地上では旅人であり寄留者である

|
「私的思想家は」今日も午前1時半には床を出た。(笑)
(床についたのとは違います)
前立腺が悪いから一度寝付いても起き出るはめに。
吉本隆明も米長邦雄もそうに違いない。うむ。
そうそう、
週刊誌でその米長邦雄は
「まだ使えるから手術をせず、放射線治療を選ぶ」
と言っている。さすがエロイ65歳。

なんのハナシだ。地平を変えよう。
僕が一番好きな聖書の箇所はタイトルにもある
「ヘブル人への手紙」のこのくだり。
高校時代の太宰治による大正版文語訳の
「刷り込み」が今も生きている。
が17歳が実際に入手できたのは口語訳。
(日本聖書協会版の口語訳で)↓

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。
まだ約束のものは受けていなかったが、
はるかにそれを望み見て喜び、
そして、地上では
旅人であり寄留者であることを、
自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、
彼らがふるさとを求めていることを示 している。

チャクラが開き頭上から天に抜けるような響きがある。
この箇所を音読すると陶然となる。
ドゥルーズの「俯瞰」にも通じる、と思っている。
少々レトリックに淫したかもしれぬが
これに先立って考えたことがあった。
イエスは故郷では理解されなかった、ということ。
「人々かれに躓けり」である。
(マタイ13章:文語訳)

ヘブル書とマタイ伝のこの箇所に関しては
もう少し深遠な個体的直観を抱いている。
このことについてはいつか記そう。
現実との関連でひとつだけ。
記事にトラックバックとコメントを
はずしていることは
僕の個体的直観のあらわれ、です。

僕を知る方は
あらかじめ僕に躓いているお方だ。
当ブログサイトの記事は
shinchi hisaaki を知る方のための
それでないことだけは明らかだ。
先日ざっとログを見ていたら
小泉義之でググリ、「なぜ小泉義之か」を
読んでくれていた。
NHKからのアクセスであった。(笑)
小泉義之でよくたどり着いたものだ。
でも、これはうれしかった。

僕はずっと「俯瞰」し続けていたい。
「年賀」をやめることにしたのも
「旅人」には年賀郵便は「配達されない」(東 浩紀)
からだ。(うそ。単にメンドウだから)

写真は記事に関係ありません、ではなく
記事はshinchi hisaaki に関係ありません、
ということを言いたいのだろうか?
いや、言いたい、ということはない。
だけど記事=表象それ自体がshinchi hisaaki との
関連性ということになると、実際どうなんだろう。

いろんなバージョンの聖書をPDFで
配布しているサイトがある。エライもんだ。
ここです。

このブログ記事について

このページは、が2010年3月12日 04:07に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「原寸画像検索」です。

次のブログ記事は「K20D 43mmF1.9Limited」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01

photo pages

photos

地上の夜の天使たち