ロレンス「黙示録論」

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『批評と臨床』には検査入院のお供になってもらう。(笑)
その第6章、
「ニーチェと聖パウロ ロレンスとパトモスのヨハネ」
その章の原注"Apocalypse"を読むために
福新樓のあとはとりあえずジュンク堂へ向かう。

ロレンスの『黙示録論』である。
福田恆存訳なのだが
2004年、ちくま学芸文庫版である。
ドゥルーズの原注あたりから読み始める。
予想はしていたが拾い読みというわけにはゆかぬ。
分厚いのです、これが。
買うとまた死後の残滓がふえる。
この日は同じロレンスの『アロンの杖』や
ニーチェにもあたるつもりでいたのだが
はやばやと頓挫したかっこうになった。

今日になって当地の県立図書館へ
ニーチェ全集の第13巻を含めて借り受けの
予約を入れる。退院したころには着くだろう。
キリスト教にはそのひとはいない。
初期キリスト教にすらそのひとはいなかった。
そのひとは弟子たちのあいだでさえ孤独であった。
「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
むしろ何かを察知したのはピラトのほうかも知れぬ。
十字架をになったクレネ人シモンのほうが
弟子たちよりはマシだったのだと思う・・・

あ、でもどうでもいいことですね、そんなこと。
パトモスのヨハネの幻視がすごいなら
ロレンスのそれはもっとすごいと思う。
尋常ならざることは同じです。
3日間僕は科学の臨床の被験者となります。(笑)
『批評と臨床』はせめてもの僕の対抗の線ですが、
ひしめく差異のなかどのような積分としての魂が
産出されるのだろうか?
「流れとしての、流れの集合としての自分、
しかも他の流れと、自己の外で、そして自己の内で
関係を持つ自分を生きること」
(第6章より)

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このページは、が2011年12月20日 17:09に書いたブログ記事です。

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