17歳の頃: 2008年9月 Archives

Horowitz

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 ホロヴィッツのカーネギーホールリサイタルというのはあまりにも有名だ。1968年2月。僕はまだ19歳。CBSソニーのリサイタル実況録音盤。僕が購った初めてのレコードだった。事情があって僕はその盤を廃棄したが、今でも全曲からだにしみついている。たとえば、「カルメン」の主題による変奏曲、これには彼がホワイトハウスで時のカーター大統領を前に演奏したものもあるが、聴き始めに違いがわかる。カーネギーホールのホロヴィッツに侵されている、というわけだ。
 ショパンの「バラード1番」から始まる演奏はもう圧倒的というほかはない。それをいま、こんにちのわれわれは映像つきで手に入れることができる。youtube 恐るべし、である。
 さてさて。長文になりますが、スクリャービンの作品8の12はyoutube にスクリャービン本人の演奏(映像なし)があります。手の小さかったスクリャービンと手の大きかったホロヴィッツ。時空を超えて二人の「もくろみ」が通底している、とみれる。精神分析的には「転移」が読み取れる、と。実際、ホロヴィッツは記録を残すことに執着した演奏家だった。そういう意味でいえば youtube でビデオをみた僕が、ホロヴィッツのCDをひとつ・・なんて動き出すと「もくろみ」が成就された、といえないはずがない。でしょう?

カラマーゾフの兄弟

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 「カラマーゾフの兄弟」が亀山郁夫の新訳でヒットしたのは去年。僕もジュンク堂で棚を覗いたら3巻か4巻かしかなかった。売れた分読まれたのだろうか?訝っている。(笑)僕はお年柄、米川正夫訳で読んだ。グリーン版(3巻)で。17歳の高校生は赤鉛筆の傍線と書き込みでホンをまるで受験参考書みたいにしてしまった。韋編三絶のたとえ通り、背表紙のニカワもボロボロ。"あの"佐古純一郎には『カラマーゾフの兄弟』は人物判定のリトマス試験紙であった。 17歳のぼくにも、「カラマーゾフ」まさにバイブルであった。

キルケゴール

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 高校生のころ実存主義にひかれたそもそものきっかけは高校教科書「倫理・社会」なのかもしれない。しかし実際に書物と悪戦苦闘したのは中央公論社版の「世界の名著」であった。第1回配本は「ニーチェ」。ほどなく「キルケゴール」も出た。1966年まさに17歳のころだった。20歳をすぎた無為徒食の時代に「死に至る病」を読んだ。何度も何度も読んだ。そうしなければ理解できなかった。
 横浜駅西口近くの古色蒼然とした喫茶店に長時間居座って読んだことがあった。思い出したくもないほど酷薄な青春だった。主体(この僕)が倒れたらどうする?自分を鼓舞するようにキルケゴールを読んだ。だが、その「主体」は脆弱で、おぼろげで、たよりなかった。いまここの現実存在がつかみどころのないシロモノで主体なんてどこにも無いんよ、と納得できたのはずっとずっと、ホントにずっとあとのことになる。構造主義から精神分析の書物を読む過程で17歳の桎梏から解放されていった。
 それでもなお、こんにち、今の今をもってして「ぼくはいったい何を欲しているのだろう?」と根元的な問いをたてずにはおれない我が身だ。『我々が抽象化された理想を追い求めるということは、そもそも我々が他者の欲望を身に負っているということである。欲望している心は、すでに幾分かは他者のものである。』と、新宮一成センセはおっしゃる。まさにその通りなのだが・・。

ジャン・クリストフ

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 ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」の話。僕は「ジャン・クリストフ」に、はじめは豊島与志雄訳でチャレンジした。大振りで、朱色ハードカバーの世界文学全集だった。どこのだろう?その版でゲーテやらトーマス・マンやらを読んだ。だが、豊島訳「ジャン・クリストフ」には挫折した。 訳が晦渋? いや「名訳」で名高いはずだった。
 ともかく読んだのは河出グリーン版の片山敏彦訳で、どれほど感動したかしれない。「僕に対する他人の勝手な欲望に決然と背を向ける、それが勇気というものだ」みたいなことを17歳の胸に刻んだのはたぶんこの書の影響である。

正義と微笑

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 文語訳聖書の記事で太宰の「正義と微笑」のことに触れた。昭和の30年代(たぶん)に出た筑摩の全集で読んだ。函から出すと朱色の表紙。ネットでも見あたらない。記事を書いた後のことだが、「青空文庫」で読んだ。なるほど17歳の僕が感動する仕立てになってる。「マタイ傳」もまさに出てくる。 カテゴリー「17歳の頃」の余禄ですな、こうして読み返すなんて。

太宰治と文語訳聖書

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 「ベン・ハー」の記事で思い出したのは文語訳聖書のこと。高校生の頃僕を聖書に近づかせたのはまぎれもなく太宰治であった。承知のとおり(ご存知の方もいようが・・というべきか。笑)太宰と聖書(キリスト教)については佐古純一郎や野原一夫の研究がある。太宰の小説にはいたるところに聖句が挿入される。『桜桃』ははなから「われ山にむかいて目を挙ぐ」とある。詩篇の句だ。 太宰はそこで止めているが、あとには「わが扶助はいづこより来たるや」が続く。賛美歌にもあるくらい有名だ。読み物『桜桃』自体はちょっと辛く自虐的。新約聖書でいえば、太宰は「マタイ傳」からの引用が多い。僕にイエスの「山上の垂訓」を導いたのも太宰だ。いまでも僕は文語訳でそらんじている。文語訳がみぞおちがいい。腑に落ちる。それが17歳の空気だった。
 「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず」
 「栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)
 この花の一つにも及(し)かざりき」
 「明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。
 一日の苦労は一日にて足れり」
 とかなんとか呟きながら職場を後にする、ホントに。

 太宰治には実になつかしいものがある。「なつかしさ」を基準に一編だけ挙げよと問われれば 『正義と微笑』だね、と僕は答える。

死の谷

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 詩篇に「たとえ死の谷の影を歩むとも、われ恐るまじ」という有名な聖句がある。この「死の谷」が「ベン・ハー」の訳語の中に出てくる。双方が示す場所は同じシニフィエなのだろうか?「ベン・ハー」、インターミッション後の後編をみた。高校時代に感動した男と、今朝=後編=男との同一性を詮索する いとまもあればこそ、端的に満足しているのであった。

八木重吉

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素朴な琴
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 この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美しさに耐へかね

琴はしづかに鳴りいだすだらう

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八木重吉詩集「貧しき信徒」

 

高校時代、図書館の掲示板にこの詩が貼られていた。

八木重吉なる詩人を知り、彌生書房の詩集で読むことになった。

そのころ僕はバプテスト教会に行ってたりしていた。

苦しくも痛切な日常で満杯の時代だった。

デミアン

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「ダミアン」じゃなく「デミアン」です。ヘルマン・ヘッセの。

僕たち団塊の世代は高校時代にホンを読んだ世代でもある。

だってバイクもゲームもウォークマンもなかったんだもの。

それどころか下宿にラジオすらなかった。

あまつさえ僕は煙草ができなかった。

・・・・

カテゴリーに「17歳の頃」てのを加えることにした。

たっぷり「ナルチシズム」に浸ろうってわけだ。(笑)

内訌的でブッキッシュな高校生にとって

「デミアン」と「車輪の下」は必読の書であった。

高橋健二訳で読んだ。グリーン版?新潮文庫?

そんなところでしょう。

ほとんど「かぶれた」状況だったようにも思う。

実はこの記事を書く前に「デーミアン」(生野幸吉訳)を

斜め読みした。

懐かしく甘酸っぱく恥ずかしかった・・・

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