西瓜糖の日々

|
30歳くらいの「わたし」が
住んでる土地「アイデス」、友達の「チャーリー」、
両親を食べてしまった「虎たちのこと」など24の項目(?)に
ついて「あなた」に語る・・そういう書割になっている。
それがブローティガンの『西瓜糖の日々』(藤本和子訳)。
絶版になってたものが今世紀になって復刻される。
そんなわけで図書館にも文庫はないのでしょう。
(以下『西瓜糖』と省略します)

『西瓜糖』は『ドゥルーズ/ガタリの現在』所収のサドッホの論攷、
「言語の流体力学-指令語の射程について」で知った。
そこには「ブローティガン効果」とあった。
『西瓜糖』をジュンク堂で読んでしまおうと目論む。
だけど54ページからの「算数」に少し触れて、
購うことに決した。
物語は「夢」とみていい。
しかしそれはそのとき『夢分析』(新宮一成 岩波新書)を
一緒に購って同時進行で読んだ僕の勝手な解釈ともいえる。

虎たちは「わたし」の両親を食ってしまう。
9歳の時だ。

「おまえの親たちを殺して食べてしまったことについては、
心からすまないと思っているんだよ。でも、わかってほしい。
おれたち虎は悪ではないのだ。ただ、こうしなければならないのだ」
「わかったよ」とわたしはいった。
「算数おしえてくれてありがとう」
「なんのなんの」虎たちは行ってしまった。

両親を食われた虎に算数(九九)を教わるわたし・・
なんという拡散か。これは現働的な様態ではない。夢だ。
さて。昨日のこと。
たまたまNHK-BSで(ワールドニュースのようだった)
子供が枯葉を食べる場面を目撃した。
食料がなく、枯葉を揉んで食べている。
その深刻さを報じた後、「次です」とキャスターは転じた。
「次」はエリザベス女王在位60年記念とやらの
豪華で晴れやかなニュースであった。
夢であってほしいが、こちらは現実的な様態である。
虎:算数=飢餓:記念祝典
僕の目の前で並列に展開されたふたつのことがら。
虎:算数より飢餓:記念祝典の対比のほうがすごい。
酷薄さにおいては、小説よりメディアの方が強度がある。



(NEX-7/ ヘクトール 28mm/ Hektor 2,8cm 1:6,3)

このブログ記事について

このページは、が2012年6月10日 12:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「新宮一成『夢分析』」です。

次のブログ記事は「深瀬昌久逝く」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち