自同律の不快

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夢を見た。
僕は多くの人を前にアジテーションをしている。
『5,7,5のフレーズで歩くと
ほら、こんなに身体がのってくる。でしょう?』
舞台で実演している。
分析家の教材として使えそうな夢だな。

5,7,5が気持ちがいいのは事実ですね。
ニホンジンに特有のDNAといってもいい。
うたのリズムはメジャーなのだ。
谷川俊太郎(武満徹作曲)の
『死んだ男の残したものは』はこうです。

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

7,7バージョンとでもいえます。
新井英一の
『清河への道』もそうです。

アジアの大地が見たくって
俺はひとり旅に出た
玄界灘を船で越え釜山の港を前にして
夜が明けるのを待っていた

どちらもメロディーは単純なリフレーンです。
これらが身体と精神をここちよく通過するのです。
リフレーンは、飽きるまでは気持ちがいい。
『自同律の快』と言ってもいいでしょう。

すぐに気づくことですがリフレーンは
『自同律の快』のことです。
ですから
『自同律の不快』は新鮮さの担保として
防衛規制のごとく作動するのでしょうね。
実際にはヒトは『快感』を選択しますから
通常はリフレーン=『自同律の快』へと
流れていきます。
僕はそんな風にとらえています。

僕が短歌が好きで、かつ嫌い、というのは
その事情に似ています。
うたいあげるここちよさ。
うたいあげてしまうことへの不信。
そのふたつは同じヒトに避けがたく配分される属性です。

せっかくですから、森山良子で
『死んだ男の残したものは』

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このページは、が2011年10月 9日 18:25に書いたブログ記事です。

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