ワルラス均衡

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 学生時代のことだが、プリンストン帰りの教授から「ワルラス均衡」やら 「パレート最適」やらの講義を受けたとき、 「ほんとにそうなんだろうか?」と半信半疑だった。経済全体を見渡すメタレベルで、神の手が動き、均衡や最適をもたらす・・腑に落ちない気持ちがした。だけど僕の小さなアタマで反論なんてできっこない。(笑) 今思うにこれは、若いころ言語について言語で語るしかない矛盾を感じたことと同軸の居心地の悪さだった。
 自己を語る困難性は 自己を語るためのメタレベルが存在しない、ということに由来する。言語は実は自己を明かせないでいるのに自己を明かさないでは生きてゆけない。不問に付さないで済ませる「自己」などありえないのに言語は、コトバは、自己を語る十分なツールたりえてない・・こんな考えは高校時代からの僕の重大な悩みだった。

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このページは、が2008年10月15日 20:38に書いたブログ記事です。

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