天神 ジュンク堂

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長文になるな、たぶん。電車からおりて直行する場合天神コアを突き抜けてスタバ前に出る。ビブレを通り抜ける。あんまり男は通らない。(ような気がする)人文コーナーで内田センセの「村上春樹にご用心」。前回立ち読みの続きを開く。「冬ソナ」ブームについての、そのあたりだ。内田センセの同文初出は2004年のようだから、・・ということはやはりホ・ジノ監督の「八月のクリスマス」はいわゆる韓流ブーム以前の映画だね。いっぽう「私の頭の中の消しゴム」は日本公開が2005年ということからしても「韓流」そのものなのだ。ふむふむ。
さて「村上春樹にご用心」の立ち読みも切りのいいところで終わって、
・「大航海」No.51(2004年)と
・「現代思想」12月号(2008年)特集「ドゥルーズ」を
買ってミセを後にした。
「ドゥルーズ」は前回、「も、ドゥルーズいいか」と思っていたんだが今回買っちゃった。本命は「大航海」のほうでこれにつられて買ったようなもんか。特集「精神分析の21世紀」に新宮一成の記事があったからだ。編集部の問い2「精神医学は向精神薬とともに終わったのか?」これに応える新宮センセ。おお!これは立ち読みではすまされまいぞ。
精神分析が医学界で現在どのような処遇になっているのか・・ある範囲は予想していた通り、であった。精神分析的(問いかけ)応答が必要な男にとってはそれは永遠に終わらないだろう・・・ということだ。質問のかたちをこう変えてみるとどうだろう。「あえて向精神薬が不必要な男にもなぜ精神分析的手法が必要なのか?」と。それに対してはけっきょく「それは僕が決めることなのだ」とこたえるしかないのではあるまいか。
1990年代の後半、妻は心療内科に通院していた。その頃すでに医師はDSMすなわちアメリカの精神医学会の「精神疾患の分類と診断」に準じて、単にお薬(向精神薬)を手を変え品を変えして処方していたにすぎなかった・・という実感がある。医師はセラピストですらなかった。いつもパソコンに入力しながら話していたそうだ。まあそんなもんでしょう。
いや、なんだね。この僕のどーでもいい記事を読んでくださるアナタ。アナタも先の雑誌を読んで、ふむふむと感じたらコメントくださいな。きっとトモダチになれる。(笑)ウチのブログはTBもコメもOFFだから冗談ですが。↓いいねえ、コンデジはF8、1/8秒でもどうにかサマになる。

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このページは、が2009年2月15日 09:36に書いたブログ記事です。

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