だ。
諸氏よ、味読されたい。

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 スピノザが次のように言うとき、
すなわち、「驚くべきもの、それは身体である…、
私たちはひとつの身体が何をなし得るのかまだ知らない…」、
と言うとき、彼は身体を
ひとつのモデルにしたいのでもなければ、
精神を身体に単純に依存させたいのでもない。
彼の企てはもっと微妙なところにある。
彼は身体に対する精神の偽なる優位を打ち倒し
たいのだ。精神と身体があるのであり、
両者揃って唯一の同じものを表現している。
身体の属性は精神の表現されたものでもある
(例えば速度)。
ひとつの身体が何をなし得るのかを
あなたが知らないのと同様に、
身体の中にはあなたが知らない、あなたの認識を
超出する多くのものがあるのと同様に、
それと同様に精神の中にはあなたの意識を超出する
多くのものがある。だから問いはこうなる。
ひとつの身体は何をなし得るのか、
どんな情動が身体には可能なのか。実験せよ。
しかし実験するためには多くの慎重さが必要である。
私たちはむしろ不快な世界に生きているのであり、
この世界では人々だけでなく、既成の権力もまた
私たちに悲しみの情動を伝達することばかり考えている。
悲しみ、悲しみの情動は、
私たちの活動力能を減少させるすべてのものである。
既成の権力は私たちを奴隷にするために
私たちの悲しみを必要としている。
暴君、司祭、精神の買い手は、
生がつらくて重いものであることを
私たちに納得させる必要があるのだ。
権力は私たちを抑制するよりも
私たちを不安にする必要がある。
あるいは、ヴィリリオが言うように、
他人の目に触れない私たちの小さな恐怖を管理し、
組織する必要があるのだ。
生についての長々とした普遍的な不平。
生という存在欠如…。「踊りましょう」と
言っても空しい。そんなに陽気ではないのだ。
「死とは何と不幸なことだ」と言っても空しい。
失われる何かをもつためにはまず生きるので
なければならなかっただろう。
身体と同じく精神も病んでいる人たちは、
彼らの神経症と彼らの不安、彼らが最も愛する去勢、
生に対する彼らのルサンチマン、
彼らの不潔極まりない伝染病を私たちに伝達するまでは、
吸血鬼となって、私たちを放そうとはしないだろう。
あらゆるものが血に関わっている。
自由人であることは容易でない。ペストを避けること、
諸々の出会いを組織すること、活動力能を増大させること、
喜びで自己変様すること、最大限の肯定を表現し
あるいは包含する諸々の情動を多様化すること。
身体を有機体に還元されないひとつの力能にすること、
思考を意識に還元されないひとつの力能にすること。
スピノザの有名な第一原理
「すべての属性にとっての唯一の実体」は
この作動配列(アシヤンスマン)に依存しているのであり、
その逆ではない。
スピノザという作動配列(アシヤンスマン)があるのだ。
精神と身体、諸々の関係=比、諸々の出会い、
変様能力、この能力を満たす諸々の情動、
それらの情動を形質化する悲しみと喜び。
哲学はここでひとつの機能作用の、
ひとつの作動配列(アシヤンスマン)の技法となる。
諸々の出会いと生成の人、
ダニの哲学者であるスピノザ、
知覚し得ない者スピノザ。
彼はつねに中間にあり、
たとえ動くことがほとんどなくてもつねに逃走している。
ユダヤ人共同体からの逃走、
《権力》からの逃走、
病気の人や悪意に満ちた人からの逃走。
彼自身も病気であり、死ぬかもしれない。
だが死は始まりでも終わりでもないということ、
そうではなくその反対にそれは自分の生を
他の誰かに移すということを彼は知っている。
ローレンスがホイットマンについて言っていること、
それがどの点においてスピノザに当てはまるのかといえば、
彼の連続する生、ということになる。
つまり《精神》と《身体》だ。
精神は上方にも内部にも存在しない。
それは「とともに」存在する。
それは道路の上で、あらゆる接触に、
出会いに晒され、同じ道を辿る人たちと
仲間になって存在する。
「彼らとともに感じること、
彼らの精神と彼らの肉体の振動を
通りすがりに捉えること」、救済の道徳の反対、
精神に自分の生を救うことを教えるのではなく、
自分の生を生きることを教えること。
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このページは、が2012年10月13日 15:43に書いたブログ記事です。

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