オイディプス

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内田センセは「村上春樹にご用心」で村上春樹になぜ人気があるかについて「父の不在」をもって説明する。ふむふむ。内田樹を知る人にはおなじみの通奏低音みたいなものだ。日本人にはフロイトの「オイディプス」はピンとこないところがある。「源氏物語」に「父」はいない。「大奥」にもいない。朝日新聞の「おやじのせなか」の父親たちはどれも母親のようだ。東京都知事にあなたは「父」を見る?僕ならば彼には「母」を嗅ぎ取る。おそらく日本だけの問題ではなかろう。「ロリータ」のハンバート教授、あれは「父」か?
僕の体験からは「去勢」の実行者は常に「母」ないし「女」その人だった、と思う。だからフロイトの「オイディプス」には何年たっても違和感が消えることはなかった。この世は「母」とか「女」とかで回っている。そう言い切っていい。その認識にたって「父」や「男」をやりなおす・・・しかないでしょうね。

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このページは、が2009年1月10日 21:47に書いたブログ記事です。

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