ドゥルーズ覚書

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ドゥルーズをはじめて知ったのは
浅田彰の『逃走論』だった。そのあと『構造と力』を読む。
たまたま開いた「石原8年誌」に
ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』を
1996年10月にまとめて買った記録があった。
情景は記憶にある。1万2千円!だもんね。
雑誌で(誌名は失念)『千のプラトー』弟1章の抄訳を読んでいたので
まとめ買いは観念・覚悟のアクションなのだろう。(笑)

1996年といえば、まだ僕はLCマックでパソコン通信を
やっていた。ニフティのログイン・ログオフの時代だ。

天体の 冥くひそめる 時間帯 スバルのごとき われのログイン

そんなころのウタ。照れますなあ。
インターネットに移行したのはYosemite(青白マックG3)からだから
1998年になる。
ドゥルーズを僕に知らしめた浅田センセには
それこそどんなに感謝しても足りないくらいだ。
ドゥルーズとの出会いは、
高校時代の文学や聖書との出会い以上のものがあった。
真の意味で
僕の中でようやく形而上学や実存主義が終わったのだ。
思えば
新宮一成を通じて「精神分析」に接近したのも同じころ。
構造主義が席巻し、後戻りは消去され
「大きな物語」も終焉し・・とあれこれを迂回しつつも
ニンゲンというものがどんなイキモノなのかを
ドゥルーズと精神分析で学んだ。40代半ばにね。
この2項は、僕にはイニシエーションなのだと思う。
青春・朱夏期が文学と聖書ならば
白秋・玄冬期がドゥルーズと精神分析なのだ。
現代思想といっても、デリダでもなくフーコーでもなく
やはりドゥルーズだったのだ。

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このページは、が2010年8月18日 10:53に書いたブログ記事です。

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