来るべき映画

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スクリーンはもはや
(その背後に何かがひそんだ)窓でも、
(その内部に何かを秘めた)フレーム=ショットでもなく、
その上を映像が「データ」のようにすべっていく
情報端末になった。
しかしほかでもない、世界が
「自前の」映画をつくり、それがテレビによって
直接の管理をうけ、瞬時に処理される、
しかもテレビは〈代補〉の機能をことごとく
排除するとなれば、芸術という言葉を使うことが、
はたしていまでも可能だといえるのでしょうか。
映画はそれをやめなければならない。
映画らしきものを作るのをやめ、ヴィデオ、
エレクトロニクス、ディジタルの映像を相手に
独自の関係を張りめぐらすことによって、
新しい抵抗運動を考案し、テレビがもつ
監視と管理の機能に抵抗できるようにならなければ
ならない。
(ドゥルーズ「記号と事件」)
今日は引用のみ。

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このページは、が2012年8月22日 16:52に書いたブログ記事です。

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