概念的人物

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「概念的人物」とは何者か?
「2 内在平面」に続きぬっと出てくる。(笑)

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デカルトのコギトは
概念として創造されたものであるが、
しかしそれにはいくつかの前提がある。
けれども、ひとつの概念にとって
他のいくつかの概念が前提になるようにして
(たとえば「人間」にとって「動物」および
「理性的」が前提になるようにして)、
前提があるわけではない。
いくつかの前提というのは、この場合、暗黙の、
主観的な、概念以前的前提のことであって、
それらが、ひとつの<思考のイメージ>を形成して
いるのである-すなわち、すべてのひとは
<思考する>ということが何を意味するか知っている、
すべてのひとは思考する可能性をもっている、
すべてのひとは真理を欲している・・・・
〔という前提である〕。

では、それら二つのエレメント以外に、
すなわち概念と、内在平面つまり思考のイメージ以外に、
何か他のものが存在するのだろうか。
思考のイメージとは、同じ群に属するいくつかの概念
(コギトおよびそれと繋がりうる諸概念)
によって占拠されるはずのものである。
デカルトのケースにおいて、創造されたコギト概念と、
前提された思考のイメージのほかに、
何か他のものが存在するのだろうか。

いささか神秘的な他のものが、
実際に存在するのである。
それは、時おり出現し、
あるいは透けて見えたりするものである。
しかもそれは、前概念的〔内在〕平面と概念との
あいだで行ったり来たりする、中間的な、
或る朧な存在をもっているように思われる。

それは、さしあたって、《白痴》である。
《私》と言うのはまさに彼であり、
コギトを発するのはまさに彼であり、
主観的諸前提を抱え込んだり
平面を描いたりするのも、まさしく彼である。
白痴とは、公的教授(スコラ哲学者)に対する
私的思想家である。
教授は、教えることのできる概念
(人間-理性的動物)をたえず指示するのだが、
私的思想家は、ひとつの概念
(私は思考する〔コギト〕)を、
誰でもがそれぞれの立場で権利上所有している
生得的な諸力によって形成する。
そこには、とても奇妙なタイプの〔概念的〕人物が
現れている。それは、思考することを欲し、
「自然の光〔理性〕」によって、
自分自身で思考する者である。
白痴とは、ひとつの概念的人物である。

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1.主体はコギトにあらず。むしろそれに繋がる
おぼろな存在である。
2.概念的人物とは私的思想家のことである。
3.それを「白痴」と呼称する。
4.「自然の光〔理性〕」とはたとえばスピノザを思え。



大阪=堀江。

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このページは、が2011年11月24日 22:09に書いたブログ記事です。

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