エチカ 第五部
スピノジストならばみな『エチカ』を知っている。
ドゥルージアンはどうか?必ずしもそうではあるまい。
というのもドゥルーズ発明の(?)概念に気を奪われるがゆえに
たとえば「内在平面」、たとえば「リゾーム」に差し向けると
『エチカ』どころではなくなってくる、というぐあいで。
しかしとりわけ「内在平面」、あるいは「リゾーム」ですら
ドゥルーズに対するスピノザの仕業だとしたらどうだろう。
僕はそうだと思っているのですがね。
『エチカ』第五部はスピノザが後になって到達した成果である、
とドゥルーズは言っている。
では、第五部の定理四をおみせします。
OCRをしないでスキャンしてものをまるまる1ページ、
画像です。サムネールから拡大画像を「読んで」ください。
(工藤・斉藤訳)
定理四二まで続く第五部のはしりです。
自由でかつ幸福になるための第五部といわれている。
身体は変様する。感情という観念によって変様する。
しかし衝動や欲望が「なみはずれた」暴走へと突き進むことを
避けうる能動的な観念がある。(変様能力)
私たちが「出会い」のなかで自己を構成してゆくさまを
想起してみてください。私たちは「あいだ」にいて揺れています。
触発し、触発されるが「外部の原因を遠ざけ」たという経験は
あなたにもあるでしょう?
そんな構成関係こそ「コナトゥス」にほかならない、と
僕はひそかに(経験的にはずっと)思ってきました。
身体の変様。自身スピノジストのドゥルーズが
身体のアジャンスマンとしてこれに着目しないわけがない。
ドゥルージアンはどうか?必ずしもそうではあるまい。
というのもドゥルーズ発明の(?)概念に気を奪われるがゆえに
たとえば「内在平面」、たとえば「リゾーム」に差し向けると
『エチカ』どころではなくなってくる、というぐあいで。
しかしとりわけ「内在平面」、あるいは「リゾーム」ですら
ドゥルーズに対するスピノザの仕業だとしたらどうだろう。
僕はそうだと思っているのですがね。
『エチカ』第五部はスピノザが後になって到達した成果である、
とドゥルーズは言っている。
では、第五部の定理四をおみせします。
OCRをしないでスキャンしてものをまるまる1ページ、
画像です。サムネールから拡大画像を「読んで」ください。
(工藤・斉藤訳)
定理四二まで続く第五部のはしりです。
自由でかつ幸福になるための第五部といわれている。
身体は変様する。感情という観念によって変様する。
しかし衝動や欲望が「なみはずれた」暴走へと突き進むことを
避けうる能動的な観念がある。(変様能力)
私たちが「出会い」のなかで自己を構成してゆくさまを
想起してみてください。私たちは「あいだ」にいて揺れています。
触発し、触発されるが「外部の原因を遠ざけ」たという経験は
あなたにもあるでしょう?
そんな構成関係こそ「コナトゥス」にほかならない、と
僕はひそかに(経験的にはずっと)思ってきました。
身体の変様。自身スピノジストのドゥルーズが
身体のアジャンスマンとしてこれに着目しないわけがない。