出来事は効果なり

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ホテルでもらった新聞をみていたら、
仏教関係の広告記事に目がとまる。(8月4日:朝日)
松岡正剛、だ。
アンダーライン部に注目。

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現代の日本人は「有事」ということを大仰に捉えますが、
実は、有事は平時の中に埋め込まれているのです。
昔の人はよく、家の中にいても表が妙に騒がしいとか、
今日の風は変に生ぬるいとか、有事の前触れを
察知するような感性を備えていました。
今の人だと、賞味期限切れだから食べたら危ないとか、
マグニチュード3なら大したことないとか、
誰かのお墨付きやレベル設定がないと危険か安心かの
判断がつかない。そういうものが、自らの内に
仏がおわす感覚の喪失と相まって、この時代を
追いつめているのでしょうね。

-そこを打開する何かヒントがありますか。-

仏教は「安心立命」の一語に言い尽くされます。
安心と、自分の命がそこにあることは輩(ともがら)であり、
命あるところに仏はおわします。
その実感を取り戻すことです。そして「無常迅速」、
常ならざるものは有為転変が早いと心得る。
何が起きても、それはあり得ることなのだという
無常観を心に常備するのも大事でしょう。
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「有事」はすなわち「出来事」です。それは効果ともいえます。
よって原因や準-原因、潜在性やパラドックスに満ちています。
「あり得ることなのだ」は「運命愛」に通じます。
「概念」というものはかかる具合に「偏在」するものです。

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このページは、が2011年8月 5日 17:57に書いたブログ記事です。

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