あいだ 記号と事件

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事件をとらえることができるのは芸術であって
メディアではない・・・と前置きしてドゥルーズは言う。

ふたつの点のあいだに線があるのではなく、
線が何本も交差したところに点があるわけですからね。
線が一定することはありえないし、点のほうは、
あくまでも線の変曲であるにすぎないのです。
だから当然、重要なのは始まりでも、終わりでもなく、
あいだの部分だということになる。
『記号と事件』(文庫版)

ドゥルーズのこの言は至極もっともだろう。
このことで小津やアントニオーニを参照する、僕の言う
「ドゥルーズの配分」は正当といえます。

映画『氷点』(1966)の詳細についてはWikiしてください。
僕は森光子という女優のことは何も知らないが、
陽子の自殺未遂後の、このシーン。
辰子(森)が後悔する夏枝(若尾)を陰からみている場面だ。
音声もなく、辰子の動きだけで明らかにされるもの。
これが、メディアではとらえられない決定的な結晶であり、
事件(出来事)なのだ。

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このページは、が2010年12月 9日 13:24に書いたブログ記事です。

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