アンジェニューときどき樫村晴香
「言葉のサラダ」。樫村晴香で知った。分裂病の患者がそれをやるのを録音できいたことはある。大学の講義で。そのとき講師は、これは「言葉のサラダ」です、と説明したのかもしれない。が僕は樫村晴香で知った。リソースは『ドゥルーズのどこが間違っているか?』である。1996年の「現代思想」1月号です。ときどき読むことにしています。僕にドゥルーズからの転回はありうる、と予想する。いや、これは「身振り」かもしれない。安全牌として樫村を端牌に安置・・(笑)。樫村晴香の批判はずっと気になる。ニーチェは「言葉のサラダ」状だが、ドゥルーズは違う、と樫村センセは言っている。「正月とは全身の毛を剃ることです」というときその意味内容は身体作用なのだ、とセンセは言う。精神分析の立場も同様だと思う。「幻想はいわゆる観念の産物ではなく、身体の中に現実の支えを持っている」とは新宮一成である。ニーチェは強度と反復でそれこそ身を挺して生きた。いっぽう僕のドゥルーズは実にあいまいだ。Rayqual=宮本製作所のM42-EOSアダプタが届く。取り付け部分を10mmシネレンズで。↓(部分拡大画像あり)
下はEOS=アンジェニュー35-140mmで。↓F値は開放。ISO1600。80mm付近。ピントは冊子の白い文字。(拡大画像なし)縦位置で撮りました。このレンズはもともと35mmフィルム用です。フィルム面に対して映像は縦に映ってますよね。ハーフで。だから同じようにしてみたのです。アハハ。ばかばかしい。
下はEOS=アンジェニュー35-140mmで。↓F値は開放。ISO1600。80mm付近。ピントは冊子の白い文字。(拡大画像なし)縦位置で撮りました。このレンズはもともと35mmフィルム用です。フィルム面に対して映像は縦に映ってますよね。ハーフで。だから同じようにしてみたのです。アハハ。ばかばかしい。