生の様式

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いま説明した線は死に直結しているし、
激しすぎるばかりか、速度も大きすぎる。
これは、呼吸もままならないほど希薄な
大気のなかに私たちを引きずっていく線なのです。
この線は、ミショーが放棄したドラッグのように、
思考をあとかたもなく破壊してしまう。
エイハブ船長の「モノマニー」と同じように、
もはや狂気や錯乱以外のなにものでもなくなる。
だからこそ、線を越えることと、線を生き、
活用し、思考することが、同時に必要となるのです。
可能なかぎり、そしてできるだけ遠くまで見越して、
線を生の技芸につくりかえること。
線に挑みながら、もう一方では逃走し、
わが身の保全をはかるにはどうすればいいのか。
この問いが立てられたとき、
フーコーが頻繁にとりあげた主題が表面に出てきます。
(ドゥルーズ『記号と事件』)

私たちは「生きる様式」をあみ出しながら
ひしめく差異を生きる。思考する私は何か線を意識し、
その線に沿うような、あるいは越え、踏み外すような
具合に生きる。構造のただなかにいながら、
属性と様態を一挙に生きる。微分的で即時的な
応答の中に生きる。

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このページは、が2012年8月14日 20:38に書いたブログ記事です。

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