あなたは、自分のことをあかししている

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 新宮一成の『ラカンの精神分析』のなかでも"他者の語らい"の部分はもっとも美しいシーンだと思う。「ヨハネによる福音書」8章のパリサイ人の問うエピグラフが精神分析のキーワードであることを見いだしたラカン=新宮センセの技量には敬服するしかない。しかし「自己言及の不完全性」がはっきりしていてもわれわれは日常さまざまな場面で、自分がそも何者であるかを証し立てなければすまされない。生を受けたからには他者の前で自己が何たるかを記述しないではニンゲンとして通ってゆかない。新宮センセはそれをいみじくも「受難」と呼ぶ。その通りだと思う。
↓今朝の街角。↓ こんな風景を好む。バカみたいでしょ?数日後はうんと寒くなる、という。

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このページは、が2008年10月 9日 20:02に書いたブログ記事です。

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